映画とメイク


 ハリウッドには数多くのメイクアップ・アーティストがいる中でも、傑出した存在がディック・スミスと彼の弟子リック・ベイカーだ。そのスミスも今年の7月30日、残念ながら老衰のため92歳で死去した。とにかく、スミス抜きでハリウッドの特殊メイクは語れない。

 ニューヨーク州ラーチモント出身、当初は歯科医志望であったが、19歳の時「ブック・オブ・メイクアップ」を読んでメイクアップ・アーティストを志す。1945年NBCテレビが開局すると、TV界で初めてとなる常勤のメイクアップ・アーティストとなる。当時のTVドラマはすべて生放送であり、スミスは出演者の老けメイクを即興でこなして名を上げた。その後、映画界へと進出し、フォーム・レイテックス(液状の特殊ゴム素材レイテックスをミキサーで撹拌発泡させた後、オーブンで焼き上げ、柔らかいスポンジ状にした物)製のマスクを小さなパーツに分解する「オーバーラップ・アプライエンス」という手法を映画で初めて使用して注目を集める。

 「出獄(1948年)」、「鉄のカーテン(1948年)」、「向う見ずの男(1958年)」などスミスがメイクを担当した初期の映画では、彼の名がクレジットされていない。クレジットされた最初の映画は「恐怖のワニ人間(1959年)」、続いて「アイ・ドン・キホーテ(1959年)」やTVドラマ「月と6ペンス(1959)」を手掛けており、そのころから才能が光っていた。

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「アイ・ドン・キホーテ」のイーライ・ウォラック
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「月と6ペンス」ローレンス・オリヴィエ

 以後、「リクイエム・フォー・ア・ヘビーウェイト(1962年)」、「枢機卿(1963年)」、「マリアンの友だち(1964年)」、「何という生き方!(1964年)」を経て「マルコ・ポーロ大冒険(1965年)」のメイクを務め、「リクイエム・フォー・・・」と「マルコ・ポーロ・・・」ではどちらもアンソニー・クインの顔を作っている。また、次の「マーク・トウェイン・トゥナイト(1967年)」でスミスがメイクを施したハル・ホルブルックも、後年TVドラマ「南北戦争物語 愛と自由への大地(1985年〜1986年)」で再びスミスの腕でリンカーン大統領に変身しているのだ。

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「マルコ・ポーロ大冒険」のアンソニー・クイン
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「マーク・トウェイン・トゥナイト」のハル・ホルブルック

 「アーセニック・アンド・オールド・レース(1968年)」ではフレッド・グウィンの顔を切り刻み、「真夜中のカーボーイ(1969年)」では映画の後半でダスティン・ホフマンの病が悪化してゆく様を見事に表現している。そして、翌年の「小さな巨人(1969年)」で同じホフマンを老けさせたメイクは、業界だけでなく一般の映画ファンへもスミスの存在を知らしめるのだ。冒頭で述べたフォーム・レイテックスのテクニックが開花したのがこのあたりであった。

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「アーセニック・アンド・オールド・レース」のフレッド・グウィン
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「小さな巨人」のダスティン・ホフマン

 それから「血の唇(1970年)」、「ケラーマン(1971年)」、「ゴッドファーザー(1972年)」、「エクソシスト(1973年)」・・・・・・この「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドや「エクソシスト」のリンダ・ブレアのメイクもまた、ハリウッドにおけるスミスの地位を確固たるものとする。ますます多忙となり、「ゴッドファーザー PART II(1974年)」、「ステップフォード・ワイフ(1975年)」へと続く。

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「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランド
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「エクソシスト」のリンダ・ブレア

 ウォルター・マッソウの若返った顔と老け顔が印象的だった「サンシャイン・ボーイズ(1975年)」の後は、ロバート・デ・ニーロのモヒカン刈りのメイクが有名な「タクシードライバー(1976)」、「マラソンマン(1976年)」、「センチネル(1976年)」、「エクソシスト2(1977年)」、「ディア・ハンター(1978年)」、そしてあの「アルタード・ステーツ/未知への挑戦(1980年)」、「スキャナーズ(1981年)」、「ナイトホークス(1981年)」、「殺しのファンレター(1981年)」、「ゴースト・ストーリー(1981年)」と、どの映画のメイクも印象的だ。「ハンガー(1982年)」のデヴィッド・ボウイの老けメイクでは、「小さな巨人」同様フォーム・レイテックスのテクニックが活かされている。

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「サンシャイン・ボーイズ」のウォルター・マッソウ
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「ハンガー」のデヴィッド・ボウイ

 「スパズムス/蛇霊の恐怖(1983)」も視覚的なインパクトは強力だった。そして、翌年の「アマデウス(1984年)」で老サリエリを演じたF・マーリー・エイブラハムの老けメイクが、ついに第57回アカデミー・メイクアップ賞を受賞するのだ。それから「スターマン/愛・宇宙はるかに(1984年)」、先に触れたホルブルックがリンカーン大統領を演じたTVドラマ「南北戦争物語・・・」、「ポルターガイスト3/少女の霊に捧ぐ・・・(1988)」、「熱き愛に時は流れて(1988年)」・・・・・・この時のデニス・クエイドのメイクは、然り気ないが素晴らしい。

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「アマデウス」のF・マーリー・エイブラハム
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「熱き愛に時は流れて」のデニス・クエイド

 黒沢清監督のホラー映画「スウィートホーム(1989年)」では日本映画のメイクへも手を広げ、その後「晩秋(1989年)」やスティーヴン・キングのTVドラマ「ゴールデン・イヤーズ(1991年)」、「永遠に美しく・・・(1992年)」、「フォーエヴァー・ヤング 時を越えた告白(1992年)」、「TATARI タタリ(1999年)」と並行して、1992年から2000年まで代々木アニメーション学院特殊メイク科の講師も務め、弟子にはベイカーの他、辻一弘らがいる。2011年、第84回アカデミー名誉賞を受賞した。

 以上でおわかりのとおり、スミスの歴史はハリウッドのメイクアップ史そのものなのである。彼の弟子リック・ベイカーも負けず劣らずの偉業を残しているが、彼のことはまたの機会へ譲りたいと思う。最後に改めてハリウッド・メイクの巨人ディック・スミスの冥福を祈りたい!

横 井 康 和      


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