昼下がりのピカデリー・サーカス (上)
香港、ボンベイの後、フランクフルトからパリ、ニース、ミラノと気ままな列車の旅を続け、再びフランクフルトに戻った私が目指した先はロンドンである。パリの滞在が思ったより長くなったため、ほんの2〜3日滞在してニューヨークへ飛ぶつもりで、春うららかなヒースロー空港に降り立つ。
この時、初めてのロンドンとはいえ、けっこう知人がいながら、連絡先を持っていたのはほんの一部だ。そもそも、わずか数日の予定で日本へ帰国したはずが、いろんな事情から世界を一周して帰る羽目になり、L・A(ロサンゼルス)を発つ時点では、ヨーロッパの連絡先まで頭が回ろうか? したがって、一番会いたかったレスリーの連絡先はなく、ハイド・パーク脇のホテルへチェックインするや電話帳を引いたが見つからない。しかし、まだ希望はあった。
誕生日が9日違いのレスリーとの出会いは、アメリカ人の彼女が京都へ来たばかりで私たち2人はまだ十代の若さ、以来、いろいろありながら未だつき合いが続いている。20歳(はたち)を越して間もなく初めて渡米した時、彼女はL・Aに住んでおり、数年後、私がL・Aへ引っ越してみると、イギリス人と結婚してロンドンに移り、今度は彼女のほうが訪れる側となった。最初の10年間はアメリカと日本で会っていたのが、30歳を過ぎるとそこへヨーロッパも加わり、その間、彼女は離婚、私も2度ばかり結婚しかかったものの、結局2人とも現在、独身という次第・・・・・・
レスリーの最近のショット
世界一周の途上、そんな彼女と再会するより更に1年半ばかり遡って、私がハリウッドの「トルバドール」でライブをやった時のことだ。たまたま元マイルス・デイビスの女房で歌手のベティー・デイビスが見に来ており、ちょうどベーシストを探していた彼女は、数日後、知人の伝(つて)でうちへ電話をかけてきた。昔、スライのベーシストであったラリー・グラハムがベースを弾いている関係上、彼女の1枚目のアルバムは馴染んでいたこともあって、しばらく一緒に曲を書いたり編曲したりするうち、偶然、レスリーがL・Aを訪れたのである。
当時、ベティーはサンセット大通りの近くでマンション生活を送っていたのだが、そちらは仮の宿でロンドンが本拠地であった。肌の色は違ってもロンドン住まいのアメリカ女性同士、何かで助け合えればと思って2人を紹介し、彼女たちが互いの連絡先を交換するところを憶えていた私は、ベティーからレスリーの電話番号がわかるかもしれないと期待したわけだ。理由は忘れたがベティーの電話番号だけは持っており、私がロンドンへ着いた前後、彼女もそっちにいるはずだった。
しかし、残された希望も空しく、電話をかけてみると引き払った後で、引っ越し先がわからない。結局、レスリーと会うのはあきらめた翌日、昼下がりの陽光を浴びながらハイド・パークを抜けてピカデリー・サーカスを歩き出す。しばらく行くと洒落たアーケードがあり、中はこじんまりとした、いかにもイギリスっぽい風情の店が並んでいる。ふらりと入った喫煙具の店は、ショーケースに自社銘柄らしきプライヤーのパイプが並び、その一部はグリーンで染色してあるのが珍しい。
色は珍しくてもオーソドックスな型で木目の綺麗なやつを1本選び、包んでもらう間、初めて「バーリントン・アーケード」という名前を意識して気づいたのは、イアン・フレミングから引き継いだ007シリーズを書いているジョン・ガードナーが、作中ボンドへ選ばせた煙草は、たしかここ「H・シモンズ」の特製銘柄・・・・・・改めて店内を見回すと、やはり各種の葉っぱを取りそろえたコーナーがあった。それを自分の好きなブレンドで注文すれば、オリジナルの紙巻き煙草にしてくれるのだ。ただ、そこまで凝る気はないので、あとパイプ煙草を買って、さっさと店を出る。
ピカデリー・サーカスへ出た瞬間、それまでの小春日和が一転、にわかに降りだしたのは雨かと思いきや、様子が違う。パサパサ落ちてくる感じなので、頭を触ってみれば、手のひらへこびり付いたのは水滴ならぬ氷の粒だ。いくら昼下がりのにわか雨がロンドン名物とはいえ、まさか雹(ひょう)が降るなんて! もっとも、すぐ止みそうな空模様なので、雹(ひょう)宿りのため一先ずバーリントン・アーケードへUターンした私は、何気なく数メートル先を歩く男に目をやる。これといった特徴のない、ごくありふれたイギリス男性の後ろ姿が、なぜかレスリーの当時の良人ではないかという気がしたものの、
「いくらなんでも、そんな馬鹿な!」と、心の中で自分自身の考えを打ち消す一方、やはり気がかりだったせいか、
「ロバート!」無意識のうちに彼の名前を呼んでいた。もちろん、前の男は振り向くはずがないと確信を持ちながらだ。したがって、振り向いた相手がロバートその人と知って驚いたのは、むしろ私のほうである。
「おや、ヨコチンじゃないか! こんなところで何をしているんだい?」さり気ないイギリス訛が、こっちのペースまで狂わせ、
「な〜に、今、世界一周をしている途中でね。ちょっと、ロンドンに寄ってみたんだ。昨日、着いて連絡したかったんだけれど、連絡先を忘れたので、ちょうど良かったよ。ところで、ロバートこそ、ここで何をやってるんだい?」気持ちとは裏腹な言葉が口をついた。
「僕の店はそこなんだ」と、涼しい顔で応えながら2〜3軒先を指さす。斜め向かいが、さっきパイプを買ったH・シモンズである。そして、私のほうへ視線を戻した彼の質問は言うまでもなかろう。
「よかったら、少し寄って、お茶でも1杯どう?」
イギリスにいることを改めて実感した一瞬だ。 (続く)
横 井 康 和
このエッセイは、“US JAPAN BUSINESS NEWS”の別冊“パピヨン紙”に、“ヨコチンの−痛快−大旅行記”として連載されたものから抜粋し、加筆再編したものです。 |