風の街 (下)


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ジョンハンコック・センター
 このシカゴ・ロケは長かっただけに、「木の上の家」以外、いろいろな思い出がある・・・・・・父親であるヒュー・ヘフナーからプレイボーイ・エンタープライズを引き継ぎ社長へ就任したばかりのクリスティーヌ・ヘフナーは、同い年ということもあってか印象的な出会いであった。メカニックが好きな私には、シカゴ警察自慢の電話システムしかり。

 また、電話ボックスが入口という禁止法時代からオリジナルのまま残されたバーは、中が図書館のような造りで、ウィスキーを瀬戸物のコーヒー・マグで出す。ただし、今は出入口だけ別にある。狭い電話ボックスで合言葉を言えば、壁の一部が開いて中へ入れるというのでは、たとえ合言葉抜きでも面倒だ。そうまでして酒を飲んだ昔の人が偉い!・・・・・・などと感心させられた。

 バーと並んで、レストランでは、たぶん全米でここだけというユニークなステーキ・ハウスを取材したのも印象深い。前もって予約さえ入れておけば、ライオンや熊から鰐(わに)や蛇まで、ありとあらゆる動物の肉を食べさせてくれる店だ。動物の種類によって仕入れが大変なものは、それだけ早く予約を入れる必要がある。ただ、この店の客はどうあれ、我々スタッフの誰1人として食欲をそそられた者がいない中、カメラの前で食べざるをえないレポーターの姿へ、プロの根性を見たのは忘れられない。

 その他、前回「風の街 (上)」で触れたとおりウィスコンシン州からインディアナ州まで足を延ばした時の思い出もある。それらをひっくるめて、「木の上の家」と並び、まず脳裏へ浮かぶのがミシガン通りにそびえ立つ高さ334メートル、100階建のジョン・ハンコック・センターだ。

 世界の高層建築トップ20の中では1970年以前に建った唯一のビルであるジョン・ハンコック・センターは、1969年の建造以来、今でもシカゴ名物として地元の人々から愛されている。1階から5階までが店、6階から12階が駐車場、13階から41階がオフィス、44階から92階がマンション、そして93階から100階がTV塔、展望台、レストラン、機械室という構成は、高層建築の中でも珍しい。

 我々が興味を引かれたのは、その中でも44階から92階の居住空間(マンション)だ。いったいどういう人間が住んでおり、どういう生活を送っているのだろう?・・・・・・というわけで、シカゴ市広報課の担当者へ取材をさせてくれそうな住人の紹介と撮影のアレンジを頼んだ結果、ある弁護士夫婦の住まいを訪れることになった。ジョン・ハンコック・センターへ着き、44階までは専用の直行エレベーターを使う。44階で乗り換えるべく、巨大なスーパーマーケットを横目にマンションのエレベーター・ホールを目指す。

 アメリカの標準と比べれば、かなり狭い廊下を進み、目指すマンションに着いた我々を、弁護士夫婦があたたかく迎えてくれる。中はちょうど日本の高級マンションと変わらない広さだ。つまり、廊下同様、アメリカの標準からして、そうとう狭い。弁護士夫婦から話を聞いたところ、決して広くないこのマンションへ入るため、申し込んでからかなり待たされたと言う。空きを待つ者のウェイティング・リストが長いのも、なんとなく日本の住宅事情を彷彿とさせる。

 当然ながら値段は安くなく、弁護士夫妻がジョン・ハンコック・センターへ入居するまで住んでいた家の写真を見せてもらうと、驚くばかりの豪邸であり、値段的にその豪邸とこのマンションは変わらないらしい。もし、どちらかを選べと言われたら躊躇なく豪邸をとるであろう私の場合、彼らが長いウェイティング・リストの順番を待ってまでここへの入居を望んだことに驚かされた。

 驚かされたのはそればかりでなく、ともかくユニークな生活環境なのだ。これだけ高いと外の気圧が下がるため、ビル内は住みやすいよう気圧を上げてある。そうすると、窓を開けた時、中の空気が表へ流れだす。窓辺でハンカチを手にすると表へたなびくという現象は、じっさい目の当たりにすれば、かなり異常な光景だ。まして、出社前に窓の外が晴れていようと、地上は雨降りで傘を取りに戻ることもあると聞いて思うのが、やはり雲の上で生活する人間は違うんだなぁ!・・・・・・

 こうして「雲上の生活」を垣間見た私は、いろいろな人間がいて、いろいろな生活があるものだと感心しつつ、再び地上へと舞い降りてゆく。(完)

横 井 康 和        


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