映画とバスタブ


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「ぼんち」
 先月のテーマ「ベッド」と並び、アメリカと日本のライフ・スタイルの違いを感じさせるのは「バスタブ」だ。欧米の棺桶型に対し、日本で胎児型が主流なのは、その国土事情から当然だろう。また、バスタブといっても、そこへ便器やビデなどが同居する欧米文化と、それらを切り離そうとする日本文化の違いは、なかなか興味深い。

 そこでまず日本の胎児型バスタブだが、そのバラエティは豊富で、日本人の風呂好きがよくわかる。基本はちょうど胎児のようにしゃがんで肩まで浸かるバスタブと洗い場で構成され、シャワーがある場合、それは洋式のようなバスタブの中でなく洗い場へ付いているのが普通だ。また、多くの家庭に風呂のなかった戦後間もない頃、人々は銭湯へ行った。そして、家庭の風呂であろうと銭湯であろうと、複数で入れば、そこから対話が生まれる。

 山崎豊子の小説を映画化した市川崑監督作「ぼんち(1960年)」は、大阪船場の足袋問屋の若旦那(市川雷蔵)が女性遍歴を重ね、大阪商人としての土性ッ骨を培って行く姿を描いた作品だ。その中で、若尾文子、京マチ子、越路吹雪3人の入浴シーンは「YouTube」でもご覧いただける。これなどが、いい例だろう。
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「ノイズ」

 ただ、日本ならよくあるシーンも、アメリカの日常生活ではほとんど見かけない。たとえば、西部劇で長い旅の後、風呂屋で寛(くつろ)ぐカウボーイの姿といえば、いくつか並んだ棺桶型バスタブへ1人づつ入るパターンになる。つまり、ローマやトルコのような公共風呂の習慣があるヨーロッパと違って、一般的なアメリカ人はバスタブを共有する発想がないのだ(ジャクージだと日常的な身体を洗う場所より遊び場のイメージ)。

 ジョニー・デップとシャーリーズ・セロンの共演作「ノイズ(1999年)」は、NASAの宇宙飛行士スペンサー(デップ)が宇宙空間での作業中、「あれは何だ?」という言葉とともに2分間交信を断ったところからドラマが展開する。NASAの懸命の救出作業により、彼は奇跡的に生還し、妻のジリアン(セロン)も彼の無事を心から喜ぶ。しかし、地上へ戻ってきた良人に対し、彼女はどこか違和感を拭えない。

 さらに、スペンサーと地上へ生還した同僚の宇宙飛行士が変死を遂げ、間もなく双子を身ごもったジリアンだが、彼女の不安は日増しに深まってゆく。そんな妻が入浴中、良人は慰めようとするのだが・・・・・・この図式は、逆にアメリカの生活様式だからこそ自然だ。日本なら2人で浸かりながらの会話となるような気がする。
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「卓球温泉」

 じっさい、日本では同じバスタブでも温泉というバリエーションが日常生活へ入り込んでおり、そこでは浸かった者同士のドラマが展開してゆく。松坂慶子主演作「卓球温泉(1998年)」などを見るといい。この映画は、松坂演じるごく普通の専業主婦が、ふと家出を思い立つ。とりあえず、新婚旅行で訪れた温泉旅館へ向かった彼女は、いつもの習慣で起きると辺りを掃除したり花を活けたりしながら、なんとなく居ついてしまう。

 結局、すっかり寂れた田舎の温泉町が彼女の努力によって卓球大会で再興するというドラマの背景へ、温泉そのものの果たす役割は欠かせない。もちろん、アメリカだって温泉があるにはあるが、混浴ならみんな水着を着ている。いっぽう、北欧などは素っ裸でも平気なようだ。

 以前、デュッセルドルフのホテルでサウナへ入っていると、素っ裸の男女が何人かで金髪の恥毛を隠そうともせずドカドカと入って来た。純情な私は内心、恥ずかしいような嬉しいような、しかしそんな素振りなど見せず、彼らがどこから来たのか聞いてみたらデンマークだと言う。その開けっぴろげな態度になるほどと思いつつ、目のやり場がなかった。そして、どういうわけかドイツでは同じような体験が、このあと数年間で3度ある。
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「マイ・ドッグ・スキップ」

 ドイツの風呂場で出会った北欧の旅行者の話(エピソード)はさておき、日本とアメリカのバスタブの違いを考える時、必ずつきまとうのがトイレの在りかたであろう。「マイ・ドッグ・スキップ(2000年)」は、1942年のミシシッピー州の片田舎ヤズーが舞台となった、少年と彼の愛犬の物語だ。

 8歳の少年ウィリー(フランキー・ムニッズ)は、繊細で内気な性格から孤独な毎日を過ごしていた。そんな息子を心配した母親(ダイアン・レイン)が誕生日に子犬スキップをプレゼントし、以来、この賢い子犬はウィリーの大親友となる。そして、愛犬との友情を通して孤独な少年が成長していく姿を温かなタッチで描いたドラマで、バスルームで戯れるスキップの姿はじつに印象深い。

 1942年といえば、いくらアメリカでも水洗トイレの普及率が限られていたはずだし、こういうストーリーは片田舎ヤズーが、じつはそれほど田舎でないから成り立つ。約10年後、私が生まれた戦後の日本では6大都市の1つ、京都市内でさえ水洗トイレはさほど普及していなかった。そして、トイレが水洗ではないとしたら「マイ・ドッグ・スキップ」より今年のオスカー受賞作スラムドッグ$ミリオネア(2008年)」のような映画が生まれると思う。
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「スラムドッグ$ミリオネア」

 「トレインスポッティング(1996年)」や「28週後・・・(2007年)」など多彩なジャンルで観客を魅了する鬼才ダニー・ボイルのこの最新作は、インドを舞台にTVのクイズ番組へ出演して注目を集めたある少年が辿(たど)ってきた生い立ちと運命の恋を、ボリウッド風の持ち味を生かしながら綴(つづ)ってゆく。

 TV番組「クイズ$ミリオネア」へ出演し、賞金を獲得したジャミール(デヴ・パテル)だが、インドのスラム街で育った少年に正解はわかるはずがないと不正を疑われて逮捕される。ジャミールはなぜこれほどの知識があり、この番組へ出演するに至ったのか、警察の尋問で明らかとなる真実・・・・・・すべて知識は彼自身の体験から学んだものであった。その一つが、幼いころの排便中の出来事なのである。
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「アイズ・ワイド・シャット」

 糞まみれの幼いジャミールと、清潔な水洗の便座へ首を突っ込む愛犬スキップの姿には大きな隔たりがあり、生活様式の違いはそのまま作品へ反映されるわけだ。また、生活様式といえば、清潔な水洗の便座とバスタブが同居する場合、それらを夫婦で同時に使うのは、なんら疑問の余地がない。

 「アイズ・ワイド・シャット(1999年)」は、ご存じのとおり巨匠スタンリー・キューブリックがトム・クルーズとニコール・キッドマンというスター夫妻を迎えて描きあげた愛と性のダーク・ファンタジーだ。ニューヨークに住む内科医のウィリアム・ハーフォード(クルーズ)とその妻アリス(キッドマン)は、互いに愛し合い、幸せな日々を送っていた。しかし、ある日妻から「過去に心が奪われた男性がいて、求められたらすべてを捨ててもいいと思った」と聞き、ウィリアムは衝撃を受ける。

 それをきっかけに性の妄想にとり憑かれてゆく彼は夜の街を徘徊し、やがて昔の友人から誘われるまま秘密の乱交パーティへ潜入するのだが・・・・・・この際、映画の内容はさておき、冒頭でハーフォード夫妻がパーティーに出席すべく準備を整えているシーンは興味深い。もし、これが日本であれば、当然ながらトイレはバスルームから隔離されており、ウィリアムがトイレのドア越しにアリスへ問いかけるはずだ。

 ところが、アメリカの現状は違う。バスルームにトイレが同居する形態から生じた生活様式では、妻が用を足しているところへ良人は平気で入ってゆく。妻とて良人が入ってきたからと、なんら羞恥心は感じない。32年間、ハリウッドで生活をするうち、私自身がそうなっていた。2年半前に日本人の妻と結婚し、初めて日本は違うと再認識した次第である。その妻でさえ、今や用を足している途中で私が入って行っても平気なのだ・・・・・・いやはや、人間の順応性とは恐ろしい!

横 井 康 和      


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