映画と旅行


 映画は旅行のシミュレーションだ。銀幕を通じて世界各地を訪れたり、地球を飛び出して宇宙の旅を楽しめるばかりか、未知(ファンタジー)の世界へ心を翔(と)ばしてくれる。私がまだ物心つくかつかない頃から、映画も旅行も好きな親父は、ほぼ年1回のペースで日本各地を家族旅行、また時間があれば私を映画館に連れて行ったせいか、十代の終わり頃から私の人生は旅と映画が人一倍身近なものとなった。

 当初の映画で今も印象に残っているのは、19世紀後半のフランスが生んだ偉大な作家ジュール・ベルヌの“海底2万哩(1870年)”や“80日間世界一周(1873年)”を映画化した同名の作品と、どちらもテーマは旅行だ(映画化が、それぞれ1954年と1956年)。その後、およそ10年を経た中高校生(ハイスクール)時代は、見る映画も随分変わったが、この頃では“グレート・レース(1965年)”やイアン・フレミングが007シリーズの片手間に書いた唯一の童話を映画化した“チキ・チキ・バン・バン(1968年)”あたり、感触は似ていたような気がする。

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 ちなみに、私と映画の原体験は幼少の頃が1つ、もう1つは中学3年の時だ。当時、私の同級生で京都の大手パチンコ屋チェーンの息子がいた。パチンコ屋の他、映画館も経営する父親は、同業者間で便宜を図るための視察証というプラスチック・カードを持っており、これさえ見せればフリーパスで京都中の映画館へ入れる。映画そのものと無縁の父親から、そのカードを借りた息子が、これまたほとんど映画を見ない。そんなわけで、私は何の気なしにカードを又借りし、すぐ返すつもりが延びてゆく。結局、1年以上は愛用させてもらったはずだ。

 学校の帰り、映画館へ立ち寄るのはしょっちゅうで、週末など朝から晩まで映画を見っぱなしの日もあった。そうなると、何を見たのか、いちいち憶えてられず、ノートに題名(タイトル)だけ記録し始める。それが頁をどんどん埋め尽くし、1年後に数えてみたら400本を越していたのだ。その年を除き、短期間でこれだけ多くの映画を見たことはない。今こうして“ハリウッド最前線”をお届けしているのも、それが無縁ではなかろう。

 話を旅行に戻し、先のフレミングといえば、“007シリーズ”が成功した大きな理由は、やはり世界各地が舞台となっていることだろう。観客は居ながらにしてジェームズ・ボンドと世界中を旅することが出来るのは、それまでのアクション・ヒーロー物とひと味違うパターンであった。その流れを継いでいる典型が“インディー・ジョーンズ・シリーズ”だ。そして、同じジョージ・ルーカスでも“スター・ウォーズ・シリーズ”の場合、旅のスケールは宇宙規模へと広がってゆく。

 旅行が行く場所で決定されるのは当然だが、そればかりではない。「いい旅」かどうかが重要なのである。同じ旅を楽しめる人もいれば楽しめない人もいるように、これは主観の問題だ。私が好きな作家A・J・クィネルの“メッカを撃て”で、KGBはMI6の「ナンバー2」が何をやっているか、つまり彼らの計画を探るため、1人のバレリーナを「(スパイ)」として西側へ送り込む。彼女を送り出す寸前、KGBエージェントは言う。

 「その時間でもストランド街にはたえずたくさんのタクシーが通っている。運転手に彼の名刺を見せればいい。せいぜい十分の旅だろう」
 「いいえ」と彼女は呟いた。「わたしには一生の旅だわ    大熊 栄訳

 結局、相手のMI6エージェントを愛した彼女にとって、それが「帰らざる旅」となってしまう・・・・・・と、まあ人それぞれ物事の感じ方は違うってことだ。ちなみに、“メッカを撃て”が映画化されれば、このバレリーナの台詞はなかなか決まりそうである。私の脳裏で、ふとハンフリー・ボガートらしきKGBエージェントとイングリッド・バーグマンらしきバレリーナの“カサブランカ”っぽいシーンが浮かぶ(ただし、2人のイメージは、このシーンに限ってだが)。

 ともあれ、映画を旅行のシミュレーションと捉えるなら、旅行は人生の縮図だ。いや、人生そのものが1つの旅かもしれない。そこでは「心の旅」という、また別の旅があり、浮かんだり沈んだりしながら我々は一生を全(まっと)うする。誰だって幸せな人生を送りたいと願う一方、幸せのバロメーターとなるのが不幸せだ。幸福と不幸は表裏一体を成す。不幸せな体験があればあるほど幸せを実感できるわけだ。

 「心の旅」といえば、思い出すのは「'60年代アメリカ」、同じ旅行がテーマの“イージー・ライダー(1969年)”などは世相を反映してか、その中でも「心の旅」の色彩が濃い。そして時代は代わり、ケン・ラッセル監督の名作“アルタード・ステーツ/未知への挑戦(1980年)”に至るや、もっぱら「心の旅」がテーマだ。“アルタード・・・”の主演ウィリアム・ハートは、今春公開作“ロスト・イン・スペース”で異次元の宇宙へ旅立つが、彼の演じるロビンソンはオリジナルのTVシリーズと比べ、哲学的な役作りが特徴であった。

 どのような旅であれ旅行は旅行、向かうのが心の内であれ外であれ、旅する以上、それを楽しまないと損である。旅の途中、不愉快なハプニングが起こることだってあるだろう。人によっては些細な出来事がいつまでも尾を引く。そうすると、せっかくの旅行気分はぶち壊しだ。また、人によってはさっと気分を転換し、済んだことをくよくよしない。行楽地への旅行から人生という長い旅、そして様々な場面で生じる「心の旅」まで、すべてにわたってこれが言える。

 行楽地のハプニングは、それが事故なら大変だ。人生という旅で直面する問題は、対処のし方が悪いと後の人生へ響く場合だってあろう。「あの時、ああすれば・・・・・・」と、後悔した経験は誰しも持っているに違いない。その点、気軽なのが「映画の旅」、エンターテイメントの形態では小説音楽同様、受け取り型次第でそこに秘められたエネルギーが日常的な精神生活へ及ぼす貢献度は多大だ。中でも小説、音楽などあらゆる要素が含まれる映画は、総合芸術といわれるだけに幅が広い。

 芸術大作からB級映画、はたまたポルノの世界と、カテゴリーだけでもピンからキリまである中で、テーマは千差万別、それぞれ名作から駄作がずらりと並ぶ。これらのバライティーたるや想像を絶する。どれを選ぶかは、その時々で違うにせよ、見終わって気分が良ければメッケモノ、何も感じなくて元々、もし感動しようものなら、ありがたいと思うべきだ。感じる映画は自分と通じる何かがあるわけで、名作駄作は関係ない。自分がいいと思う映画を、たとえ世間は最低と言おうが、裏返せば、そこから何かを獲られる自分の感性は獲られない他人より優っていると解釈できる。

 映画ばかりか、何事においても「物は考え様」だ。なかなか吹っ切れなかった事が、突然どうでもよくなったりする。それまで後ろ髪を引かれていたのが不思議なぐらいの心変わりなのに、囲りの状況は何も変わっていない。ただ、自分の気持ちが変化しただけだ。とはいえ、なかなかコントロール出来ないのが気の持ち様である。思い通り自分の意志をコントロールしたければ、日頃から心がけるしかない。目に見えるような結果は期待せず、こつこつと努力を積み重ねることで、少しずつ旅が楽しくなってゆく。

 そんな気分で「映画の旅」を楽しみつつ、みなさんも悔いのない人生を送られるよう!

横 井 康 和      


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