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(1998年2月1日)          




似た者同士

今最もホットなハリウッド男優といえば、最近の話題作“アミスタッド”と“レインメーカー”で、それぞれ主演しているマシュー・マッコナヒー(写真上)とマット・デイモン(写真下)の2人でしょう。マッコナヒーが1969年テキサス州出身、デイモンが1970年マサチューセッツ州出身と、生い立ちこそ「テキサン」と「ヤンキー」の違いはあれ、いろんな面で奇妙なほど類似している彼らのヤング・キャリアを掘り下げてみました。高校時代を忘れられないドラッグ中毒の若者役を演じた“バッド・チューニング(1993年)”で注目されたのがマッコナヒーなら、デイモンは“戦火の勇気(1996年)”で湾岸戦争を断ち切れないドラッグ中毒兵士役で脚光を浴びています。主演スターの座を射止めたのも“評決のとき"(マッコナヒー)、“レインメーカー"(デイモン)と、共にジョン・グリシャム小説を映画化した作品であるばかりでなく、“アミスタッド"(マッコナヒー)、“プライベート・ライアン"(デイモン)ではスティーブン・スピルバーグ監督直々の抜擢を受け、より一層の飛躍を遂げました。トレンディーな女性誌として知られるバニティー・フェアー誌の表紙と特集インタビュー(マッコナヒーが1996年8月号、デイモンが1997年12月号)で取り上げられたり、タイム誌に“ハリウッドの新ゴールデン・ボーイ"(マッコナヒーが1996年7月29日号、デイモンが1997年12月1日号)として特集された点でも酷似しています。また私生活の面では、テキサス大学オースティン校出身のマッコナヒーが、当時の学生仲間と「J・K・リビング・プロダクション」という映画製作事務所を創設し、今年公開予定の“サウス・ビーチ”や“ラスト・フライト・オブ・ザ・レイブン”を製作主演すれば、一方のデイモンは幼なじみの俳優ベン・アフレック("チェイシング・エイミー")とハーバード大学在学中に書いた脚本“グッド・ウィル・ハンティング”へ主演し、今年のゴールデン・グローブ賞の作品脚本主演部門に輝くという活躍ぶりです。現在、1999年公開予定のロン・ハワード監督("身代金")作品“エドTV”を撮影中のマッコナヒー、今年は前述の“バッド・チューニング”を監督したリチャード・リンクレター話題の新作犯罪ドラマ“ニュートン・ボーイズ”が公開され、デイモンのほうは“チェイシング・エイミー”や若手監督ケビン・スミス("スーパーマン・リブズ”を企画中)の新作“ドグマ”に続き、鬼才ジョン・ダール監督("甘い毒")の意欲的犯罪ドラマ“ラウンダーズ”が今年封切られます。ロマンスの面では、マッコナヒーが“評決のとき”で共演したサンドラ・ブロック("スピード2")と、そしてデイモンが“グッド・ウィル・・・・・”で共演したミニー・ドライバーと交際中など、何から何まで似ているスター同士なのです。





昔の栄華は?

ワーナーブラザーズ・スタジオといえば、ハリウッドのサラブレッドとして数々の名作を製作してきた“老舗”ながら、最近は立て続く大作の不調によって最も存在感が薄いメジャーとなりつつあります。彼らの低迷ぶりは、大株主であるタイム・ワーナー社の株価へも影響し始め、過去17年間ドル箱コンビとして経営に当たってきたロバート・デイリーとテリー・セメル2人の運営手腕が問われている現状です。'80年代は成功した“大物スター依存路線”が過去の遺物となった今、“バットマンとロビン"(ジョージ・クルーニー、ウマ・サーマン、アーノルド・シュワルツェネッガー)、"ファザーズ・デイ"(ロビン・ウィリアムス、ビリー・クリスタル)"マッド・シティー"(ジョン・トラボルタ、ダスティン・ホフマン)、そして期待された“真夜中のサバンナ"(クリント・イーストウッド監督、ケビン・スペーシー主演)やケビン・コスナーのキャリアと共に轟沈した“ポストマン”などの企画を先導した彼らのビジョンは、再検討されるのが当然の成り行きでしょう。僕の見解では、'90年代シネマの重大な要素となったカッティング・エッジ(切り口)である斬新なストーリーの企画、そしてリスクを恐れないニュー・ブリード(新人)監督たちを、ライバルの20世紀フォックスやディズニー傘下のミラマックスへ先取りされたことが、WB低迷の大きな要因だと思います。また、アーノルド・コーペルソン("逃亡者")、アーノン・ミルシャン("L・Aコンフィデンシャル")といった実績のある大物プロデューサーが他のスタジオに移籍し、後がまを見つけられないことも大きく影響しているはずです。その他、同じデイリー、セメルの指揮下にあるアメリカ一のレコード・レーベル、ワーナー・ミュージック・グループでは、アラニス・モリセット、今年のスーパーボールでアメリカ国歌を歌ったジュエルといったニュー・アーティストの台頭が目立つ反面、既存のスーパースター、マドンナ、エリック・クラプトン、シールの新アルバム発売は遅れており、ヒット映画不足が原因でサントラ版の売り上げは不調と、全盛期と比べて30パーセントほど収益が落ちています。頼みの綱といえば、人気コメディー“フレンズ”やドラマ“ER/緊急救命室”などを制作する、グループ内で唯一元気なTV部門だけという悲惨な状態です。映画の冒頭で登場する例の“WBロゴ"(写真)には何ともいえぬ郷愁感があるだけ、ハリウッドの栄華の代名詞ともいえるワーナーブラザーズへは、ここらで一新発起して欲しいところですね!





ハリウッドと商品提携

映画を見ていて、スターが飲むソフトドリンクや猛スピードで走る自動車のブランド名に気を取られてしまうのは、プロデューサーとして僕の一種の職業病といえますが、P・P(プロダクト・プレイスメント→商品提携)と呼ばれる映画で特定の商品を登場させる提携ビジネスは、観客の気づかない水面下で華々しい攻防戦を繰り広げているのです。さり気なく見せるセンスのいいものもあれば、いかにもわざとらしい出し方もあったり、製作予算の一部か多量の製品を映画製作へ寄付してくれる見返りとしての事業なだけ、“創造性と商業性の接点”という感のあるP・P、印象的な例をあげてみると・・・・・・


“007シリーズ”(1962年〜)

原作者イアン・フレミングのビジョンどおり、ボンドは常に最高級、最新型の装飾品や小道具を使用し、1962年の“007は殺しの番号/ドクター・ノー”で成功して以来P・Pのアイドル的存在となってきました。最近ベントレーやアストンマーチンに代わって登場したBMW、ブリオニのスーツ、ローレックスの時計、IBMコンピュータなどをはじめ、上映中の“トゥモロー・ネバー・ダイ”ではビザ・カードやエリクソン携帯電話とタイアップしたテレビCMに、主演のブロズナンが出演するほどの気の入れようです。

“スーパーマン・シリーズ”(1978年〜1987年)

大企業から製作へ投資させたかったプロデューサーは、架空の都市メトロポリスのスカイラインをウィンストン煙草やコカコーラなどのビルボードで埋め尽くし、顰蹙(ひんしゅく)をかいました。このトレンドが、近未来都市に所狭しと飾られたバーガー・キングの看板が目立つ“トータル・リコール(1990年)"、レース・カー業界のCMのごとき“デイズ・オブ・サンダー(1990年)”などの作品へと引き継がれてゆきます。

“アメリカン・ジゴロ”(1980年)

自己中心的なヒーローを盛り立てた陰の立て役者は、リチャード・ギアが粋に着こなした数々のアルマーニ・スーツ。以来、ダンディーの代名詞ともなったアルマーニは、映画のアウトフィットばかりでなく、NBA(全米バスケットボール協会)きってのベスト・ドレッサー、元L・AレーカーズやN・Yニックスの監督で現在マイアミ・ヒートを率いるパット・ライリーと契約しており、そのスーツ姿がコートサイドを賑わしています。

“E・T”(1982年)

P・P業界の伝説的な逸話として語り継がれているのが、この映画のエピソードです。森の中でE・Tを誘き寄せるため子供達がチョコレートを落とすシーンを憶えていますか? 当初はM&Mが選ばれていましたが、小粒過ぎるということで急拠少し大きめのリース・ピースへ変更され、映画の大ヒットのお陰で製造元ハーシー社の株は大幅に上昇。

“デモリッション・マン”(1993年)

スライ・スタローンとウェスリー・スナイプスが近未来都市で繰り広げるこのアクション映画では、“タコ・ベル”というアメリカの人気外食産業(メキシコ料理のタコスが目玉商品)の看板が巷に溢れていました。海外向けプリントでは、それがCGを駆使して世界的企業であるピザ・ハットへ入れ替えられたという商業性丸出しのエピソードを残しています。

“フォレスト・ガンプ/一期一会”(1994年)

トム・ハンクス扮するガンプが時のケネディー大統領にホワイトハウスへ招かれた思い出を語る場面で、「大統領に会えた最大の収穫といえば、ドクター・ペッパーが飲み放題だったことかな。確か12本ぐらい飲んだと思う」という台詞を放ち、スポットライトを浴びた清涼飲料水メーカーはP・Pエージェントへ特別ボーナスを出しました。

“トイ・ストーリー”(1995年)

主な登場キャラクターのミスター・ポテトヘッドやスリンキー・ドッグがそのまま人気玩具と結びつく、P・P業界にとっては夢のような作品でした。画期的なCGを担当したピクサー社の新作クリスマス向け映画“バッグズ・ライフ”の虫たちも人気トイに?

“MIB”(1997年)

この映画のP・P担当者は、なんと20種類ものレイバン社製サングラスを衣装デザイナーやアート部門責任者へ提出し、主演のウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズの両者に似合うスタイルを選ばせています。スミスが初めて黒のスーツとレイバンを着用する場面のクローズアップで、「オレとあんたとの違いは、オレが着ると格好いいのサ」という台詞は、スミスの半アドリブ的産物という噂です。

これからも、ますます膨れ続ける商品提携ビジネス、映画鑑賞の際はそちらに気を取られすぎないないよう、ご用心のほどを。





ダウン・アンダー・ブーム

昨年度のオスカーで作品賞候補にも上がり、ジェフリー・ラッシュが主演男優賞を射止めた“シャイン”は、オーストラリア映画であることをご存じのかたも多いでしょう。やはりオーストラリア産で先月封切られた秀作“オスカーとルシンダ”(写真)をきっかけに、このところダウン・アンダー(南半球にあるオーストラリアの呼称)映画界が注目されています。既にハリウッドへ移住して成功したオージー(オーストラリア人の愛称)には、シドニー出身のスーパースター監督メル・ギブソンをはじめ、先月ゴールデン・グローブ賞を獲得、“タイタニック”と並んで今年のオスカー・レース本命と目される“L・Aコンフィデンシャル”で印象的な熱演が光ったガイ・ピアースとラッセル・クロウなどの俳優陣、これまたオーストラリア映画でサスペンスの傑作“デッド・カーム/戦慄の航海(1989年)”でデビューし、それ以来“パトリオット・ゲーム"、"今そこにある危機”や“セイント”といったハリウッド大作を監督してきたフィリップ・ノイス、同じく若き日のメル・ギブソン主演豪州映画“誓い(1981年)”から“刑事ジョン・ブック/目撃者"、"いまを生きる”などの傑作へと出世したピーター・ウィアー監督などがいます。ギャンブルに魅せられた牧師("イングリッシュ・ペンシェント"のレイフ・ファインズ)とビジネス・ウーマン(ケイト・ブランチェット)の絆と夢を19世紀の豪州を背景に描いた“オスカー・・・”は、上記の先駆者たちが辿った道とは少し違うルートで製作されました。というのは、人口1,800万人からなるオーストラリアが最近最も熱を入れているオーストラリア映画投資会社(FFC/Australia Film Finance Corp.)という政府機関のおかげで、この映画は誕生したのです。年間予算約4,000万ドルをおよそ15本の映画へ投資し、ハリウッドの大手スタジオや外国の製作会社との共同製作事業を運営しながら地元映画人の発掘に貢献するFFCが製作した作品といえば、“シャイン”はじめ“ミュリエルの結婚(1994年)"、"ダンシング・ヒーロー(1992年)”など世界的なヒット作も多く、“オスカー・・・"の場合は世界的な文芸賞であるブッカー賞受賞小説の映画化ということで、FFCと20世紀フォックスが500万ドルづつ出し合い共同製作を行いました。“オスカー・・・”の女性監督ジリアン・アームストロングは、“ダンシング・・・”のバズ・ルーマン監督が次作にハリウッド企画“ロミオとジュリエット(1996年)”を選んだのとは対照的で、ウィノナ・ライダー主演のハリウッド作品“若草物語”を成功させた後、故郷の映画界へ舞い戻っていますが、その訳は“オスカー・・・"をハッピーエンドな作品に仕立てようとしたスタジオ(ハリウッド)の意向と合わなかったためだそうです。平均製作予算が4,000万ドルを越えるハリウッドのスタジオ映画とは規模が異なり、平均予算1,000万ドル以下で製作しながら次々と斬新な作品や人材を送り出すオーストラリア映画界。彼らに対するハリウッドの視線はこれからも一層熱くなりそうな気配ですが、日本で地元の映画人材を育むような情操機関が生まれるのは、いつの日のことなのでしょうか?




(1998年2月1日)

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