ルート66 (その2)
テキサスの牧場にて
無事セントルイスを出発したわれわれ一行は、第2部の舞台である中西部へと向かう。スケジュールがハードなわりに、ゲストの宇崎竜童・阿木曜子夫妻は疲れを見せず、がんばっている。その宇崎が第2部で「ルート66」を歌うオクラホマのバンドは、ディレクターのIとロケハン中、すでに打ち合わせ済みだ。
オクラホマのバンドというのが、じつは私のバンド“パルス”でキーボードとサックスを担当するボビーの兄弟がリーダーであった。予算の関係上、Iは地元のトップ40(クラブ)バンドを使いたいということで、オクラホマ出身のボビーに兄弟を紹介してもらい、彼らが仕事をするところへ便乗した撮影・・・・・・という筋書は、いい感じにまとまりそうである。
そんなわけで他の撮影へ専念し、いよいよオクラホマの「カントリー・バンド」を撮る番が回ってきた。われわれは準備を整え、ボビーの兄弟から聞いた場所に着く。しかし、着いてみると、どうも様子が違う。カントリーはカントリーでも、ゴルフ場の「カントリー・クラブ」なのだ。たまたま、そこが演奏場所であったらしく、演奏するのはカントリー・バンドだから大丈夫だと判断したらしい。
もし、その「カントリー・クラブ」が絵になれば問題はないのだが、カントリーらしさの微塵もなく、結局、第2部の演奏シーンはテキサスへ着いてから撮ることになる。体育館のようなバカでかいテキサスのクラブを使ったほうが、むしろ絵になりそうなので、オクラホマの「カントリー・クラブ事件」は、どちらかといえば小咄(ジョーク)のネタとして残った。
テキサスへ着き、演奏シーンを含めて順調に撮影が進む。テキサス州の広報課へ頼んでおいた牧場は、グランド・キャニオンの小型版まである、おそろしい広さだ。見晴らしのいい丘でオーナー自ら野外料理の腕を振るい、それに舌鼓をうつ宇崎・阿木夫妻や乗馬の腕を披露する宇崎をカメラが追う。私自身、この旅では初めて、野外料理や乗馬が満喫できるだけの余裕を持つ。
こうして第2部もほとんど撮り終え、テキサスを発てばあとはニューメキシコからの第3部を残すのみだ。荒原でテキサス最後の撮影中、飛行機の時間が迫ってくる。もう少し撮りたいという一行を残し、私はレンタカーを返したり搭乗手続きの準備をするため、一足先に空港へ向かう。そうしないと、まず間に合わない時間なのだ。
空港で受け入れ態勢を整えたものの、一行の姿が見えない。刻々と時間は過ぎ、とうとうわれわれが乗るはずの飛行機は飛び立ち、後の便がない。待ちながらチャーター機を捜す。小型なら2機はいるだろう。しかし、小さな飛行場の中をひととおり調べてわかったのが、どのような飛行機であれ翌朝まではないという厳しい現実である。現状が把握できた後は悶々と一行を待つ。そして、ようやく彼らが姿を現わすのは予定より1時間以上経ってからであった。
文句を言っても始まらないと知りつつ、Iの姿を見るなり、
「あれほど言っておいたのに、なぜ遅れたんですか? 飛行機が出て、もう1時間以上経ちますよ!」
「ごめん、ごめん! だけど、撮るものは撮らないといけないし・・・・・・」
「じゃあ、泊まるところを探して、明日1番の便で飛びますか?」
「いや、そんな時間の余裕はない」
「しかし、チャーター便がないのに、どうするんです?」
「それはヨコチンがなんとかしてくれると思っているんだけど・・・・・・」
「そう言われても、このままレンタカーを返さず走り続ける以外、手はありませんね」
「じゃあ、そうしよう」まさかと思って聞いたつもりが、結局、そのとおりになってしまう。ただ、セダン2台とバン1台を借りたうちのセダン1台は撮影用であり、走り続けるとしたらゲストの宇崎自身が運転しなくてはならないのだ。幸い本人に異存がなく、われわれは西へ向かって夕暮れの「ルート66」を駆ける。トランシーバーで連絡を取り合いながら、ただひたすら走る。
深夜を回って2〜3時間経つ頃、ようやくテキサスとニューメキシコの州境を越えて翌日の予定が何とか見えてきた。そろそろ体力の限界でもあり、われわれは国道沿のモーテルをチェックイン・・・・・・ベッドさえあればいいというのが、その時の心境だ。部屋はいかにも西部の田舎町風情で、床下がない造りは異様ながら、それを実感している余裕などない。
こうして第2部の幕が下りた頃、地面がそのまま床というこの西部のモーテルはほとんど印象になかった。しかし、時間が経てば経つほど部屋へ入った瞬間はくっきりと浮かび上がってゆく。その後、世界を一周しながら見知らぬ土地で印象深い想いをすればするほど、ニューメキシコのモーテルが自己主張をし始める。いま振り返ると、床下のない部屋に受けたショックは「ドサクサの旅」を象徴しているかのごとくだ。そして、まだ旅が続く。 (続く)
横 井 康 和