ベニスの商人(上)
日本ではイタリア語読みでベネチアとも呼ばれる、北イタリアのアドレア海に面した運河の街ベニス。未だ“ベニスの商人”で知られるような中世の商業都市の面影を残すこの街へ、毎年9月になると国際映画祭のため多くの業界人が集まってくる。ただ、カンヌや同じイタリアのミラノで開かれる大規模な映画祭とは異なり、がつがつした商業ペースがあまりない。のんびりとしたムードは、まさにヨーロッパの映画を称える祭典といえよう。僕が初めて参加した1991年は、ちょうどユーゴスラビア紛争のまっただ中であった。桟橋からアドレア海を見ながら、その向こう側で起こっている惨劇を想うと心が苦しくなったのを覚えている。内戦中のユーゴから車を飛ばして映画祭へ駆けつけた人もいたり、ともかく試写会で見た彼らの作品に感じられた民族感情の強さは忘れられない。大学時代、初めて訪れて以来、大学院を中退して世界旅行をしている時が2度目、今度は3度目のベニスであったが、何時来ても変わらぬ「水の都」のたたずまい。その石畳へ何千年の歴史を秘めた広場など、仕事で来ているのにもかかわらず、観光客のような興奮を覚えさせる不思議な魅力が漂う街だ。
そもそもの始まりは、友人のアメリカ人プロデューサー、ザック・ノーマン氏がフランスの有力なプロデューサー数人と橋渡しをしてくれるということで、僕と25年来の親友かつビジネス・パートナーのマイク・アーウィンは出かけた。ところが、ザックと3人の珍道中はロサンゼルスからニューヨークへ向かう国内線で脱線し始め、なんだか雲行きが怪しくなってくる。
数々のヒット作を製作し、プロデューサー歴20年のザックは俳優としても著名で、“ロマンシング・ストーン/秘宝の谷”でダニー・デ・ビートの悪徳兄弟役を好演したのが彼だ。憶えているかたもおられると思う。プロデューサーのマイケル・ダグラスと意気投合し、あれ以来2人は親友づき合いを続けている。そのザック、少しお酒が入ると性格は豹変し、まるで舞台へ立ったコメディアンのごとくジョークを連発する癖が抜けない。今回は離陸直後のウォッカ・マティーニが効いたらしく、その周りを爆笑の渦に巻き込む特技(?)を、さっそく発揮してハリウッド体験談を面白おかしく語りだす・・・・・・さあ、「ショー・タイム!」
“ロマンシング・・・”の撮影中、ザックとデ・ビートの2人が「漫才コンビ」を組み、クルーはみんな笑いっぱなし、共演のキャスリーン・ターナーなど吹き出して台詞が言えない場面もあったとか。その経緯(いきさつ)を語りながら酒の勢いで興奮し、ついに座席から立ち上がり、アクション入りでワニを取り押さえるシーンを再現するザックの臨場感あふれるパフォーマンスは、とうとうスチュワーデスまで拍手喝采、ますます弾みがつく。
コメディー“キャデラックマン”で、ロビン・ウイリアムス扮する中古車セールスマンの浮気相手の亭主を演じた際のエピソードでは、あまりの過激なロビンのアドリブが台詞のタイミングを狂わせ、共演者は苦労したことや、ティム・ロビンス扮する欲求不満のバイカーに全員が監禁されるシーンでは、緊張感を演出したいロジャー・ドナルドソン監督("ダンテス・ピーク")がキャストを本気で脅迫したことなどを独り舞台で演じてくれた。5時間はあっというまに過ぎてケネディー空港へ到着、ヨーロッパ便に乗り継ぐや、ザックのパフォーマンス・パート2が始まり、笑い過ぎて腹筋が痛くなる頃、いつの間にやら蒸し暑いイタリアへ到着していた。
建物をはじめ都市全体が細かく打った杭の上に建つベニスは、その構造ゆえ自動車が禁止されているため、交通機関といえば水上バスか水上タクシーかゴンドラしかない。ベニスの中心部サン・マルコにあるホテルへ落ち着いた僕は、桟橋に群がるゴンドラや運河の彼方で浮かぶ巨大な教会の景観へ、しばし見入っていた。と、電話のベルが鳴る。相手は、自室の冷蔵庫から目ざとく見つけた白ワインに時差ボケでハイテンション気味のザックだ。夕食の算段がてら街を散歩しようと言う。昼寝をするつもりでいたマイクを説得し、さっそく出かける支度(したく)をする。スーツケースの衣類を骨董品のようなタンスへしまい、書類は情緒ある調度品の上に置く。カジュアルな格好に着替えてロビーへ降りた僕を、充血した目をこすりながら待ち受けるザックのアロハ・シャツが、いやはや派手なこと!
地図もないまま、ビザンチン風のバシリカの横を通り、煉瓦を敷きつめた路や運河へ架かった小橋を越えながら、ザックはツアーガイドよろしくベニス情報を教えてくれる。55歳という彼の年齢や、訪れるのが数10回目のベニスにもかかわらず、少年のような好奇心で街並みを観察するその姿へ、僕はふと彼がプロデューサーとして成功したエネルギーの原点を垣間見るような気がした。
夕方の5時とはいえ、そろそろ薄暗くなりだす頃、何やら異様な臭いが立ちこめた場所へさしかかる。われわれ3人は顔をしかめつつ、その2つの可愛い小橋が交差する運河のたまり場で辺りを見回す。どうやら臭いの原因は、何世紀分ものコケがこびり付く建物の脇へ放置されている壊れたゴンドラらしい。夏の熱気と泥水が作り出す運河の悪臭も、原因さえ判ればあんがい気にならず、
「悪臭もこの街の風物詩さ!」というザックの言葉へ無言で納得しながら、水上タクシー乗り場に向かう。
水上タクシーで約2〜3分、ザックのお薦め料理「イカ墨のリゾット」を求め、14世紀の面影をとどめるホテル・サトゥルニャへ着いてみると、さすがに名声を聞きつけたのか、フランス語、イタリア語、ドイツ語が飛び交う欧州(ユーロ)感覚の店内はロサンゼルスで面識のある映画関係者の顔がチラホラ。仕事はさておき食事を満喫しようというその雰囲気が、ビバリーヒルズなどの食事も仕事の一部といったパワー・ランチとひと味違って、僕にはとても新鮮だった。
注文したリゾットがテーブルへ出てくると、真っ黒でルックスは悪いが、1口食べれば唸(うな)ってしまう。地中海産の柔らかいイカや香ばしいチーズを上手くライスと絡めた絶品なのだ。ハリウッド・タイプの連中は、ほとんどこの料理を食べているのが不思議なぐらい・・・・・・と思いきや、後日、耳にしたところでは、ハリウッドのスタジオ重役、エージェントといった連中の間で「ベニスでイカ墨リゾット」を食べることがトレンディーだそうな!?
ハリウッドの流行(はやり)はさておき、シャンデリアの向こう側のテーブルへ目をやると、顔見知りのフランス人がいる。彼は僕が翌年の製作を予定していたアクション映画“ファイナル・ラウンド”のヨーロッパ配給権に、以前から興味を示す配給会社の社長だ。高価な赤ワインをすすりながら食後の葉巻へ火を点けようとする彼の横に立ち、「ボンジョールノ!」と右手を差し出す。僕のようなアメリカから、それも独立プロダクションのプロデューサーなどめったに来ないベニスでの再会を、彼は太った身体を揺すって喜んでくれた。そして、ウェイターに椅子を持って来させ、胸ポケットからイタリア製とおぼしき上質の皮革でできた葉巻ケースを取り出し、
「ハバナだぜ!」と自慢げに言いながら勧め、クルバジェのコニャックを2つ注文(オーダー)する。しかし、煙草を吸わないので断った僕の耳元へ、
「俺が勧めるのを拒否されると、このテーブルの連中に体裁わるいんだよな!」と、何やら日本を思い起こさせるような外交辞令を囁(ささや)く。そう言いながら、ゴリラの親指ほどもあるキューバ産シガーの端っこを手際よくクリップして僕に渡す。受け取るとキンピカのシガー専用ダンヒルで火を点けられ、最初の一口を味わった苦さと葉巻独特の「臭さ」へ、今度はコニャックの円やかながら強烈な味が追い打ちをかける。閉口しつつ、彼の顔を立ててつき合った食後のひとときは、それから合流したマイクとザックが葉巻好きなことも手伝ってか、さほど辛い経験ではなかった。
仕事を忘れての長い食事、食後のブランデーとシガーで盛り上がる会話、自然と信頼関係や人脈を生む環境、そんな長い歴史が育(はぐく)んだヨーロッパ文化へ、この時、僕は初めて触れた気がする。以来、ヨーロッパを訪れるたび、マイクと2人で食後のコニャックと葉巻を嗜(たしな)むようになった。そういえば、やはりヨーロッパの影響なのか、近ごろハリウッドでも葉巻好きが増え、アーノルド・シュワルツェネッガーやメル・ギブソン、果てはマドンナやデミー・ムーアという女性群まで通う会員制高級シガー・クラブが繁盛するほどだ。
結局、「郷に入らずんば郷に従え」を地で行った僕たちは、おかげでそのフランス人と配給交渉をまとめることが出来た。しかし、それ以上の収穫といえるのは、せっかく自分が日本人でありながら、アメリカという歴史の浅い国で住むうち、日本やヨーロッパに根着く「歴史の重み」を忘れがちなこと、つい伝統を軽視し、そこから学ぶ姿勢を失っていることを再認識した点かもしれない。そして、どんなに忙しかろうが。せめて「食後のくつろぎ」を他人(ひと)と味わえる余裕ぐらいは失わずにいたいと思う。
ともあれ、「食後の葉巻とコニャック」でベニスの初日が更けた翌日、僕は朝早く起きて桟橋沿いを走るうち、「ベネチア硝子」で有名なムラノ島が見えるところまで来ていた。朝靄でけむる小さな公園を見つけ、ベンチに佇(たたず)む老人とカタコトで会話を交わした。そして、この水上都市しか知らない年老いたイタリア人から見る世界へ想いを馳(は)せつつ、そろそろ地元の人たちが水上バスの乗り場に急ぐ中を、際限なく続くタイコ橋を渡ってホテルへ戻った。
朝食後、背広(スーツ)に着替えた我々は、いよいよ映画祭が催されているリド島を目指す。モーターボートの小型水上タクシーは、夢と希望に胸を膨らませた新米プロデューサー2人と、彼らへ20年前の自分を見たベテラン・ハリウッド人1人を乗せて、夏のアドレア海を滑るように走ってゆく。 (続く)