キャスティング・カウチ(上)



 さて、長椅子(カウチ)が、いったいキャスティングとどう関係するのであろうか? 不本意ながら、ハリウッドのプロデューサーといえば、昔から若き女優志望者たちへの職権乱用というイメージは拭えないようだ。出演や台詞を増やすことを餌に彼女たちへ迫るプロデューサー像が、時には映画の中ですら登場するから情けない。また、女性が強くなった今日、役を獲得したくて彼女たちのほうから色仕掛けのケースもある。

 最近は廃(すた)れたようだが、日本の映画界には「大部屋」という独特のシステムがあった。かつての名優といえば、大半は大部屋出身だ。ある程度、年配のかたなら、この大部屋が今でいう「セクハラ御殿」の一面を持つことは、ご存じであろう。大部屋こそないハリウッドも映画なら本家、下心のあるプロデューサーが面接という名目で美女を誘い、面接の途中(?)にセックスを楽しむのは、いわば業界で「暗黙の了解」となってきた。仕掛けたり、仕掛けられたり、それが慢性化した結果、「オレのキャスティング・カウチは広げるとベッドになるぞ!」など、自慢する輩(やから)までいる。僕が自分の映画試写会で、同じ業界人から「あの女優ともうヤッたのか?」と耳打ちされ、真顔で聞く相手に仰天した経験も少なくない。

 プロダクション・オフィスへ行くと、キャスティングの部屋にはたいがい、さり気なく置かれた長椅子(カウチ)を見かける。多くの人間が出入りしたり待ったりする性格上、あって当たり前だ。それを、すわる目的だけでなく、どれだけ活かしているかはプロダクションによって様々だろう。ただ、この家具がオーディションで訪れる俳優側、そして彼らを振るい落とす製作者側、両サイドの人間へ興味深い存在であることだけは確かだ。

 古今東西、売れっ子で「She has screwed her way up(身体を張って、のし上がったのさ)!」と陰口を叩かれる女優がいる一方、今やゲイのプロデューサーから誘われたという男優の話さえ、珍しくなくなった。僕個人は「己れが納得する限り、何をしてもいい」と思う。仕掛ける側、仕掛けられる側、立場はどうあれ、当事者たちが自らの意志で行う行為は、たとえ第三者へ「セクハラ」と写ろうが、道徳的にもとやかく言うべきではないはずだ。プロデューサーの職権乱用や役が欲しくてセックスを武器とする俳優の良し悪しは、結局、当事者たちの価値観次第である。したがって、“職権乱用プロデューサー”や“俳優の卵”たちが淫らな行動をしたからと、責める気はない。もし、創造性のない職権乱用や演技能力をセックスでカバーするという次元でいるなら、一番大切な「セルフ・イメージ(自意識)」を失くし、自分自身へ跳ね返ってゆく。自分自身が損をするだけだ。

画像による目次はここをクリックして下さい  通常、スタジオ作品、インディペンデント(独立プロ)作品に拘(かか)わらず、キャスティングの段取りは、キャスティング・ディレクターと呼ばれる専門家(プロ)を選択するところから始まる。これまでのエッセイでも触れているが、彼らは今まで自分たちが参加した映画作品リストや他のプロデューサーからの推薦状などでセルフ・プロモートし(売り込み)、たいがいは過去に製作する映画と同じジャンルの作品を上手くキャスティングした者で落ち着く。

 映画のクレジット・ロールを見ていると、よく“×× C・S・A”とあるが、これは××が「キャスティング・ソサイティー・オブ・アメリカ」所属のキャスティング・ディレクターを意味し、実績と信用の勲章でもある。大物監督の場合、もうお決まりの人がいて、「彼(彼女)なら、この脚本に最適の配役を手配してくれる」という絶対の信頼を置いているのだ。

 製作会社と契約後、彼らの仕事はプロデューサーや監督のビジョンによる主演候補者への打診から始まる。エージェント(代理人)に電話し、現在、お目当ての俳優のギャラが予算枠内であることを把握した上、脚本のコピーを送るわけだ。受け取ったエージェントは、さらっと脚本を読み、俳優へ粗筋や撮影期間と条件などを伝え、自分の意見を添える。たとえば、ギャラが比較的安くとも、将来性のある監督だとか、共演者の顔ぶれやプロデューサーの実績などから承諾すべきだという類(たぐい)。この段階では、プロデューサーやキャスティング・ディレクターとエージェントとの信頼関係が、当然ながら物を言う。

 時として、「○○を使いたいなら新人の□□も」などとエージェントの押しつけがましい交換条件を渋々ながら承諾し、誰それの楽屋(トレーラー)はキャストの中で一番大きくないと駄目という、まるで駄々っ子のような要求さえも呑み、相互関係を深めてゆく。俳優の人気を笠に着たエージェントの横暴さたるや、僕のエージェント・アレルギーも少しは判って頂けるだろうか? なおかつ、彼らなくして俳優をパッケージしてもらえない弱みから、相変わらずランチやゴルフへ誘って根回しに励む僕なのである。

 こうして主役クラスが決定すると、キャスティング・ディレクターは「ブレイク・ダウン」と呼ばれる配役募集要綱を各エージェンシーへ伝えるのだが、これはSAG(Screen Actors Guild/映画俳優組合)に登録されたエージェンシーが持つ特殊なケーブル/ファックス装置でしか受け取れない。そして、その内容を読んだ各エージェンシーは、それぞれの役に適した候補者を写真と履歴書同封で提出(サブミット)してくるという段取りだ。脚本を細かく分析し、全配役の理想像を自分なりに描くキャスティング・ディレクターが、実際、その中から面接して台詞を読ませたいと思う俳優のエージェントへ連絡を取り、いよいよオーディションの日程を組む。第1次審査のオーディションでは、数多く集まった俳優が一通り演技をする。その中で有望な人間を再度呼び戻すことから、第2次審査は「コールバック」と呼ばれ、プロデューサーや監督がキャスティングに顔を出し始めるのは、このあたりだ。役柄以外の話もして、その人間の多面性や性格などを探ろうとする時期であると同時、非常にクリエイティブで楽しいプロセスといえよう。

 自分が求めるイメージを相手はどこまで広げられるか、それを探り出すプロセスながら、時として予想外の展開もある。求めるイメージとかけ離れたタイプでありながら、役そのものへ新しい息吹を与えてくれるような俳優との巡り会い。思いもよらぬ相手の解釈が、自分のイメージを一回りも二回りも脹らます。そんな巡り合いこそ、まさに創作ならではのスリル、僕が映画製作へ魅かれる大きな理由の1つなのだ。

 さて、自社内に小綺麗なキャステイング・オフィスを擁(よう)する大手スタジオと違って、われわれ独立プロダクションは安住の地を持たない。ジプシーさながら、製作ごとでプロダクション・オフィスが変わる。1作づつ別の賃貸オフィスをベースとしながら運営する以上、キャスティングの場所も先差万別だ。僕の処女作“ナイト・ウォリアー”の場合なら、各映画祭で諸外国の配給権を前売(プリセール)した海外配給会社との製作であり、プロダクション・オフィスもキャスティング・オフィスも、ウェストL・Aはサンタモニカ通り沿のコディアック・フィルムという配給会社内へ設置した。空手アクション映画の性格上、どうしてもごついタイプの役柄が多く、ギャンブル絡(がら)みのストーリーなので、キャスティングは悪人面のキャラクターが中心となる。初めてのプロデュースというところへ、予算が限られており、僕は比較的安上がりな経験の浅いキャスティング・ディレクターを雇ったのだが、おかげでえらい目に遭うと、その時点で誰が予測できよう?

 実績のあるキャスティング・ディレクターは、それだけエージェントからの信頼度も厚い。傲慢(ごうまん)なエージェント連中が逆に胡麻をするほどの権威さえ持っている。反面、情熱で勝負する新米キャステイング・ディレクターは、エージェントのパワーと直面して圧倒されてしまうとか、狙う相手が主演級スターともなれば、エージェントの思うまま、好条件で事を運ばれるケースは多い。彼らの重要性が認識できない僕は、キャステイングの予算枠内で押さえることしか念頭になかった。他の予算枠を削ってでも辣腕キャスティング・ディレクターをチームへ招くべきところを、低価格で打診してきた友人の知り合いを雇い、撮影開始の土壇場までメインとなる悪役が決まらず気をもんだ。

 いま思うに、彼らは彼らなりのベストを尽(つ)くしたんだと思う。しかし、将来融通をきかしてもらおうという魂胆があるエージェントへは、駆け出しのキャスティング事務所が請け負った企画だと魅力は薄い。どうしても、無視されがちになり、結果、最後までもたついたのである。ただ、もたついたことさえ、歳月を経ると懐かしく思い出されるのだが・・・・・・

 ともあれ、キャスティングを始めて間もなく、僕は製作オフィスへ顔を出した。すると、配給会社のロビーが、黒い皮ジャンを着た大男、筋肉質の東洋人、バイカー・タイプのヒゲモジャ男、セクシーなブラウスに身を包んだ怪しげな美女などでごった返し、まるで留置場のごとく! スケジュール表を見て、その日は敵役、悪役のオーディションが予定されているとわかり納得する。キャスティング・オフィスへ足を踏み入れると、監督とキャステイング・ディレクターはすでに着席しており、一種独特の雰囲気だ。残念ながら(?)座り心地のいい長椅子(カウチ)こそないが、長いテーブルを2つ並べた明るい部屋は、これから初めてのキャスティング・セッションを控える我々の期待感や興奮、そしてロビー周辺から伝わってくる俳優たちの情熱のせいか、表現しがたい異様な熱気が漂っていた。(続く)



(1997年10月1日)


Copyright (C) 1997 by DEN Publishing, Inc. All Rights Reserved.

ベニスの商人(下) 目次に戻ります キャスティング・カウチ(下)