ニューヨーク・ニューヨーク (その2)


 '70年代の終わり頃から音楽活動と平行してプロダクション業務を始めた結果、撮影などで全米各地を旅する機会が増え、中でもニューヨークはL・A(ロサンゼルス)に次いで馴染みのある街となってゆく。いま思い出すと随分いろいろな出来事があり、かつて「シカゴで翔んだ日」で触れたように、貿易センター・ビルの横を飛びながら激しい乱気流に見回れ、冷汗をかいたこともあった。

 また、ヨーロッパの帰りに立ち寄った思い出も少なくない。初めて世界一周旅行をした時は、「昼下がりのピカデリー・サーカス」で触れたとおり小春日和のロンドンで雹(ひょう)が降ってきたかと思えば、ロンドンを発ってニューヨークへ着くと、いきなり雪に見舞われる。その前日までは初夏の気候だったのがだ。この時は友人のアーティストGが住むロフトへ泊まり、夜は雪の中をGとケン・ラッセル監督の名作「アルタード・ステーツ/未知への挑戦」を見に行く。

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国連ビルの前にある銃
身を結んだ拳銃の彫刻
 数日の予定で帰国したのがビザの問題で9ケ月となり、世界一周後ようやくアメリカへ戻れた初日である。突然の雪でほとんどひと気のないマンハッタンを、ドリュー・バリモアのデビュー作でもあるこの映画を見に行ったのは奇妙な記憶として頭から離れない。

 そして、「コンドルは翔んでゆく」で書いたとおりロンドンから3時間でニューヨークへ着いた後も、何日かマンハッタンに滞在するはずが、この時は途中で予定を変更してラスベガスへ移動した。というのも、ニューヨークに着いた私とHを迎えるため、当時の私のガールフレンドであるシンシアがロサンゼルスから、HのガールフレンドであるMが日本から来て合流したのである。

 シンシアはMと顔見知りであり、無事4人が合流し、まずはマンハッタンのヒルトン・ホテルへ落着いた。この4人で前後して日本の温泉旅行もしているが、ともかく女性2人は気が強い。4人で旅行していると盛り上がる一方では、どちらかのカップルが常に喧嘩をしている。ヒルトンで落着いてからも、さっそくこのパターンなのだ。結局、2日目だっただろうか、日本に帰ると言いだしたMをなだめ、我々4人は気分を変えるためラスベガスへ向かう。こうして短期間のマンハッタン滞在であったが、忘れがたい思い出となった。

 忘れがたいといえば、「ガン・パーソン(銃愛好家)」である私にとって、国連ビル前の巨大な回転式拳銃(リボルバー)の銃身を結んだ彫刻は漫画っぽくて、いつ見ても頬が緩む。当然ながらコンセプトは「銃反対」であるが、一歩突き詰めると根本的な思想は「銃をもって銃に反対」、つまりアメリカの「開拓精神(フロンティア・スピリット)」と共通する部分があり、銃と無縁なところでこのような彫刻は生まれない。

 そのニューヨークも、いま振り返ってみると観光旅行が目的で訪れたことはほぼ皆無だ。初っ端から、せいぜいライブハウスを視察ついでの観光という程度で、このパターンは現在に至るまで続く。おかげで、自由の女神の中を登った経験こそないが、ますますマンハッタンへ生活の匂い嗅ぐようになる。

 こうしてマンハッタンと馴染めば馴染むほど、L・A(ロサンゼルス)在住の日本人探偵物語「遠藤健シリーズ」の舞台にもこの街を使い始め、その勢いでとうとうニューヨーク在住の日本人新聞記者物語「斉藤妃佐子シリーズ」まで書く羽目となった。そうなると不思議なもので、それを知っている日本の知り合いからは、
 「来月、ニューヨークへ行こうと思うんだけれど、今どこが面白い?」などという質問まで舞い込む。すると、相乗効果で、ますます身近な存在となってゆく「ニューヨーク・ニューヨーク」・・・・・・! (続く)

横 井 康 和        


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