カンヌの長い夜 (上)
映画祭というと何かゴージャスな雰囲気が漂い映画ファンを惹きつける言葉ながら、実際に参加するよりは遠くから憧れていたほうが遥かに魅力的なイベントだ。映画業界で最も有名な「カンヌ映画祭」、「ミラノ映画祭」、「ベニス映画祭」、AFM(アメリカン・フィルム・マーケット)と呼ばれる「ロサンゼルス映画祭」などの他、日本人には馴染み深い「東京映画祭」、スター俳優ロバート・レッドフォード(「明日に向かって撃て」)が創設した新人発掘の宝庫といわれる「サンダンス映画祭」(ユタ州パークシティー)、独立プロ作品が多数を占める「テリュロイド映画祭」(コロラド州)や「ニューヨーク映画祭」などもあるが、いわゆるフィルム・フェスティバルとはほど遠い映画見本市というのが現状である。一握りのスターやグランプリを狙う作品の関係者以外にとってこれらの映画祭は、大きなカバンを抱え世界中の映画配給会社の買付係が軒並み連なる配給会社のブースを覗きながら、自分の国の配給権利を得ようと血眼になって交渉する姿がやたら目立つ取引場のイメージといえよう。大手スタジオ以外の中堅から小規模な配給会社のブースでは、配給権利の前売りを促進するため制作された映画祭用ポスターが所狭しと飾られ、備えつけの閉回路TVからは現在撮影進行中の作品の予告編(トレーラー)が映し出されるという商魂たくましい光景が展開されて、会場となるホテルやコンベンション・ホールの廊下も交渉の場と化す凄まじさ。
僕自身、独立プロデューサーとしての立場上、そのような中堅配給会社のセールス手腕に頼る存在であり、今まで数本の自作を世界各地の映画祭で販売してきたが、やはり最初のうちは一映画ファンとして裏舞台を見てしまったようで複雑な心境だった。それらの映画祭の中でも、オート・ショーやコンピューター・ショーまがいの見本市という点で最も商業的なのが、わが地元ロサンゼルスで開催されるAFMだ。サンタモニカのビーチ沿いの洒落たホテル「ローズ・ホテル」の各部屋が各社のブースとなり、ロビーには自分を売り込もうとする俳優からプロデューサー・タイプの連中が徘徊し、ランチタイムたるやカフェテリア付近はまるで日本のデパートの特売場のごとき様相となる。
それに比べ、ヨーロッパで開催される映画祭は穏やかなムードだ。商業性を丸だしにするのを嫌い、優雅な雰囲気の中で交渉が進んでゆく。とくにカンヌ映画祭はいろんな思い出もあり、僕が一番好きな映画祭である。初めて参加した1992年は、奇才クエンティン・タランティーノ監督のデビュー作“Reservoir Dogs”がもっぱらの話題で、たまたま彼のプロデューサー兼パートナーのローレンス・ベンダー("Pulp Fiction")と友好があった僕は2日目の試写会へ行くことができた。試写は午後9時から始まるので、その前に大手配給会社重役と食事をしたのだが、タクシーで30分ほどかかる山手のレストランへ行き、美味しいワインの勢いも手伝って喋りまくったため、気がつくと8時40分。あわててタクシーを手配してもらったものの、カンヌの大通りであるクワゼーに面した劇場に到着した時は9時を20分近く回っていた。
待ち合わせたロサンゼルスから同行した秘書のスザンヌと待ち合わせていたが、彼女の姿は見えずガッカリしながら場内へ入ると、幸いまだ始まっていない。吹き出る汗を拭いながら隅っこのシートに身をおろし、帽子をかぶっているはずのスザンヌの後ろ姿を探していると、間もなく場内が暗くなる。この映画は個人的に物語の展開や登場人物の友情へ魅せられていた反面、中盤あまりの残虐でリアルなシーンの連続に観客はゾロゾロと去り始める始末・・・・・・やはりアメリカとヨーロッパの好みの違いを見せつけられた感のあるスクリーニングであった。
11時半頃試写が終わり、出口のところでようやくスザンヌをつかまえ、時差ボケで眠い目をこすりながらホテルへ戻ろうとしている時のことだ。ロサンゼルスのプロデューサー友達ジェフとバッタリ出会い食事に誘われたので、もう済ませたと応えたら、
「マックス、それはスナック(軽食)だろう。カンヌでは10時過ぎに夕食をとって明け方まで遊ぶものさ」
こともなげな彼の言葉を聞きながら考えた。もともと好奇心が強い上、なんといっても初めてのカンヌ、ここは映画祭のベテランに従おうと決めた僕は、眠ると言い張るスザンヌをホテルへ送り届けてから再びジェフと合流したのである。
クワゼーから2つくらい小道を入ったところにあるこじんまりとしたレストランで合流し、ジェフのグループが食事をしている間、続々と入ってくる映画祭関係者やローカルのフランス人の客たちを見ながら結構楽しい一時を過ごす。現地人と映画人との見極め方法は、言葉の違いのほか、カンヌのローカルが綺麗な小麦色に日焼けしているのと比べて外国人は生白い。夜中だというのにタンクトップ1枚でフランスパンをかじる女性や、一生懸命カタコトのフランス語でウェイターに注文したあげく、やはりカタコトの英語で聞き返されているアメリカ人客など、ピープル・ウォッチングの場として最適なのだ。
そうこうするうち腹一杯になったジェフは、“カンヌ通”と自負したてまえ張り切ったのか、ポケットから取り出した電子手帳へ何やらインプットし始める。そして、求める情報を検索し終えたらしく、ガーリックの香りが漂う赤ら顔で、
「よ〜し、まずはパーティー回りからだ!」
と叫ぶや、われわれ一団を率いてタクシーに乗り込む。15分ばかり走って中世の城のような建物へ到着、赤いベストのアテンダント(駐車係)にドアを開けられ、けばけばしい照明の入口へ進む。入ってすぐオードブルやカクテル、タバコや葉巻をふんだんに乗せたお盆を持ったブロンドが寄ってくるのを横目で見ながら、さらに奥まで進む。そこは薄暗い大広間で、壁一面の映写スクリーンへ今回の映画祭でプレミアされた大作の予告編が映し出され、着飾った何百人のゲストの中を泳ぐようにして行き着いた巨大なテーブルの上では、イラン産らしき光り輝く小粒のキャビアをはじめ、ありとあらゆるオードブルが高さ3メートルはあろうかと思われる氷の彫刻の囲りに散りばめられている。
そろそろお腹が空きだした僕が、キャビアを盛った小皿と通りがかりのウェイターのトレイから取ったシャンパン・グラスを手にテラスへ出ようとしているところで、クエンティンと彼の友人兼脚本の共作家であるロジャー・エーボリーと出くわす。ほんの1年前までビデオ屋でバイトをしていたこの映画好きの青年たちは、カンヌ終了後イタリアのホテルで缶詰めになって新しい脚本を書くのだと張り切っている。彼らが語ってくれたその新しい脚本は題名を“パルプ・フィクション”・・・・・・その後、アカデミー賞を一緒に受賞してから喧嘩別れをした2人だが、ロジャーのほうは“Killing Zoe”という企画で親交を深め、今でも時々会う。
彼らと話し終え、香水の匂いに立ちくらみしながらテラスへ着き、深呼吸をしながら改めて囲りを見回すと、隣に名優ハービー・カイテル("Piano")がいる。そうかと思えば、そのすぐ向こうで人々と談笑しているのは、自作“Far and Away”がカンヌでプレミアされたトム・クルーズとCAA社長(現在はディズニー社長)のマイク・オービッツ氏だ。時計が午前2時を回ったことも忘れ、スターたちと眼下に広がるフレンチ・リビエラの夜景を楽しむ自分にほくそ笑んでいると、広間のほうからマイクを通した声がする。声の主はニューライン・シネマ社長で、日本人俳優千葉真一を「ソニー千葉」と命名し、彼の主演作“Street Fighter”シリーズをアメリカで配給したボブ・シェイ氏。やっと、このパーティーが彼主催のものだと悟った僕の脳裏へ、パーティーの費用はどの映画予算から捻出されているのだろうと疑問が浮かんだちょうどその時、人混みの向こうではジェフが出口を指さしながら合図を送っている。パーティー会場を出てタクシーに乗り込むや、
「さあ、今度はカジノだぞ!」
と、叫ぶジェフ。月明かりでほんのり照らし出された地中海を横目に、タクシーは東へ向かう。しばらく走って着いたのが、いかにもフランスっぽいシャトー風のホテルで、エレベーターを降りて最上階へ足を踏み入れると、そこはもう“007カジノ・ロワイヤル”の世界だ。ラスベガスやバハマ、アルーバといったカリブ海の島々にあるカジノとひと味違う。客もタキシードかスーツを着ており、とにかくジャケットなしだと入れない。映画祭会場で顔見知りの連中がちらほらいる中、僕は賭け始めたのだが、シャンデリアなどの高質な調度品の醸(かも)し出す雰囲気に圧倒された上、酒の勢いで「Ugly American(醜いアメリカ人→ヨーロッパ旅行をするアメリカ人のカウボーイ的態度の蔑称)」を実践するジェフを心配しながら1時間ばかり粘ったあげく、結局はスッテンテン。しかし、時間が止まったようなエレガントで一種独特の雰囲気を体験できた代金だと思えば、それほどガッカリはしなかった。 (続く)