シカゴで翔んだ日


 まだプロダクション業務に携(たずさわ)わっていた頃、ずいぶん仕事で旅をしたが、楽しい思い出はほとんどなく、冷汗をかいた出来事ならいくらでも浮かぶ。仕事である以上、しょうがないと自分では割り切っていたのが、おもしろいもので、しばらく歳月を経ると、苦々しい記憶ほど懐かしく思い出される。

 当時、アメリカ50州のうち撮影で訪れた15州でも、何度か訪れて馴染んだ都市がいくつかあり、シカゴはその1つだ。何度目だったか、3週間ほどのロケに行って空撮をやった時のハプニング・・・・・・そもそも高所恐怖症の傾向がありながら、すぐ「高いところへ登りたがる」性癖の私は、ヘリの撮影があれば心ウキウキ、気はそぞろ・・・・・・と同時、いつも何かが起こる。ニューヨークで貿易センター・ビルの横を飛びながら激しい乱気流に見回れたり、同じようなことはナイアガラの滝やグランド・キャニオン上空でもあった。

飛行中のMD500
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 こうして、たいがいの原因が空気の悪戯なのに、シカゴの場合だけは、やや趣(おもむき)が違う。まず、ヘリを予約した空港へ着くと、待ち受けていたのは少しくたびれたMD(マクダネル・ダグラス、元のヒューズで現在はボーイング)の500シリーズ、副操縦士席の前に据(す)えつけられた小型のモニターTVが空撮用のヘリであることを物語っている。後ろのカメラマンが撮っている映像を、本来はそこへ座ったディレクターがチェックするためのものだ。しかし、座ったのは私なので、なくても平気な反面、後ろのカメラマンが乗り出して撮るためのハーネスはあれば役立つのが、そっちは別のヘリが使っていてない。そこで、後ろのドアだけ外し、カメラマンとカメラへ命綱を付けると、さっそく飛び立つ。

 細かい打ち合わせは終わっているため、最初の予定地に着くまで、軽い気分でヘッドセットを通じてパイロットと世間話をしながら、早朝の澄みわったシカゴ上空を突き進む。郊外から都心へ向かって、いくつかのポイントを予定通りこなしながら、いつになくスムーズなペースで撮影が進むうち、世界1の超高層ビル「シアーズ・タワー」へ接近してゆく。近づけば近づくほど、地上から見上げるのとはまったく違う存在感がある。

 どんどん接近するビルと、カメラを通した映像をモニターTVで見比べつつ、シアーズ・タワー屋上の塔は、もう手が届きそう・・・・・・その時、「アッ!」と叫ぶカメラマン、反射的にモニターTVへ目をやると、映像は縦1本の細い線に縮んでいる。ベテランのカメラマンが初めての経験でパニック状態となったおかげで、私までパイロットへ、

 「離れろ、早くビルから離れろ!」と叫んでいた。なぜ離れろと言ったかわからないが、少し離れただけでモニターTVの縦の線は画面一杯に広がり、元の映像となる。パイロットも地元の人間で空撮専門でありながら今までなかったことらしく、たまたまカメラマンの隣のVE(ビデオ・エンジニア)を含む4人とも好奇心が強かったせいか、原因を追求し始める。

 カメラマンはカメラマンで、ナカミチ(ビデオ・カメラ)のファインダーを覗(のぞ)きながら、
 「ねえヨコチン、もう1度、ゆっくりと近づいてもらってくれる?」
 その横でVEが先輩格のカメラマンへ、
 「カメラの向きを変えてみたらどうでしょうか?」

 本来はただの付き添いとして乗っただけで、これといった役目のない私が、こうなると俄然(がぜん)、はりきり出す。クルーを代表し、いきなりパイロットへ、あれやこれやと指示をしながら、近づいたり離れたり、シアーズ・タワー屋上のTV塔周辺を飛び回るヘリコプター、まるで食卓の料理にたかる蠅だ。わずか数分とはいえ、撮影を中断して未知への挑戦が続く。機上の4人は全員、きっと冒険に憧れる夢多き少年時代があったのだろう。ただ、よくよく考えれば、シカゴまで行って、いったい何をしていることやら?

 ともあれ、原因は間違いなくビデオ・カメラへの電波障害で、電波がカメラの角度に重なった時、一番影響を受けると判明した。つまり、カメラの構造上、横からの電波障害は、さほど影響しない。TV塔へある一定の距離まで接近すると、モニターの画像が縦1本の線になる。しかし、被写体(TV塔)へ向けたレンズをほんのわずか逸(そ)らすだけで、元の画面に戻るのだ。われわれは電波障害の及ぶ範囲やカメラがその影響を受ける微妙な角度の違いなどを、ひととおり把握してから、ようやく次の撮影現場へ向かう。

 予定通り撮影を完了し、念のためカメラはチェックに出して電波障害の影響がないことを確かめた後は、もはや過去の些細な出来事でしかない。しかし、時間が経てば経つほど、なぜかこの思い出は記憶の中で浮がび上がり、今でも鮮明な印象が蘇(よみがえ)る。目前へ迫るシアーズ・タワーに胸は躍り、カメラマンが「アッ!」と叫ぶ瞬間は、昨日のことのようだ。そして、「シカゴで翔んだ日」を想い返すたび、人生が続く限り「少年の夢」だけは忘れない人間でいたいと願う!

横 井 康 和        


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