アウトバーンの印象


 デュッセルドルフへ着くと、私はまず空港でレンタカーを借りた。どうせアウトバーンを走る以上、デカいやつがいい。メルセデスの500SLに決め、足回りをしっかりとチェックしておく。そして夕方、向った先はカジノがあるアーヘンの街だ。

 デュッセルドルフから車で1時間弱、距離を聞けば200キロ少々だと言う。いくら制限速度のないアウトバーンでも、1時間弱は無理だと思いつつ、とりあえず出発した。ホテルを出て間もなく、アウトバーンへ入るや、グッとアクセルを踏み込む。片側2車線で、思ったより道路幅が狭い。しかし、メルセデスは夕闇を突っ斬り、快調に走る。スピードメーターが時速100キロを超え、200キロへ迫ってゆく。

 しばらく時速210キロ前後で走るうち、最初のスピード感も薄れ、私の五感はすっかり高速に馴染みだす。もっとも、160〜170キロ以上のスピードだと緊張感が維持されるので、体内のアドレナリンはみなぎったままだ。居眠り運転や注意散漫が原因といった事故を起こす可能性は、かえって少ない。当然、ほかの車がマナーを守るからで、これは最低条件だろう。

夕暮れ時のアウトバーンを
疾走する同型のフェラーリ

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 アウトバーンを走り出して30分も経った頃、遥か後方からパッシングライトを点滅させ、追い上げてくる車がバックミラーに写った。私は中央車線を外れ、右の車線へ寄る。その直後、真紅のフェラーリが、ものすごい勢いで追い越してゆく。ケーニッヒあるいはどこのファクトリーが手掛けたにせよ、フル・チューンされていることは間違いない。

 ちょうど、フリーウェイの脇で停まった時、時速100キロ近いスピードで通り過ぎる車の速さを思い浮かべると、感じがおわかりいただけるだろう。こっちは200キロ前後にもかかわらず、ともかくすごい勢いなのだ。また、追い越された直後、運転席の男と隣の金髪がチラリと見えるや、職業柄、つい2人のドラマを想像してしまう私である。

 ま、彼らのドラマは別の機会へ譲り、遠去かるフェラーリのうしろ姿に私が思ったのは、以前、アウトバーンで制限速度が設けられた結果、ドイツばかりかイタリアやフランスの自動車業界から激しく抗議され、再び無制限となったのも無理はないってことだ。

 フェラーリやランボルギーニ、そしてポルシェやメルセデス・ベンツのトップライン・・・・・・いわゆる“エキゾチック・カー”と呼ばれる車が生まれた背景に、アウトバーンの存在は欠かせない。日本車がいくら居住性で世界最高の水準へ到達しようと、高速性の魅力はまだまだ劣る。つまり、ヨーロッパの自動車業界にとってアウトバーンが最後の切り札なら、制限速度はその効力を失くす。彼らが焦ったのは当然だ。

 こうして旅の途中、息抜きのつもりでカジノへドライブするだけでも、いろいろと考えさせられる。ヘッドライトに浮かび上がった路面を眺めながら、世界的な経済状況が沈滞する中、日本は今後、どう進むのか? 自動車産業の未来は?

 かつて、F-1から身を引いたホンダがトヨタに続いて航空機を開発したのは、その技術を自動車へ還元させるためだ。また、三菱の“バイパー”といった怪物まで産みだすようになった日本の自動車産業だが、ベーシックはますますアウトバーンを必要としない方向へ向かうだろう。いや、自動車そのものが、基本的な存在形態を変えてゆくかもしれない。

 ただ、私はオールドファッションなせいか、ホンダのF−1撤退と聞いて淋しがり、アウトバーンを走るとやたら嬉しくなる。アウトバーン、ヒトラーが残した数少ない偉業。張りつめた緊張感の中でゆるむ頬・・・・・・アーヘン到着後、時計を見れば、なんと所要時間は56分・・・・・・それにしても、フェラーリが私を追い抜いた一瞬の印象は鮮烈だった!

横 井 康 和        


著者からのお断り 

このエッセイは、“US JAPAN BUSINESS NEWS”の別冊“パピヨン紙”に、“ヨコチンの−痛快−大旅行記”として連載されたものの一部です。


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