ホーム、スイートホーム



 ここしばらく、風光明媚なカナダのバンクーバーや、ロケの勧誘に熱心なアメリカ南西部(ニューメキシコ州〜アリゾナ州一帯)での撮影が目立ち、ハリウッドを抱えるロサンゼルスは「映画撮影の本場」として影が薄かった。撮影慣れした地元の住人は、ちょっと建物を使うだけでも、しっかり使用料を請求する。また、よそが貰ったら、自分も同額かそれ以上求めるのは人情だ。かくして平均的な料金が上がっても下がることはない。そんな悪循環から、製作側はロサンゼルスでの撮影を避けぎみの傾向だったのが、最近、街のあちこちでロケ風景を見かけるほど回復してきた。

 とはいえ、狭い日本と違って撮影許可さえ取れば街路で交通を遮断してカーチェイスを撮ることも簡単なアメリカだけに、各州が繰り広げるロケ勧誘合戦はなかなか激しい。各州のフィルム・コミッション(撮影奨励機関)が独自の風景や文化的な背景を餌に勧誘する場合、業界紙などで製作準備中の企画を見つけては豪華な写真入りカタログを送りつけたり、いざ撮影が始まるとスタッフの世話をやくなど、彼らの活動はかなり積極的だ。観光客を集める映画の宣伝効果が狙いなのは言うまでもなかろう。

 プリ・プロダクション(製作準備)の段階で、脚本を練りながら物語の内容や季節などの要素を加味し、ロケ地を絞ってゆくわけだが、国外のプロダクションと共同製作するような場合、時には事業面での制約を受ける。極端な場合、まずロケ地が決定した上で、そこへ脚本を合わせるといった具合だ。僕自身、カナダとの共同製作で何作かプロデュースした時、カナダ・ロケは条件の1つであった。おかげで、海岸線と雪景色が美しいバンクーバーやカルガリーの背後にそびえる雄大なカナディアン・ロッキー、そしてフランス語圏特有のエキゾチックな空気に包まれたモントリオールなど、ロサンゼルスでは撮れないヨーロッパ的な町並みが予想以上の恩恵となったのである。また、多い時は僕の作品を含め13本の撮影が同時進行というロケ・ラッシュであった。

 ともあれ、ロケ地が決定すると、そのどこでどのシーンを撮るか決めなくてはならない。僕たちプロデューサーの右腕的存在であるライン・プロデューサーを中心に、その土地の隅々まで知り尽くし、豪華な邸宅からスラム街までの情報を把握したロケーション・スカウトと呼ばれる現地のプロを雇い、各シーンの具体的な撮影場所を決めてゆく。

 面接の時、ロケーション・スカウトは過去に使用された様々なロケ現場の写真ファイルや、ラップトップ・コンピュータへ収めた資料などを持参する。それらの資料を見たり、スカウト歴や人柄を吟味しながら人選し、映画の雰囲気を方向づける重要なポストだけに、プリ・プロダクション初期から参加してもらう。人選が終わると、いよいよ創作活動の開始だ。

 ロケーション・スカウトとそのアシスタントが丹念に脚本を読んだ後、映画全体のムードを創作するプロダクション・デザイナーとの意見交流を経て、彼らなりのビジョンで各シーンの撮影場所をそれぞれ10候補ぐらいスカウトさせる。そして彼らの提出する写真を、主にプロデューサーと監督が検討し、候補地を絞ってゆく。その時、ロケ全体の予算や各シーン毎の割り当てを考慮しなくてはならず、プロデューサーが監督のビジョンと妥協点を見いだせず難航するケースは多い・・・・・・同じいい作品を目指しながら、プロデューサーと監督のどこが違うかといえば、ハリウッドでは昔から「製作費を減らそうとするのがプロデューサーで、増やそうとするのが監督」という次第。

 提出される写真は、イメージが浮かぶ有名な公園などを除いても、それぞれ室内、屋外を含めて数十枚はあり、見学する候補地を数件まで絞るだけで、かなり時間がかかる。このような行程を経て、ようやく現場の視察、いわゆるロケハン(ロケーション・ハンティング)だ。相手と交渉してオーケイならスケジュールへ組み込むのだが、中には営業中のレストランとかビルなどもあって、このスケジュール調整がまた一苦労なのである。そして、スカウトの組んだ日程(強行スケジュール)にそって、マイクロバスへ便乗したプロデューサー、監督、撮影監督、照明部門のヘッド、プロダクション・デザイナー、セット・デザイナーたち一行は、次々と候補地を巡り歩く。

 ロケハンのハイライトは何といっても昼食のひとときだ。見学場所から近いレストランを利用することが多く、そこでの意見交換はプロダクション・オフィスと違う開放的なムードや、撮影現場を見て新鮮なイメージが浮かんでいるだけ活発で、思わぬメリットを生むことさえある。現場のインテリアを見て登場人物の性格や趣味まで変更したり、きっかけはごく些細なことがインスピレーションとなって音楽や服装を変えるなど、突然的な創造力が活きる場なのだ。

 延べ数日かけて現場を見回った後、もう一度写真を確認しながら会議で各撮影場所の最終的な第一、第二候補を選定してゆく。プロデューサーは監督のビジョンへなるだけ沿いながら、予算やプロダクション・バリュー(スクリーン上での映像価値)を考慮し、また映画全体の流れの中での1シーンとして撮影場所を選ぶ監督や、映画の根底にあるテーマを醸(かも)し出す雰囲気作りの観点から意見を述べるプロダクション・デザイナーの調整もある。すべて決まるまで、全員の妥協点を探り出すのは大変な作業である。

 紆余曲折の末、全撮影場所が決まると、スカウトは撮影許可の取得に遁走。許可を取るのが手間取り、撮影当日やっと下りるということさえあり、スカウトとアシスタントは冷や汗ものの場面だ。また、僕が体験したエピソードでは、撮影間際に料金の値上げを要求した家主がいたり、別の撮影ではカメラ前方の家へ突然たくさんの風船が並び、家主は撤去して欲しいなら何千ドルよこせと言いだす始末。映画産業の街をいいことに、人の金を取ろうとする悪い奴も少なくない。

 邪魔をされた中で傑作だったのが「アクションの芝刈りオジサン」・・・・・・邪魔をした理由は、金欲しさなのか、それとも撮影機器を積んだ大型トラックなどが所狭しと駐車してあるのを怒ったのか、とにかく撮影をしていた家の隣人は、監督が「アクション」叫ぶや、オジサンは芝刈り機のエンジンをかける。俳優の台詞が聞こえないほどの騒音なので音声係はお手上げ、業を煮やしたスタッフが交渉に行っても効き目なしだ。そろそろ昼食時だったので、いったん休憩することにした。対策を考えている僕の横では、小道具係が窓から大声で「アクション」と叫び、案の定ガウィーンと凄じい芝刈り機の音。うるさいから僕は「カット」と叫び、ピタリと音が止(や)む。面白がって連発するスタッフの号令へ、隣のオジサンはまるで“13日の金曜日”のジェイソンのごとく悪態を繰り返す。

 昼食後、しかたなく表敬訪問に行ってわかったのは、このオジサン、ビクトリア王朝風の建物で知られる地区の住人というおかげで、たびかさなる映画撮影の喧騒と残されるゴミの山の犠牲者であった。怒り狂ったストレスの固まりのようなオジサンは、映画界への復讐を誓ったそうな。お金で解決できない問題なので、急拠作戦を変え、

 「その芝刈り機を持って庭師の役で出演して頂けませんか?」と持ちかけたのである。結果、撮影が遅れたり、俳優からは文句を言われたり、かなり頭に来ていたのをじっと我慢、笑顔を保ったことと、撮影が終わって完璧な清掃をすると約束したせいか、最後は協力的であった。冗談半分の出演オファーが現実となり、「芝刈りオジサン事件」は一件落着というわけだ。ちなみに、オジサンが背景で芝を刈る(無音)シーンは、頻繁にカメラへ目線が行くため使い物にならずじまい。

画像による目次はここをクリックして下さい  この一件以来、個人住宅だけでなく公共施設も使う時はなるべく大事に汚さないよう心がけ、スタッフへ指示しているが、他人から借りた物を大事にするという文化のないアメリカ人へは馬耳東風なのが残念だ。右の写真は、“アット・ホーム・ウィズ・ウェバーズ”を撮った時に借りた、オグラヒルズというロサンゼルス郊外の新興住宅地へ建てられたばかりの時価4百万ドルの豪邸だ。宝くじで豪邸が当たり、そこに引っ越した平均的アメリカ人家族の変貌を描いたコメディーは、この屋敷を数ヶ月間借り切って撮影したが、それはもう悪夢のようなロケだった。

 売却前のモデル・ハウスだけに何もかもが新しい。丘の麓の巨大なスチール製の門をくぐると、広大な前庭まで続く私道(ドライブウェイ)は花畑で囲まれ、オリンピック・サイズの透き通ったプールが8人収容の露天風呂(ジャクージ)と隣り合わせの裏庭からは、眼下の丘陵地帯が見晴らせる。臨時製作事務所と化したゲスト・ハウスでさえ、手入れの行き届いた芝生の向こうに一軒家のごとくひっそり建っていた。母屋の中といえば、リビングの暖炉は総大理石、7室のベッドルームへ続く階段脇に滝が流れ、地下室も普通の家の居間ぐらいの広さだ。息を呑むほど豪奢(ゴージャス)なマスター・ベッドルームのバルコニーはドライブウェイから広がる敷地全体が展望できる。いわば、工場を出たての新車というイメージだ。

 ライン・プロデューサーを通じて注意したのも空しく、撮影開始3日目になると、真っ白だった壁は大道具や照明器具の移動中擦れたのか、黒い傷跡がところどころ目立ちはじめ、カメラ移動のタイヤ跡で新品の絨毯も台なし。カメラの下へビニールを敷き、部屋のコーナーには弾力テープを張って万全を期したつもりが、まったく効果はない。撮影が中盤に入ると、辺りはピザのトマト・ソース、そしてマーカーやテープを貼った跡だらけ、家中がスタジオ内のセットといった形相を示してきた。スタッフへ促(うなが)すのは諦め、なるべくダメージを最小限に食い止めるつもりが、僕の思惑は外れたばかりか、またもや新たなトラブルが襲ってくるなんて!

 それは土曜日の深夜であった。忘れ物を取りに戻った助監督がキーを差し込むと、マホガニー材の玄関ドアは鍵がかかっておらず、中では何やら歓声らしき物音が聞こえてくる。そっとドアを開けた助監督は、目の前の情景が信じられず、その場で立ちすくむ。水着姿のブロンド数人と駐車場警備員に雇った知人の息子やその男友達、ある者はプールサイドでくつろぎ、またある者はリビング・ルームのフカフカとしたソファーで戯れ、言葉を失くした助監督に誰も気づかない。どでかいステレオの音が室内を埋めつくし、ガラスのテーブルへ並んだポテトチップやビールを鷲づかみにする若者達、パーティーは今やたけなわだ。忘れ物を探そうと2階のベッドルームへ足を踏み入れるや、そこでは一糸まとわぬ美女と見知らぬ若者がキスの真っ最中。

 怒り狂った助監督は、あたかも屋敷を破壊しそうな勢いでライン・プロデューサーに電話を入れ、彼が迅速に対処した結果、屋敷へのダメージはなくて済んだが、

 「明日は休みなので、元通りにしておけば大丈夫と思った」という若者の言い分を聞いて、僕も開いた口が塞がらなかった。以来、甘えから生じるトラブルを避けるため、知人ルートの雇用は控えている。

 いろんな体験を積ませてくれたロケ、セットでの撮影と違い、器具運搬や狭い廊下での移動が強いられることも多い映画作りなだけ、100人以上のスタッフが全員荒っぽい引っ越し屋まがいのハリウッドで繊細な心配りなど通用しないのかもしれない。しかし、僕はプロデューサーとして、いま自分が取り組んでいる仕事を、まるで自分の映画のように扱ってくれるスタッフへ大変感謝すると同時、たとえ自分1人でもいいから、貸してくれた人の身になってロケ現場を預かるという意識だけは持ち続けたいと思う。それが僕に出来るハリウッドへの恩返しであるような気がする。



(1997年5月1日)


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