チェニジアの夜


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 世の中、いろんな人間がいる。以前、出張でパリ→デュッセルドルフ→ハンブルグ→ロンドンを回った時のことだ。ハンブルグはインターコンチネンタル・ホテルで泊まり、仕事が済んだ後、私はホテルのペントハウス・カジノへ顔を出してみた。

 ラスヴェガス等と違って、ドイツのカジノで一番盛り上がっているのがルーレットだ。私はブラックジャックをやりたくて、1台しかないテーブルが空くのを待つ間、しばらく様子を見がてら、知人のHと立ったまま張り続けた。そこで、ドジなくせ人の張り方に文句ばかりつける黒人がいて、最初は無視したものの、 そのうち、うっとうしくなり始める。彼1人が熱くなるおかげで、全体の流れはどうしてもディーラーのみ有利な方向へ向かう。

 ようやく席が空いたのをきっかけに、私とHは作戦を練った。まず、その黒人を2人ではさみ込み、彼が何を言おうと同意し、徹底的に持ち上げたわけだ。一方、HはHで自分の場へ張る以外、彼が5ドル張れば、そこへ50ドル乗せる。もちろん黙って・・・・・・。

 “リヴァース・サイコロジー”が効を奏し、Hの張り方に「それは違う、違うんだ!」などと文句をつけた男が、いつしか「ここ、どうしようか、引くべきかな?」と、当のHへ判断を仰ぎだすからおかしい。「きみの場なんだよ、好きにするさ」そう言われ、黒人はますます低姿勢でHの顔色をうかがう。私も彼が負けた時は慰め、勝った時は「すごいじゃないか、やったね!」と、あおる。

 結局、我々が入る前は子のほとんどが沈んでいたのに、黒人をノセたあたりで流れは一転した。約30分後、いったんテーブルが閉まる頃、私やHは言うにおよばず、ディーラーを除く全員が浮くと、理想的なエンディングを迎えるのだ。

 ブラックジャック・テーブルを離れた我々は、とりあえずバーで落ち着く。さきほどの黒人がそばを通り際、人なつっこい笑みを投げかける。彼をテーブルへ招き、話を聞くと、なんでもチェニジアの船乗りらしい。私の質問に笑顔で応える態度は純真そのもの、ギャンブル好きの“ドリーマー(夢追い人)”といった体だ。船を下りた船員が、せいぜい1週間かそこらギャンブルに狂ってる・・・・・・話の具合で、てっきりそう思いきや、

  「いつまで、いるつもりだい?」
  「来週ぐらいにでも一発、大きく勝ったら帰る」
  「勝てそう?」
  「ああ、ぜったい勝つよ」
  「で、どれぐらい、この街にいるの?」
  「1年ちょっとかな」

 さりげない言葉だったが、私は思いきりズッコケた。その一言で彼が一生“ルーザー(負け犬)”を続けるのは確実だ。可哀相なようであり、うらやましくもあり、返す言葉がない。涼しい顔で私を見返す男へ「グッドラック!」、辛うじてほほえむ。「きみたちも!」と言い残し、黒人の船乗りは立ち去る。私とHがアングリ口を開け、顔を見合わせた、その表情はご想像いただけるだろう。

 以来、かの名曲“チェニジアの夜”まで、ごろっと響きが変わってしまった、この私なのである。

横 井 康 和        


著者からのお断り 

このエッセイは、“US JAPAN BUSINESS NEWS”の別冊“パピヨン紙”に、“ヨコチンの−痛快−大旅行記”として連載されたものの一部です。


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