ニューヨーク・ニューヨーク (その1)
私が初めてニューヨークを訪れたのは1977年の夏、ロサンゼルスへ引っ越して1年ちょっと経った頃だ。その直前、桑名正博が大阪で「ゴーストタウン」というライブハウスを開き、オープニングに駆けつけた私は彼から「ニューヨークのライブハウスを視察してきてくれないか?」と聞かれたのがきっかけである。
背後にそびえる貿易センター・ビル視察といってもライブハウス側の予算はせいぜい往復の飛行機代程度の余裕しかなかったが、私はそれまで西海岸から出たことがなく、二つ返事で引き受けた。L・A(ロサンゼルス)に戻って当面の用事を済ませるや、ともかくニューヨークへ向かう時点で予定は何も決まっていない。幸い季節が夏なので、着替えは少なくて済む。荷物といえば、1週間分程度の着替えとライブハウスの資料が入ったショルダーバッグ1つだけだ。
早朝の便を使っても、時差の関係で着くのは夕方である。まず、ニュース・スタンドで「ビレッジ・ボイス」を買ってから陽があるうちに探索がてらセントラル・パークをぶらつく。奥のほうまで入って行くと、ほとんどひと気はない。雑草が生い茂り、人を襲うなら手ごろな隠れ場所だらけ、暗くなればかなり物騒な雰囲気だ。ただ、考えようでは野宿するのに最適の場所ともいえよう。そのまま歩いてゆくと、再び公園らしい風情の開けた場所へ出る。
ベンチに腰かけ、「ビレッジ・ボイス」を広げて今夜のショーを検討しながら、ほぼ予定が決まった後、タクシーを拾ってビレッジ(グリニッジ・ビレッジ)を目指す。演奏(ライブ)の始まる時間まではしばらくあるが、目的はライブハウスの視察であり、店で出す食べ物をチェックすることもその範疇というわけだ。それから地元のバンドが出ているライブハウス3軒を梯子しながら夜は更けてゆく。深夜を回って、アルコールが回っても、初めてのマンハッタンで気は昂(たか)ぶり、最後の店を出た後、まだモーテルか安ホテルを捜して寝る気分じゃない。
深夜のマンハッタンをブラブラと歩き出した私は、ブロードウェイを通り過ぎ、気がつくとセントラルパークへ出ていた。そこで、ふと夕方通りかかった場所を思い出し、いっそ野宿するか!?・・・・・・と、危険な考えが脳裏を過(よ)ぎる。今から25年前のロサンゼルスやニューヨークは、日本と比べて相当危険な街だ。知り合いのほとんどが物を盗られた経験の1つや2つはあり、私自身、いつもナイフを持ち、一歩表に出るとポケットの中でそれを握りしめ四方へ目を配る。ばかりか、当時の私は荷物があっても可能な限り左手で持ち、右手はポケットに入れて歩くのが常だった。
もちろん、夜のセントラル・パークは危険という認識がありながら、まだ若かった私は「襲う人間」の立場で行動すれば大丈夫と軽薄な判断を下したのか、無人の公園に入るやポケットのナイフを握り締め奥へ奥へと進む。何事もなく夕方見た場所まで辿(たど)り着き、月明かりの下で辺(あた)りを探ると、木立に囲まれたちょうどいい空地(スポット)がある。そこへ横たわった私はショルダーバッグを枕代わりに、しばらく「獲物」が来るのを待つ「襲う人間」よろしく五感を澄ます。
いつしか寝就いてからは意外と熟睡したらしく、翌朝目を覚ますと気分爽快だ。セントラル・パークの中で洗面所を探し、まず顔を洗って歯を磨く。そして、昼間の街並みを眺めながらブラブラと南へ向かう。ヒューストン通りを越すとビレッジがある。ちなみに、ヒューストン通りの南側(South of Houston)を略して「ソーホー」と呼ぶ。この一帯のロフトは、多くのアーティストがスタジオ兼住居として使っているので有名だ。
なんとなく、それらのアーティストの溜まり場といった風情の「カフェテリア」を見かけ、私はそこで朝食を取ることにした。入ってみるとウェイターの1人が日本人で、(25年前のソーホーだと)同郷の客は珍しいせいか、親しげに話しかけてくる。聞かれるまま、私がL・Aで住むミュージシャンであること、1年ちょっと前までは日本でミュージシャン活動を行っていたこと、「ファニー・カンパニー」というバンドを一緒にやっていた桑名正博が日本で売れつつあること、その桑名との関係でニューヨークへ来たこと、ニューヨークは今回が初めてであること・・・・・・などを話すうち、相手は興味を引かれたらしい。
ソーホーの夜更けいっぽう、彼の話でそこがかつてヘミングウェイなども常連の、なかなか由緒ある店だとわかる。また、店にはもう1人の日本人が働いており、2人とも大の音楽ファンなのだ。結果、時間さえ空いていれば、ライブハウスの視察はどちらかが案内してくれる上、もう1人はロフトに住んでおり、そこへ寝る場所ならじゅうぶん余裕があるからホテルは引き払えばいいとまでいう。
その数日後に無事ライブハウスの視察が終わったのは、彼ら2人のおかげである。同じく、桑名が「ゴーストタウン」の経費をロサンゼルス・ニューヨーク間の往復チケット代だけで済ませられたのも、彼ら2人のおかげである。加えて、2人は夜の案内ばかりでなく、ニューヨークが初めての私へ昼間は昼間でいろいろと案内してくれた。それも、いわゆる観光案内と違って、たとえば「フェリーからマンハッタンを見るのが好きなんだけれど、最近は乗っていないから久し振りで乗りたいな! どうです、乗りに行きませんか?」という具合なのだ。フェリーの甲板で撮った冒頭の写真を今見ると、背景の貿易センター・ビルへやや複雑な心境になるが・・・・・・
以来、何度も通ってすっかり馴染むマンハッタンも、やはり初体験の印象は強烈だ。そして、当時の写真に写った貿易センター・ビルより、もっともっと複雑な心境を覚えるのが、ニューヨーク・デビューの第1夜をセントラル・パークで野宿した体験である。'80年代〜'90年代は「ワルドーフ・アストリア・ホテル」や「プラザ・ホテル」へ泊まるようになって、その想いがますます募ってゆく。 (続く)
横 井 康 和