ボンド映画ポスター

カジノ・ロワイヤル ドクター・ノー ロシアより愛をこめて ゴールドフィンガー サンダーボール作戦 007は二度死ぬ カジノ・ロワイヤル 女王陛下の007 ダイアモンドは永遠に 死ぬのは奴らだ 黄金銃をもつ男 私を愛したスパイ ムーンレイカー ユア・アイズ・オンリー オクトパシー ネバー・セイ・ネバー・アゲイン 美しき獲物たち リビング・デイライツ 消されたライセンス ゴールデンアイ トゥモロー・ネバー・ダイ ワールド・イズ・ノット・イナフ ダイ・アナザー・デイ カジノ・ロワイヤル 007/慰めの報酬 スカイフォール スペクター ノー・タイム・トゥー・ダイ
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1954年   「カジノ・ロワイヤル」 *
"Casino Royale"
1962年   「007は殺しの番号/ドクター・ノー」
"Dr. No"
1963年 「ロシアより愛をこめて」
"From Russia with Love"
1964年 「ゴールドフィンガー」
"Goldfinger"
1965年 「サンダーボール作戦」
"Thunderball"
1967年 「007は二度死ぬ」
"You only Live Twice"
1967年 「カジノ・ロワイヤル」 **
"Casino Royale"
1969年 「女王陛下の007」
"On Her Majesty's Secret Service"
1971年 「ダイアモンドは永遠に」
"Diamonds are Forever"
1973年 「死ぬのは奴らだ」
"Live and Let Die"
1974年 「黄金銃をもつ男」
"The Man With the Golden Gun"    
1977年 「私を愛したスパイ」
"The Spy Who Loved Me"
1979年 「ムーンレイカー」
"Moonraker"
1981年 「ユア・アイズ・オンリー」
"For Your Eyes Only"
1983年 「オクトパシー」
"Octopussy"
1983年 「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」 ***
"Never Say Never Again"
1985年 「美しき獲物たち」
"A View to a Kill"
1987年 「リビング・デイライツ」
"The Living Day Lights"
1989年 「消されたライセンス」
"Licence to Kill"
1995年 「ゴールデンアイ」
"GoldenEye"
1997年 「トゥモロー・ネバー・ダイ」
"Tomorrow Never Dies"
1999年 「ワールド・イズ・ノット・イナフ」
"The World is not Enough"
2002年 「ダイ・アナザー・デイ」
"Die Another Day"
2006年 「カジノ・ロワイヤル」
"Casino Royale"
2008年 「007/慰めの報酬」
"Quantum of Solace"
2012年 「スカイフォール」
"Skyfall"
2015年 「スペクター」
"Spectre"
2021年 「ノー・タイム・トゥー・ダイ」
"No Time to Die"

注: 大半はブロッコリー親子がプロデュースしている以上「28本」のうち、アメリカではTV映画として初公開された*印の処女作、およびアルバート・ブロッコリーが当初独占映画化権を取り損ねた**印と「サンダーボール作戦」のリメイク版である***印の3本だけは彼らと関係ありません。また、ボンド映画が脚光を浴びるのは「007は殺しの番号」のヒットからであり、何かの記事で過去のボンド映画が「25本」とあれば、それら3本を含まず、「27本」とあれば、「・・・殺しの番号」以前は無視した結果の数字というわけです。




人+1人のボンド

バリー・ネルソン:

1954年にイギリスの俳優バリー・ネルソンによって演じられた最初のボンド映画は、イアン・フレミングの処女作「カジノ・ロワイヤル」をTV映画化したものでした。ただし、女王陛下のスパイのはずがアメリカのスパイ「ジミー・ボンド」となっていたり、内容はかなりアレンジされ、今の007のイメージとは程遠いボンドでした。

 
ショーン・コネリー:

彼の演じるボンドこそ007の典型。1930年にスコットランドで生まれ、俳優になる前は有望なボディービルダーでモデルとしても活躍していました。「007は殺しの番号/ドクター・ノー」(1962年)を皮切りに「ロシアより愛をこめて」(1963年)、「ゴールドフィンガー」(1964年)、「サンダーボール作戦」(1965年)、「007は二度死ぬ」(1967年)、1971年にカムバックした「ダイアモンドは永遠に」、そして1983年に再度カムバックした「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」(「サンダーボール作戦」のリメイク)の本で主演し、世界にジェームス・ボンドの名を轟かせました。

デビッド・ニーブン:

1967年に製作されたコメディー版「カジノ・ロワイヤル」は、ニーブン演じる引退した老後のボンドが再び現場に呼び戻されて活躍するストーリーで、なぜかマタハリまで出てきます。また、ウディー・アレンがボンドの甥っ子役で登場したり、もう1人の若手ボンド役ピーター・セラーズやオリジナル・ボンド・ガールであるアーシュラ・アンドレスはじめ、多彩なキャスティングで当時の話題を呼びました。ちなみに、ニーブンの起用は原作者フレミングの希望。

ジョージ・レーゼンビー:

1939年にオーストラリア生まれの彼は、売れっ子モデルとしてロンドンで活躍中ボンド役に抜擢されましたが、演技力のなさと固さから「女王陛下の007」(1969年)1作のみで降板となりました。後にTVヒット・シリーズ「0011ナポレオン・ソロ」が映画化された時、1場面だけアストン・マーティンに乗った彼がジェームス・ボンド役で出演しています。

ロジャー・ムーア:

ロンドンで1927年に生まれた彼は、コネリーと共に最初のボンド選考にも残った実績で温和なボンド役を演じ、どちらかといえば格闘して危機を逃れるより、巧みな話術で敵を騙すダンディーな演技で人気を博しました。「死ぬのは奴らだ」(1973年)、「黄金銃をもつ男」(1974年)、「私を愛したスパイ」(1977年)、「ムーンレイカー」(1979年)、「ユア・アイズ・オンリー」(1981年)、「オクトパシー」(1983年)、「美しき獲物たち」(1985年)の作に主演。

ティモシー・ダルトン:

1946年ウェールズ生まれでシェークスピア劇の舞台出身の彼は、伊達男で気楽なロジャー・ムーアのボンドから、屈強で男らしいボンドに変革させようとしたものの、観客の反響は今一つでした。ボンド映画初のRレイト(リストリクテッド、17歳以下は親同伴)となった「リビング・デイライツ」(1987年)と「消されたライセンス」(1989年)の2作で主演しています。

ピアース・ブロズナン:

1952年アイルランド生まれの彼は、1987年の「リビング・デイライツ」でダルトンと新ボンド役を競いながら、若すぎたことと人気TVシリーズ「レミントン・スティール探偵所」の主演契約から下りられませんでした。オーディションでダルトンへボンド役を譲った直後、彼がフレデリック・フォーサイスの小説を映画化した「第四の核」で演じたのは、ボンドの宿敵KGBエージェントというあたりが皮肉です。そもそも、コネリーのボンド映画に触発されて俳優を目指したブロズナン、「ゴールデンアイ」(1995年)、「トゥモロー・ネバー・ダイ」(1997年)、「ワールド・イズ・ノット・イナフ」(1999年)に続く「ダイ・アナザー・デイ」(2002年)で降板しました。

ダニエル・クレイグ:

1968年にイギリスのチェスターで生まれた彼は、長年、脇役専門で活躍してきたのが、ブロズナンに代わる新ボンド役へ抜擢されて以来、にわかに脚光を浴びています。彼はまた初の金髪ブルーアイズで30代のボンドでもあり、3本契約を交わした1作目「カジノ・ロワイヤル」(2006年)、2作目「007/慰めの報酬」(2008年)、3作目「スカイフォール」(2012年)、4作目「スペクター」(2015年)に続き、5作目「ノー・タイム・トゥー・ダイ」(2021年)の2020年封切り予定がコロナ禍で延期となり、2021年10月にようやく公開されました。


(このページのデータは2021年10月に更新されています)



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