映画と女流スナイパー
ジェームズ・ボンド・シリーズといえば新作が来年(2005年)11月の公開を予定しており、主演はピアース・ブロズナンが契約を更新して5度目の登場となる。いっぽう、ブロズナンの前のティモシー・ダルトンは生憎2作で降板となったが、その1作目「リビング・デイライツ(1987年)」は評判がどうあれ個人的に好きな1本だ。
東側の狙撃手を演じる
マリアム・ダボこの「リビング・・・」はイアン・フレミングが書いたオリジナル・シリーズの映画化として最後の作品でもあり、「ベルリン脱出(原題:The Living Daylights)」という短編から膨らました原作の内容は映画とかなり違っている。原作の場合、西ベルリンへ脱出しようとするMI-6(英諜報機関)のスパイ272号を狙うソ連の狙撃手トリガーを消すのがボンドの任務で、その間のいわば心理小説といえるだろう。
西ベルリンで待機するボンドは、東ベルリンの路上を行く楽団を目にし、楽器ケースを持った美しいチェリストへ心を奪われる。そして、いよいよ272号が脱出しようとする瞬間、彼を狙うトリガーを見つけたボンドはまた、トリガーが女性であるばかりか心を奪われたチェリストと同一人物であることを知るのだ。彼女の左手を撃って任務を遂行したボンドは、相手を殺さなかったことを報告すると言う現地のエージェントに、
「いいよ。うまくいけば、こっちばダブル0の肩書きを棒にふることになるだろう。しかし、支局長には心配するなといってやるんだね。あの女は、二度と狙撃はできないからね。たぶん左手を失うことになるだろうな。きっとこんな仕事をする度胸もなくしちまうだろう。生きた心地もしないほどおびえちまってるよ。私の考えでは、それで充分だと思うんだがね。行こう」井上一夫訳こんな台詞(せりふ)で幕を下ろす原作は、かなりのハードボイルドであるいっぽう、カナダの女優マリアム・ダボ(写真)が東側の狙撃手を演じる映画のほうは、ボンドが彼女を助け、そこからまったく新しい物語が始まる。その物語はさておき、凄腕の女流スナイパーが活躍するのは、はたしてフィクションの世界だけなのだろうか?
第二次大戦中、1人の兵士を倒すため敵は平均2,500発の実包(弾)を撃っており、それが朝鮮戦争では50,000発に増え、ベトナム戦争中たるや200,000発を超えた。これが狙撃手となれば事情は違って当然ながら一発必中だから、効率たるや雲泥の差がある。連射銃(オートマチック)の発達で敵1人へ第二次大戦の40倍以上の実包を消費したベトナム戦争当時も、米軍は多くの狙撃手を採用して実績を上げ、伝説に残る狙撃手を数多く生み出した。
モシン・ナガンを持つ
ロシア軍の狙撃手
その1人カルロス・ハスコックは正式な記録に残るだけで93人の敵を倒しており、93人のうちもっとも功績があったといえる相手は「アパッチ」と呼ばれるベトコンの狙撃手だ。このアパッチがじつは30歳の女性で身長が1メートル50センチ、愛用の武器はソ連製の7.62×54口径モシン・ナガン・モデル1891/30(写真)に3.5倍スコープを取り付けたものだった。ベトコンの恐るべき狙撃手が女性といえば意外なようで、じつはそうでもない。ハスコックがベトナムで活躍した26年前、第二次大戦中のロシヤでは多くの女性が狙撃手として参戦していた。映画「スターリングラード(2001年)」を見れば、その一端が窺(うかが)えるが、現実はそれ以上の規模だ。1943年の時点でロシヤ軍に加わっていた女性1,100万人のうち、80万人が看護婦、医者、操縦士、砲手、戦車兵、落下傘兵、歩兵、そして狙撃手として前線で活躍し、そのうち88人が名誉勲章を授かっている。
戦闘員としては、1941年にロシア女性の参戦が認められて以来、終戦までの5年間で22万人以上の女性が入隊したうち、狙撃手は102,333人と半数近くを占めている。モスクワ中央狙撃訓練所が1,061人の女流スナイパーと407人の(狙撃)教官を生み出したうち、1944年9月の時点では684人の女性が卒業し、最高の成績を収めたのはその中の574人で、1945年の最終卒業生には411人の女性(狙撃手262人と教官149人)が含まれていた。格闘技、火器工学、医療術を学ぶこともこれらの訓練の一部だ。
ロシヤの女流スナイパーでもっとも知られている1人リュドミラ・パブリチェンコ(写真)は、正式記録で309人の「殺し」が確認されており、そのうち36人はドイツ軍の狙撃手だった。キエフ大学の歴史科を卒業した彼女は第25師団に配属され、オデッサ戦線で21ケ月間戦った後、第54師団へ転属、セワストーポリで8ケ月間戦っており、彼女が倒したドイツ狙撃手36人の1人は500人以上の仏英露兵の「殺し」を記録している。
実在の狙撃手
リュドミラ・パブリチェンコレニングラード前線へ初めて投入された女流スナイパー、ゾアイ・ミスケビッチは戦前に狙撃訓練所を卒業しており、1942年2月の戦死までに26人の「殺し」を記録した。もう1人の伝説の狙撃手アンナ・ペトロバの場合、107人のドイツ兵を倒した記録以外、自ら480人の狙撃手を訓練している。
1943年9月に15歳で中央狙撃訓練所を卒業したリア・マルパダロバは、同年10月、他の女性と共にレニングラード前線へ送られ32人の「殺し」を記録した。それも1回の敵との遭遇で32人のうち28人のドイツ兵を倒した上、1人のドイツ将校まで捕虜にしており、32人のうち他の1人は素手の格闘で殺すという凄さだ。また、第3モスクワ共産党師団へ狙撃手として配属されたナターシャ・コフショバとマーシャ・ポリバノバが倒した敵は合わせて300人が記録されている。
彼女たちの武器は帝政ロシアが制式採用したモシン・ナガン・モデル1891で、銃本体はセルゲイ・イヴァノヴィッチ・ナガン大佐が、そして弾奏(マガジン)はエミール・ナガンというベルギー人が開発した。ソ連のボルト・アクション式軍用ライフル銃やカービン銃の構造は、すべてモシン・ナガンのそれが基本となっており、実用性は日露戦争、第一次大戦、ロシア革命、第二次大戦、ベトナム戦争を通じて証明されている。先のモデル1891/30狙撃銃もこのモデル1891のバリエーションで、違いといえばスコープが付いているだけだ。
トカレフを持つ
ロシア軍の狙撃手
男女を問わずソ連の狙撃手は7.62×54口径トカレフVT40(写真)も使用しており、このガス・オペレーション式のセミオートマチック銃も当時の水準からすれば、そうとう精度が高かったことは間違いない。もっともAK-47同様、もともとドイツのコピーでゲベール43がVT40の原型ではあるが・・・・・・火器の詳細はどうあれ、こうしてロシアの女流スナイパーの実績を見れば、彼女たちがどれだけ祖国へ貢献したか容易に想像がつく。フレミングが「ベルリン脱出」でトリガーを登場させた背景には、そういった彼女たちの歴史が秘められているのだ。そのドラマ性は、今後も新たな小説や映画として我々の心を動かしてゆくことだろう。
横 井 康 和