転換期へ差し掛かったコンピュータ


画像による目次はここをクリックして下さい  おりしも日本では、米アップル社の携帯電話「iPhone」の新型モデル「3G」が売り出されて評判になっています。iPhoneそのものは携帯先進国の日本で今さら騒ぐほど革新的な機能があるわけではなく、なおかつ多くの日本人が飛びついたのはiPhoneのコンセプトへ魅力を感じたからでしょう。以前ご紹介したグーグル・フォンや日本で最先端をゆく既存の携帯電話群を含め、それらがポスト・パスコン時代のコンピュータの方向性を指し示していることは確かです。

 この方向性が見えると、Windowsの台頭とインターネットの急成長で代表されるパソコン全盛期はピークを迎え、コンピュータの進化が転換期へ差し掛かった現状を理解するのも難しくありません。そこで、今回はパソコンの裏ワザやHTML文書の記述方をいったん脇に置いて、コンピュータが今後どのような方向へ進んでゆくのか検討してみたいと思います。言い換えれば、コンピュータIT産業の成熟化によるシリコンバレー時代の終焉(しゅうえん)で、次の時代は何が基幹産業となりえるか?

 その答は、コンピュータ産業がなぜ成熟産業となり、今かつての勢いを失くしつつあるのはなぜかを考えてみると、輪郭が見えてきます。そもそもコンピュータIT産業の中身は、コンピュータというハードウェアを作る物的製造業とソフトウェアを作る知的製造業が両輪を成し、基幹産業として'80年代から'90年代を経て2000年初頭へ至る世界経済を牽引してきました。この流れの中で、先進国は物的製造業から知的製造業に産業構造をシフトし、結果として物的製造業の拠点が欧米から日本へ、さらに日本から韓国、台湾、東南アジア、そして中国へと移行してゆくのです。

 付加価値や粗利益率の低い物的製造業はアジアが中心となった今も、付加価値の高い知的製造業の分野は欧米が中心ながら、同じ知的製造業の中でソフトのコーディング、変換、耐久試験など時間と人手のかかる知的肉体労働は、付加価値の低い部分からインドやフィリピンへ移行しています。このようにアジア諸国が付加価値の低い部分は欧米の下請けをするという明確な国際分業の形が、コンピュータ産業では世界規模の産業構造の枠組みとして出来上がり、その流れがIBMによるパソコン部門の中国企業への売却で、ほぼ完成しました。

 いっぽう、コンピュータ産業のもう一人の立役者といえるインターネットは急激な進化を遂げながら、2000年秋に起きたネットバブルの崩壊で、不況のない経済を意味する「ニューエコノミー説」は挫折、世界的な市場や信用が収縮してしまいます。それは景気循環説を蘇(よみがえ)らせ、循環する経済を牽引する主役が何かという論議へ戻ってしまうのです。そして、多くの人々は再びコンピュータ中心のIT産業が復活することを祈りながら、現状を見る限りでは、まず実現しそうにありません、

 可能性が低い理由は簡単で、スーパーコンピュータやメインフレームから小型のパソコンへ至るまでコンピュータの設計思想が計算機能を最適化することであり、その思想に基づいてハードウェアもソフトウェアも作られています。突き詰めると、あらゆる問題はCPUの演算速度を上げてメモリーの記憶容量さえ増やせば解決できるはずです。しかし、我々が求めているのは演算能力のスピードでなく快適な相互通信の環境であり、計算機能中心で進化したコンピュータをコミュニケーション機能を最適化する道具として使えば、無理が生じるのは避けられません。じっさい、携帯が進歩してパソコンの機能を備えれば備えるほど、パソコン自体の必要性は薄れつつあります。 画像による目次はここをクリックして下さい

 今世紀に入ると、こうした計算機能中心主義の時代から相互通信機能中心主義の時代への流れも急激に加速度を増し、歴史的転換期を迎えていることが、様々な兆候として現われてきました。Microsoftは中核をなすWindowsがVistaへ進化した時点で、それまでの方向性は限界に達し、時を同じくしてビル・ゲイツの社長退陣です。入れ替わり、グーグルの活発な動きやMicrosoftの牙城を脅かすフリーソフトの登場が目立ち始めるあたりは、今さら繰り返すまでもなく、最近のコラムで何度も取り上げてきました。

 加えて、iPhoneが日本で騒がれるのは、いわばデジタル時代のリメイク版「ウォークマン」にすぎないiPodを成功させたアップル社のイメージ商法が少なからず効を奏しているのはさておき、「パソコンがいらない携帯電話」というコンセプトは相互通信機能中心時代へぴったり一致します。もちろん、iPhoneが登場したぐらいで存在を脅かされるようなパソコンではありませんが、急激な変化を遂げる時代の流れは計算機能中心で進化したパソコンのハンディキャップを容赦なく広げているのが現状です。

 通常、コンピュータ産業の「三種の神器」とはOS(オペレーティング・システム)、マイクロプロセッサ、RDB(リレーショナル・データベース)アーキテクチャーを指しますが、それらから成る計算機能中心主義の設計思想のもとでこの先いくら技術開発へ取り組もうと「快適なコミュニケーション・ツール」にはなり得ません。インターネットでパソコンのユーザー同士が結ばれるようになった'90年代半ばからは、ほとんどがパソコンへ相互通信機能を期待して購入し、利用するのであって、本来の計算機能は置き去りにされました。しかし、本来計算機能を最適化するため作られたパソコンを、相互通信機能という別の目的で使うのですから使い勝手がいいわけはありません。

 さまざまな応用ソフトが開発され、いくらヒューマン・インターフェースは改良されようと、本来の設計思想が時代の変化へマッチしないのです。つまり、今後ますます高度化してゆくネットワーク型社会を支えるための技術は、もはや既存技術から生み出すことが出来ず、これからは人間が機械に合わせるプラットホームではなく、機械が人間に合わせるプラットホームへ発想を転換したところから新たな可能性も生まれてくるような気がします。この発想は次の基幹産業を生む原動力となる反面、コンピュータ中心の現在のIT産業が成熟化し、伸びなくなる大きな原因でもありました。

 コンピュータ本来の持ち味である計算機能中心の設計思想を必要とするコンピュータ分野は、間違いなく今後も成長を続けてゆくはずですが、そのソフトウェアの構造へはこれまた設計上の大きな変化が予想され、パソコンに限っていうと、近い将来、個人と外の世界をつなぐ情報端末としての優位性は失われるはずです。と同時、コンピュータが基幹産業であったうちは世界のテクノロジーの中心であったシリコンバレー、そしてアメリカ合衆国が、ポスト・パソコン時代はその優位性を失うことを意味します。

画像による目次はここをクリックして下さい  Microsoft社がソフトでパソコン全盛期を代表する企業なら、いっぽうでハードを代表する企業はIntel社でしょう。パソコンの心臓部ともいえるプロセッサ市場をほぼ独占し、今やPCのみならず競争相手のマックまでを手中に収めてしまいました。そんなIntel社でさえ、Vista搭載のパソコンが市場へ出回り始める頃、他社に押されて影は薄くなっています。コンピュータIT産業の両輪を担う2大企業の行く手へ暗雲が立ち込めた今や、PC派vs.マック派の優位を巡る論争などは、まったく意味をなくしてしまいました。

 今後、計算機能中心主義から相互通信中心主義へ変わろうとする潮流が新たな産業を起こし、その決めてとなるのは今より一歩進んだ相互通信機能でしょう。くどいようですが、そこで必要なのは計算(コンピューテーション)機能でなく相互通信(コミュニケーション)を最適化するための基本設計(アーキテクチャー)です。また、この構想を実用化する上で不可欠なのが高速大容量(ブロードバンド)のインフラで、それなくして実用化へ至る技術の完成は難しいといえます。つまり、現在そのインフラが世界で一番整っている韓国や日本、あるいは中国の大都市および経済特別区やシンガポールといった東南アジア地域に優位性があるわけです。

 これまでは米国が中心であったコンピュータのIT産業も、次の時代の新たなIT基幹産業では日韓中などの東南アジアが中心となる可能性は高いと予測されます。かつてコンピュータが成長基幹産業であった頃、ハードウェアの分野もソフトウェアの部分も最初はアメリカで技術体系が完成され、その技術は様々な製造業やサービス産業を生み、世界中へ伝播してゆきました。結果、'90年代のシリコンバレーに象徴されるアメリカ中心のIT経済繁栄期が訪れたごとく、次の時代は東南アジアが牽引力となる可能性は大きいのです。この機会を活かし、それが実現するためには、まず東南アジアの政策担当者、民間企業経営者、マスコミ、研究者が意識を切り替えなくてはなりません。

 いっぽう、今後もポスト・パソコン時代の核となる技術革命を起こすようなすぐれた企業家が、シリコンバレーの余韻を求めて世界中から数多くアメリカへ渡るでしょう。しかし、彼らの技術を使った製品やサービスは、アメリカでの実用化が出来ないか、たとえ出来ても東南アジアと比べるべくもない小さな市場規模に留まります。なぜならば、アメリカのような自由市場経済へすべてを任す経済体制は、広帯域インフラといった社会的インフラも民間の投資意欲だけに頼る結果、整備が遅れてしまったからです。

 たとえば、ドコモの第3代世代携帯電話FOMA対応のソフトを作っているのはアメリカの企業ですが、彼らの製品はFORMを支えるインフラが整備されていないアメリカでは市場がありません。したがって、売るためには日本へ行くしかないというのが現実です。ただ、こうした状況は遅れをとる欧米に危機感を抱かせ、軋轢(あつれき)を生じる原因ともなります。そこで、米国を代表するIT企業などが新しい分野の技術を導入して成長を持続できるよう、日韓中と米の産業界が一丸となって新しい技術を開発する「アライアンス・フォーラム財団」といった仕組みは、今後ますます必要になってゆくでしょう。

 その新しい分野の技術体系も、携帯電話、デジタル・カメラ、デジタル家電などでハードウェアの形としてならだいぶ見えてきましたが、ソフトウェア部分のアーキテクチャーは依然として手探りの状態です。なぜ次の時代を想定したソフトウェアの構築が難しいかといえば、パソコン、携帯電話、デジタル家電、あるいは他の諸々の情報機器でデータの構造が異なり互換性を維持できないからであり、次の基幹産業となりうる技術開発の完成は、それを克服できるかどうかへかかっています。

 ハードとソフトを分離できるビジネス・モデルというパソコン独自の考え方が、もはや通用しないことは、最近のインターネットで昔なら考えられないソフトの無料配布が主流となりつつある状況を見るまでもなく明らかです。これからの時代は、ソフトの性能と最適化がハードの設計へ依存し、その逆も真なり・・・・・・つまりソフトとハードは融合、一体化して分離できないという概念に間違いなく移行してゆきます。しかし、具体的な形はまだ見えず、試行錯誤が続く今こそ、コンピュータ産業へ携わる世界中の人間にとっては、またとないチャンス到来です。技術畑であれビジネス畑であれ、面白いアイデアが浮かんだ関係者はiPhoneを見習い、ぜひこのチャンスをお見逃しなく!


Copyright (C) 2008 by Yasukazu Yokoi. All Rights Reserved.

サファリで世界を! 目次に戻ります なぜWindowsの明日に勝ち目がないのか?