素晴らしき出会い



 アメリカという異邦で暮らし、「聖林(ハリウッド)」という一種独特の世界で人脈を広げてゆくうち、いろんな出会いがあった。いろんな夫婦と知り合った。スター同士のカップルから売れない俳優(もの)同士、あるいは一緒に脚本を書く夫婦から職種が違っていても同じ映画界で働いたり、当然ながら業界の枠を超えた関係まで、それぞれの夫婦がユニークな絆で結ばれている。パターンは違っても、彼らが1つの人生をわかち合う姿は、見ているだけで素晴らしい人生勉強だ。

 出会いがあれば別れもあって、そこへ至る道のりは長い。“エビータ”の熱演が光ったスペイン人俳優アントニオ・バンデラスは、20年間連れ添った愛妻と別れ、女優メラニー・グリフィスと再婚した。メラニーもその前にTVヒット・シリーズ“マイアミ・バイス”で名を馳せたドン・ジョンソンと離婚歴があり、性格の不一致で離婚したドンとメラニーは、それぞれが再婚した数年後、よりを戻しながら再び離婚という結末を迎えている。

 かつてボストンで大学院へ通う僕は、ドリーンというモデル志望の女性と同棲していた。ままごとのような甘い2年間を過ごし、お互いに飽きて別々の道を歩んだ1年後、再会がきっかけで僕たちはやり直そうと決める。新しく借りたアパートで、お互いが相手の好物を料理したり、出会って間もない頃に訪れた想い出の地、マサチューセッツ州沖合の島マーサズ・ビンヤードへ旅行したりと、いま思えば涙ぐましい努力をしながら、結局は分かれる羽目になってしまう。

 ドンとメラニーの場合もおそらくそうだと思うが、やはり二度目は古びた過去の想いを引きずっていたに違いない。過去があるからこそ、再会した相手の印象は新鮮なのだ。それだけお互いが成長し、その自覚は相手を他の誰より求め、「今度こそ!」と決意させる。しかし、新たな生活を始めるつもりで、昔の気持ちや関係を再現しようとしがちなのが男と女の関係ではないだろうか?

 男と女が何かを感じて一緒に生きて行きたいと願う以上、「努力して好きになる」次元の関係では無理があると思うし、せっかく巡り会えたのだから、お互い「相手の幸せは自分の幸せ」と言えるぐらいでないともったいない。アントニオが長年苦労を共にした妻と別れるのは辛かったであろうが、時には妻(良人)を愛しながらも「自分が生まれたのはこの人と巡り会うため」と感じる別の女(男)との出会いがある。その出会いを無視した妥協の人生では寂しく、“To be or not to be・・・・・・?”

 結婚生活が破局を迎えながら、「彼女(彼)が優しくしてくれるから」、あるいはもっと現実的な「子供がいるから」、「自活できないから」といった理由で妥協している夫婦は多い。もちろん、それがいいとか悪いとかは別問題だ。アメリカのような離婚率が高い国では、多くの人が老後、寂しい想いをする反面、日本の場合、妥協したおかげで、老後、初めて精神面で本当の夫婦生活を送るようなケースもある。結局は、巡り会った人と人生のいろいろな苦労や素晴らしさを分かち合いながら老い、相手の良いところも悪いところも笑って包容してあげられる関係、そして1+1が5になるような夫婦こそ、最初は他人同士の2人が一緒になる究極の目標だ、と僕は思う。

画像による目次はここをクリックして下さい  僕のハリウッド映画第3作“オルテリア・モーティブズ”で主演しているトーマス・イアン・グリフィスとメアリー・ペイジ・ケラーが結婚したのは“オルテリア・・・”のすぐあとだった。そして、トーマス・ジュニアの出産後、この東部出身の仲良し夫婦と会う機会が少なくなり、最近は電話で話すぐらいだが、それ以前はよくカップル同士で一緒にトレーニングをしたり食事へ出かけたものだ。

 その頃、彼らを見ていて気がついたのは、お互い「してもらう」、「尽くしてもらう」という意識を感じさせないばかりか、逆に「してあげる」、「尽くしてあげる」といった奉仕の精神である。レストランでも自宅でも絶えず相手への思いやりが窺(うかが)える2人は、一緒にいるだけで心が和(なご)む。好きな人のためだったら何でもしてあげられるはずだし、相手の喜ぶ顔を見ることは自分の喜びと思いながら、態度で表わせる人がどれだけいようか? そう考えると、僕は改めて思うのだが、出会いとは本当に素晴らしい。

 映画監督志望で現在アシスタント・ディレクターの友人ポールが、スクリプト・スーパーバイザー(脚本の進行審査係)である妻ユリッサと結婚したのは、ちょうど10年前だ。以来、子宝に恵まれず、いろいろな治療方を試みながら、ほぼ諦めかけた頃、突然ユリッサが妊娠した。その後、たて続けに3人の子持ちとなったポールは、今やヒステリック気味な生活を強いられている。僕の家へたまに来ると、

 「自分のための人生は、もう終わったよ。ワイフと子供の世話をするのが、これからの僕の人生だね!」

 ため息まじりの決まり文句だ。背中へ哀愁を漂わせながら、もう一度やり直せるとしたら、違う人生を歩みたいと言う彼も、心からユリッサを愛している。それを知る僕は、彼に欠けているのが「してあげる喜び」だとわかるだけ、もっと元気を出してもらいたい。妻の愛情は子供に奪われ、かまってもらえない寂しさや尽くしてもらえない不満が悲観的な心情を募らせてゆくのだろう。そんな彼を見るたび、なんとか彼女との「出会いのときめき」を思い出させようとする僕なのだ。

 10代の時にアメリカへ来たおかげで、「女性に尽くさせる」アジア・スタイルの男性像より、「好きな女性に尽くす」アメリカ・スタイルの美徳を学べたことは感謝している。数年前、武道の韓国人師範宅へ修行仲間と招かれた時、玄関をくぐるや、「お〜い、帰ったぞ。人が来ているからお茶を入れてくれ!」と、師範は英語で怒鳴る。アジア・スタイルの威張った態度に対し、アメリカ育ちの妻が返した言葉は、“Do it yourself!(自分でやってよ!)”

 恥ずかしさとメンツを失った怒りとで、師範の顔が見る見る赤くなってゆく。必死で笑いを堪える弟子たちの存在を忘れたかのごとくキッチンへ向かう姿に、僕たちは奥で何が始まるか身構えた。部屋の空気は重みを増し、時間のたつ速度が緩む中、僕たちは息を呑んで待つ。すると、筋骨たくましい背中を丸め、お盆にティーセットを乗せた師範が登場。その奥さんへの愛情を感じさせる姿に、何かほのぼのとした安らぎを覚えたのを忘れられない。惚れた女へ尽くして下がるような男の格は、しょせん自己満足ということだろう。

 僕が好きなタイの言葉で「ブパサニワット」、これは今生で「運命の糸で結ばれた人」と巡り会うまで永い歳月がすぎようと、必ずや出会いは訪れ、会った瞬間、相手が前世からつながっているのを感じるという、その「奇跡の瞬間」を表わす仏教語だ。本当に尽くしてあげたい人と出会う時、それまでの愛は色あせ、初めて魂の触れ合いを感じたような気がする。僕とワイフの出会いもまた、そんな運命的なものであった。

 1988年の夏、俳優としてハリウッドで模索中の僕はラスベガスを訪れる。ごった返すホテルのロビーで彼女を見た瞬間、お互いが運命の糸に引き寄せられたとしか説明できない出会いだった。日本では裕福なフィアンセが帰りを待つ彼女は、親友4人と独身最後の旅行を楽しんでおり、僕もロサンゼルスでガールフレンドと同棲中。それが彼女に出会うや、僕は自分が「ガールフレンドといれば楽だから」、「尽くしてくれるガールフレンドだから」という安易な気持ちで「ぬるま湯の人生」を送っていることを痛感したわけだ。

 突然の別れ話に泣き崩れるガールフレンドを残し、東京へ向かう僕はまさしく「ブパサニワット」に支配されていた。婚約者と別れてまで彼女が僕についてきてくれたのも、その瞬間を感じ取ったからだろう。日本という格式ばった社会では、友人や家族から後ろ指を刺される覚悟がいったはずだ。それでも運命的な出会いと自分の心を信じたワイフの勇気は、僕が生きている限り忘れまい。人生とは「素晴らしき出会い」で満たされてゆくような気がする。今では僕も彼女も、別れた相手同士の友人関係といったつき合いだが、それは長い目で見れば愛そうとする努力より素直な気持ちを打ち明けるほうがお互いのためだからだと思う。

 結婚生活40年という、ある有名な映画監督いわく、「夫婦はいつも恋人であり、親友であり、パートナーであることが望ましく、『彼女(彼)のここは好き、ここは嫌い』と言いだせば、いつしか『出会いのマジック』が消え去る。長所も短所もまとめて愛せてこそ本当の愛であり、『この人のためなら死ねますか?』と、あるいは『もう一度人生やり直せるとしたら、またこの人と一緒になりますか?』と自問した時、躊躇なく『イエス』と答えられないなら即座に別れるべきだ」そうだ。今でも仲むつまじい監督夫妻を見るたび、真の愛があれば、もはや死は存在しないという実感が湧いてくる。

 宇宙空間に浮かぶ何億という星の1つ、この地球というちっぽけな惑星では、もっとちっぽけな人と人とが巡り会う。そこへ「運命の出会い」、あるいは「宇宙のエネルギー」を感じる人、感じない人、いろいろいるのが当然だ。しかし、感じかたはどうあれ、人生の伴侶へ気まずい想いをした時こそ、デートで胸が高まった瞬間、一緒にいるだけで心が和(なご)んだ瞬間、尽くす喜びを感じた瞬間、それらの感動を思い起こしてほしい。そして、「永遠の一部」である今をワイフと生きる幸せに感謝しながら、いつまでも恋人同士のような関係でいられる自分を願う。やはり仏教語で、

 「人生とは今である」・・・・・・お互い、悔いのない人生を!



(1997年7月1日)


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