夢の始まり



 その日、僕の胸は幼い頃初めて自転車に乗った時のような、あるいは新学期に初めてクラスメートと対面した時のような、なんともいえない緊張で高鳴っていた。8ケ月の紆余曲折の末、いよいよ始まったハリウッド映画製作の第1日目・・・・・・少年の頃、洋画好きの母に連れられて「エデンの東」を見た時以来の夢が、とうとう実現した日のことである。

 すべての始まりは数年前のスーパーボール・パーティーへ遡(さかのぼ)る。毎年新年に行われるフットボールの王座決定戦である、このスーパーボールは全米が熱狂するスポーツ・イベントだ。その年は僕の20年来の親友マイクが自宅で観戦パーティーを開き、僕たちと一緒に武道を修行している生徒など約30人が招かれた。ビールとポテトチップスを食べながら、全員が3時15分の試合開始(キックオフ)を心待ちにしている。道場がハリウッドに近いせいもあり、生徒の中には俳優、監督、脚本家といった映画関係者も多い。職業柄、話題が豊富な彼らのおかげで、退屈している者はいないようだ。

 選手紹介の後、派手なチアーリーダーがフィールドへ繰り出すや、辺りでは野獣のような歓声が上がり、もう雰囲気は絶好調! あっちこっちで自分達のひいきチームについて一席ぶっているのが聞こえる中、リビングルームとベッドルームのTV2台の囲りに人が腰をおろしはじめ、僕もリビングのジャイアント・スクリーン前の特等席で落ち着く。胸をわくわくさせる僕の横では、仲の良いトーマス・イアン・グリフィスが、やはり興奮した面もちで40インチの画面に見入っている。当時、ブロードウェイ・ミュージカル「テキサス一の赤いバラ」の主役で絶賛を浴びた彼は、ハリウッドを目指して半年前にやって来たばかりである。

 試合開始前の国歌が始まると、いきなり雰囲気は変わる。それまで喧々囂々とフットボール談義をしていた図体のでかい男達や、映画関係のゴシップに花を咲かせていた連中が、ある者は右手を左胸へ当てて直立し、またある者はTVと一緒に「星条旗よ永遠なれ」を口ずさむ。ふだん、お目にかかれない光景だ。国歌といえば相撲での「君が代」の暗い印象が強い僕ながら、彼らの純粋な愛国精神に感動させられた一場面だった。

 ニューヨーク・ジャイアンツとバッファロー・ビルズの白熱したゲームが第2クォーターに差しかかった頃、CBSの人気番組「ファルコン・クレスト」で、ワイナリー富豪のハンサムな跡取り息子役を演じているロレンゾ・ラマスが、プレイボーイ誌から抜け出たようなブロンドを連れて登場。顔見知りの僕たちを見つけた彼は近くの床へ座り込み、こまめに彼女の世話をやきつつ、近年希な接戦を見始める。武道もなかなかの腕前のロレンゾが、いそいそと女性に尽くす姿を見て、僕はふと、
 「自分の弱さを見られても平気な人間こそ真の強者である」
 という格言を思い出す。それほど、彼の存在感は光り輝いていた。

 ちょうど、みんなの顔がビールで赤らんできた頃、ゲームはハーフタイムの休憩だ。ゲストのもてなしで忙しいマイクも、そっちが一段落ついて僕らの陣地へ合流する。誰かが退屈なハーフタイム・ショーからチャンネルを変え、画面はチャック・ノリスの古い空手アクション映画の一場面に変わる。部屋中のほとんどがブルース・リーになったような気分で画面を見つめるうち、ロレンゾはビールの勢いも手伝って、
 「なんだ、こんな映画! 僕らにだって作れるよなぁ、マックス?」
 と、振られた僕は、
 「うん、ブルース・ウィルスみたいにTVスターから映画スターになれるかもしれないぜ!」と、アボカドを潰したグァカモリ・ディップへポテトチップをつけながら言う。そこへトイレから戻って来たトーマスが196センチの長身を屈伸させつつ、
 「こういう映画はストーリーが今いち弱いね!」
 と、焚きつけた結果、
 「そうだ、トーマス。お前、脚本のクラスとってんだろう。じゃあ、トーマスが台本を書いて俺が主演、マックスとマイクがプロデュースで映画を作ろうぜ!」
 ロレンゾのこの一言がきっかけとなり、それ以降は夢のプロジェクトの話題が盛り上がったため、ゲームの内容はほとんど憶えていない。たしかジャイアンツが僅差でビルズを下したと思う。

画像による目次はここをクリックして下さい  その翌日から僕たちは動き始め、トーマスとストーリーの打ち合わせや電話による配給会社への企画売り込みの日々が続く。人気TVスターのロレンゾを、どうすれば映画市場に売り込めるか、あるいは彼の真面目な青年のイメージをどの変えるかなどの課題と取り組みながら、配給会社とのアポイントメントをとろうと試みた。しかしながら、如何せん一度も映画製作経験のない若者達のプレゼンである。しばらくは誰も承諾してくれないまま時が過ぎた。

 スーパーボール・パーティーから1ケ月ばかり経ち、ようやく会ってもいいと言ってくれる配給会社が二つ三つ現われた頃、トーマスもこのプロジェクトのために購入した最新コンピュータを駆使して脚本を書き上げる。母親がダンス教師で東部コネチカット州の裕福な家庭に育ったトーマスの脚本は、ピアノや歌唱、武道を習ってきた自分をモデルにしたものだ。詩とバイクを愛する青年がストリートファイト賭博に巻き込まれ、母親とガールフレンドを救うため戦った末、自己発見というストーリーは「プレース・トゥー・ハイド」と題されていた。さっそく書き上がったばかりの脚本を持って意気揚々と会議に望んだ僕たちだが、現実は厳しく、次々と重なる「不採用(パス)」の連続で、さすがにガックリきた。

 「成し遂げるのが難しいからこそ、やりがいがある」
 武道で培ったこの故事を頼りに、お互いを励まし合いながら頑張って4ケ月、僕たちの希望の光が陰り始めた時のことである。コディアックという海外配給会社と会議を持つにあたって、誰からともなく、今日は今までのような「お願いですから」という姿勢をやめようという提案が持ち上がる。もう契約は決まっており、いよいよ製作会議に望む・・・・・・そんな気構えで行こうというわけだ。イメージを一新したロレンゾは上下黒皮のバイカールックに無精ひげ、僕はアタッシュケースへ企画のブレイクダウン(見積)や世界各国で放映中のロレンゾ主演TV番組の資料、そして彼の人気を裏付ける数字を詰め込み、トーマスはトーマスでいつでも書き直しがきくよう脚本の入ったフロッピーディスク持参と、万全を期した僕たちはコディアック・フィルムのオフィスがあるサンタモニカを目指す。

 「日々の願いが人間を形成し、人生とはその積み重ねである」
 これは僕が好きな英語の格言だが、人間には頭の中で考えたことを実行する力、本当にかなえたい夢を実現するパワーがあると、何かの本でも読んだ。あの頃の僕たちは、まさに宇宙をも動かす信念と情熱、そしてこの企画の実現しか考えない一途さがあったと思う。なぜなら、ロレンゾの出で立ちを見て僕たちのプレゼンを聞き終えたコディアックの社長シュミット氏は、
 「ぜひ一緒にやりましょう!」
 と、右手を差し出したからである。
 それから2ケ月余りの製作準備期間(プリ・プロダクション)を経て、主人公は詩人から、よりビジュアルな写真家へ、また内容もアクション中心に書き直した。ニュー・タイトル「ナイト・オブ・ザ・ウォリアー」として産声を上げた僕たちの夢を乗せた初のハリウッド映画企画は、120万ドルの製作予算に対して、アメリカ国内の劇場公開とビデオ収益、および海外配給収益総額350万ドルのヒットとなった。

 僕たちとの映画事業の後、大型戦争映画「フォース・ウォー」をヒットさせたシュミット氏とは、昨年のカンヌ映画祭で久しぶりに再会した。食事をしながら、あの最初の会議で何が彼を動かしたのか興味を持ち続けていた僕は、それを思い切って問いただしたところ、シュミット氏が言うには大きな理由と小さな理由が一つづつあったらしい。小さな理由は、僕たちの企画が儲かりそうな話だったこと。大きな理由は・・・・・・「君たちの燃えるような情熱の奥に、30年前の自分を見たこと」と、感慨深げに語ってくれた。

 撮影中、連日セットの片隅で脚本を書き直してくれたトーマスは、その後「ベストキッド3」でラルフ・マッチオと共演したのを皮切りに、ニューライン・スタジオ作品「リーサル・コップ」の脚本主演プロデュース担当や僕のプロデュース作品「オルテリア・モーティブズ”に主演、現在、主役級スター兼プロデューサーとして活躍している。また、泥と汗にまみれてファイト・シーンの撮影をこなし続けてくれたロレンゾは、あの映画をきっかけに「コブラ・キラー」シリーズでの主演や、僕のプロデュース作品「ファイナル・ラウンド」などで国際アクション映画スターとしての地位を築き、今も人気TVシリーズ「レネゲード」の主演兼プロデューサーで活躍中だ。

 一日20時間ぶっ通しの撮影を強行し、クルーが反乱を起こしかけるといった武勇伝を生みながら、撮影中は平均睡眠時間2時間でセットと製作事務所を統括したマイクと僕。4週間の撮影中、そんな状況を辛いと感じたことは一度もない。4人とも同じ思いだったんだろう。お互い多忙な中、照明のまぶしいセットや薄暗いスナック・セクションで、束の間の視線が会うたび交した微笑みは忘れられない。微笑みの裏で、彼らも僕と同じく夢を実現させた感動に浸りつつ、あの運命的な「スーパーボール・サンデー」を思い出していたのかもしれない。



(1996年10月1日)

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