そして、まだ夢の中



 少年の頃から夢見たハリウッド映画のプロデュース、実際にやってみると思っていた以上に奥の深い世界だ。映画プロデューサーって何をする人?・・・・・・と、よく聞かれるが、監督とかセット・デザイナーとか仕事内容のはっきりした分野と違い、プロデューサーの役割は個人のスタイルによって変わってくると思う。

 ハリウッドでは一括して「プロデューサー・ユニット」という呼称で製作予算へ組み込まれるプロデューサーにも、いろいろなタイプがある。
 まず、エクゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮)は、スティーブン・スピルバーグがよくやるパターンで、自分が目をかけた監督や脚本家のプロジェクトにハクをつける意味で名前を貸したり、あるいはカナダやオーストラリアなど他国との共同製作事業の場合なら、新進プロデューサーへ撮影中の製作を任せ、編集や配給販売等の実務的立場からすべてを監修する僕のようなパターンまで、幅の広いポジションだ。
 日本語で言うとカッコいいが、製作予算投資に参加した配給会社の重役とか、主演俳優を引きつけるための手段としての報酬的なクレジットとして使われることも多い。
 プロデューサーの中には、代理をしている俳優や脚本家の映画へ名目だけ参加し、何も仕事をしないで口出しばかりする嫌われ者のエージェント・タイプがいたり、大きな予算枠のスタジオ作品のように、お抱えプロデューサーとして受注製作するタイプもいる。僕のスタイルは、企画発掘からのプリ・プロダクション(準備段階)から配給交渉へ至る最終段階まで、子育てのように全プロセスを指揮する独立プロダクション特有のハンズ・オン・プロデューサーだ。

 最初は週何十冊とある、脚本家の代理人や友人、以前一緒に仕事をした仲間や他のプロデューサーから提出される脚本を、スクリプト・リーダーと呼ばれる脚本分析のエキスパートが読む。そして、粗筋、登場人物、役柄から製作経費概要、ジャンル、市場性までを細かく分析したレポートを僕に書き、週末はその中の数冊を吟味するという行程で企画を探す。だが、クリエイティブな心をくすぐり、事業としても成功するような企画はめったに見つかるものではない。レポートに「推薦」と書いてあっても、30ページ(映画の脚本は1ページが映像時間で約1分)読んだだけで止めてしまうこともあり、とにかく駄作が多いのである。

 ようやくいい脚本を見つけ、企画を決定したプロデューサーが、監督やスタッフを面接する以前に決めなければならない重要なポストは、さきほど登場したライン・プロデューサーだ。
 その名のとおり、製作ラインを仕切る、いわば現場監督のような立場。アメリカ人スタッフは彼らを陸軍軍曹によく例えるが、それぐらいの技術的知識と咄嗟の判断力が要求されるコワ〜イ存在なのである。プロデューサーから絶対的な信頼を受け、予算を管理するプロダクション・マネージャーと2人3脚で、ファーストAD(第一助監督)が構成した撮影日程の監修から、撮影器機賃貸交渉、スタッフとの契約、果てはセットのスタッフ用食事の手配までをこなす、一番働き者といえる。このライン・プロデューサーの手腕一つで映画の進行状況が変わってしまうと言っても過言ではないほどで、このポスト出身のプロデューサーも多い。

 その他、コ・プロデューサー(共同製作者)、アソシエート・プロデューサー(プロデューサー補佐)等のポジションもあるが、多くの場合、脚本を見つけた人物や主演俳優、製作投資家をプロデューサーへ紹介した人物へのクレジットだ。とにかく、これだけの人数がプロデューサー・ユニットとして参加し、150人からのスタッフを統率しながら映画を製作してゆくわけで、いろいろなタイプのプロデューサーがいると言った訳はお分かりいただけると思う。

画像による目次はここをクリックして下さい  さて、僕が現在製作準備中の大作「イージーライダー2」は、ハリウッドで続編が製作されていない数少ないクラシック作品。オリジナルは、ご存じのようにデニス・ホッパーとピーター・フォンダ主演のバイカー・ロード・ムービーで、'60年代の若者や思想背景をテーマにして大反響を得、社会現象とまでなった映画だ。オリジナルを製作したバート・シュナイダー氏から、投資家を募って集めた40万ドルでオプション(期間を定めた専属製作契約)を得た僕は、2年前のミラン映画祭、ベニス映画祭、カンヌ映画祭でプリ・セール(各国の配給権利の前売り)を敢行して製作予算2,000万ドルの殆どを調達し、オリジナルを製作して未だにサウンドトラック権利を維持するコロンビア・スタジオや、コネのあったワーナーブラザーズ・スタジオとアメリカ国内配給交渉に望んだ。
 結局、配給のみでなく製作へも加わって全権を把握したいというのが彼らの答であり、前回「スペース・エイド」で苦渋をなめた僕は、そのディールを断り、独立プロ作品として製作する意欲に燃え、次の作戦を考えた。

 この作品をX世代の若者像やギャング、人種差別、ドラッグといった'90年代の社会的背景をバックグランドにした壮大なロード・ムービーとして製作したい僕は、オリジナルの監督デニス・ホッパーに接近し、ある日、ビバリーヒルズのペニンスラ・ホテルで昼食会を持つ。ナイキのCMや「ウォーターワールド」、「スーパーマリオ」等の悪役で人気がある彼は、綺麗なガールフレンドを連れて現われる。アメリカの至宝とも言える企画を日本人が製作することを、いったい彼はどう感じているのか興味があったのは当然だ。しかし、その日は彼の情熱的な語りと笑いで楽しい時を過ごさせてもらい、ともかく監督を担当してもらうことで合意。紳士的な面とワルガキっぽい雰囲気を持つ素晴らしい人物だけに、彼ならきっと素晴らしいストーリーを描いてくれるだろうと実感できた。

 そして今、第一次脚本を完成させ、合計100万ドルでオプションのみならず版権自体を取得し、自分のペースでプロデュースすべく、残りの60万ドル調達に翻弄する日々を送っているところだ。デニス以外、僕のドリーム・リストに載っているブラッド・ピット、ブリジェット・フォンダをキャスティングしたいという夢もあり、自分が大きくなれる絶好のチャンスと思いつつ、製作開始までの厳しいプロセスに前向きな姿勢で励む僕である。

 何歳になっても、夢を追いかけている人は年をとらないと言う。僕自身、いつまでも夢の中に生きて、いくつになっても老若男女を問わず意志の疎通ができる、少年のような大人でありたいと願う。また、自分の好きな事をして生きていけるほど幸せな人生はないと思うし、自分が活き活きしてこそ他人に対しても寛大になれるというもの。新しい企画へ没頭するつど、僕はそんなことを考える。冒頭に書いたとおり、プロデューサー業は奥が深いのだ。

 映画プロデューサーとは?・・・・・・この質問への僕なりの答えは「カレーライスを作るシェフのようなもの」。新鮮なタマネギ、人参、ジャガイモ等の野菜や柔らかい肉、香ばしいスパイスを仕入れ、大きな鍋にコクのあるルーから作っていくシェフ。高熱のフライパンで肉、野菜を炒めたり、トロ火で何時間もかけて味を出していきながら、フックラとした米を同時に炊きあげ、時々味見をしたり調整したり、普通の料理の何倍もの時間と労力を使ってできあがる美味しいカレーライス。
 この行程は、監督からライン・プロデューサー、その他のキャストやスタッフを雇い、自分が思ったとおりの企画を製作していくプロセスとそっくりだ。完成した映画の反響や、自分なりの納得、満足感は、作った人にだけ与えられる天からのプレゼント。これからも、夢追い人として、美味しいカレーライス作りに燃えていきたいと思う。




(1996年11月1日)

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