明日に向かって撮れ!?



 僕が初めてローレンス・ベンダーと会ったのは、まだお互いが駆け出しプロデューサーだった1991年の春である。“ナイト・ウォリアー"、"スペ−ス・エイド”に続く3本目の映画“オルテリア・モーティブス”の製作準備を進めていた僕は、監督候補の中から誰を選ぶか頭をひねっているところで、知人や他のプロデューサーの推薦者を聞き回っていた。それ以前から「ひと味違う」脚本を我々に提出していたローレンスも、その1人だ。

 彼が電話で推薦してきたのはハーバード大学出身の弁護士、そしてアメリカ人でありながらチリ代表としてオリンピックのスキー種目に出場経験を持つという変わり種、ジェームス・ベケットだった。数人の候補とインタビューを重ねていくうち、ライター・ディレクターとして僕たちのビジョンを最も創造的に演出できる人物はジェームス以外いないと感じた我々は、彼と監督契約を交し、製作へと乗り出す。また、ジェームスを紹介した報酬として製作チームに参加を望むローレンスの願いを受け入れ、彼自身としては不満であったと思われる第2助監督のポジションを提供することも決定した。

 ウェスト・ロサンゼルスにあるローレンスのアパートを訪ねた僕は、ジェームスという素晴らしい人材を紹介してくれたことへの謝意を述べ、主演俳優トーマス・イアン・グリフィスと共同プロデュースの条件や、以前から信頼を置いているクレイグ・サトルを僕の右腕となるライン・プロデューサーに起用したい意向を伝える。僕よりも前からハリウッド・ゲームへ加わり、自信を持った脚本を蓄えてチャンスを窺(うかが)うローレンスにとって、俳優関連の書類整理や俳優をトレーラーから連れて来るのが主な役割であるセカンドA・D(アシスタント・ディレクター)、つまり第2助監督の仕事は、いわば屈辱的なオファーだったに違いない。

 2階建てで2棟続きのアパート1階の部屋は、ドアを開けると豪華な家具こそないものの、所狭しと物が置かれた机や数冊の脚本を並べた本棚に囲まれた小じんまりした居間だったのを覚えている。向かい合ったソファーへすわる僕に、本当は気の進まない役職だが生活のため承諾すると言う彼の寂しそうな顔、そして肘掛けの破れたソファーや薄汚れた壁に、僕はハリウッド・ドリームを抱いて日々葛藤する同世代の人間の「不屈の魂」みたいなものを垣間見るような気がした。

 ひととおり仕事の話が終わり、僕たちはお互いの未来像みたいなものを語り合い、その時ローレンスが見せてくれた脚本“ボクシング・ヘレナ”は、手足を断絶された美女が主人公の冥(くら)いドラマで、人を通じてマドンナに出演交渉中だという。もう1冊気を引いたのは、ジェームスと並んで彼が目を付けているという無名のライター・ディレクター、ボアズ・イエーキンの“ルーキー”という警察もの。それらの脚本を借りて帰り際、ローレンスは今ビデオ屋に務めている変人ライターが画期的な脚本を書いており、もうすぐ仕上がるので、そのうち見せると言う。そして、「今までにないような観客をアッと言わせる映画」を作りたいと情熱を込めて語るローレンスの「気」は、貧しい部屋を熱い空気で包み込み、ひしひしと伝わってきたのが忘れられない。

画像による目次はここをクリックして下さい こうして“オルテリア・モーティブ”の撮影は始まり、ヘッドセットとウォーキー・トーキーを武器に、鬼軍曹のようなファーストA・D、ジェイク・ジェイコブスの指揮の元、次々と雑用をこなしていくローレンスの姿も、ヒットTV番組“マイアミ・バイス”のライターとして活躍したジェームスの溌剌たる監督ぶりや、ヒット作“ブルーズ・ブラザーズ”を撮った撮影監督ステイーブン・キャッツの手慣れた仕切ぶりに隠れ、注目外の存在であった。時たま出くわし、「やってるな」と目で合図する以外、特別な会話もないまま数週間が過ぎ、あの燃えるような目を見たのは日本人町リトル・トウキョーでの撮影日だ。クルー・ランチで隣に座ってきたローレンスは、

 「マックス、君も気に入っていた例のボアズの脚本“ルーキー”ね、クリント・イーストウッドの監督でチャーリー・シーン主演の話が決まったんだよ!」

 と言う彼は、プロデュースこそ出来ないが、自分の見つけた企画が映画化される喜びで溢れている。その日の午後、比較的ゆったりとした撮影スケジュールなので、第1助監督のジェイクは日本レストランのシーンをローレンスへ任す。細目の体を振り絞って「クワイアット・オン・ザ・セット!(静かに!)」、「ロール・カメラ!」と叫ぶ声が心なしか震えぎみのローレンス、きっと緊張と興奮の中で明日の栄光を感じ取っていたのだろう。それから数週間後、撮影が大詰めに差しかかった頃、コーヒーを啜りながら“ボクシング・ヘレナ”のほうもシェリリン・フェン(後に“ツイン・ピークス”で名を成す女優)主演で製作が決定したと告げるローレンスは、より調子がついてきたようだ。

 ただならぬローレンスの“選択眼”に刺激された僕は、前よりも「宝探し」に精を出すのだが、撮影終了後のラップ(打ち上げ)パーティーで起こったことだけは今だ悔やまれる。ルイジアナ州から来ている照明クルーが滞在中のマジック・ホテルは、その名の通り手品を見ながら食事のできるハリウッド名所“マジック・レストラン”裏手のモーテル風ホテルだ。そこを借り切ったバーベキュー・パーティーが、ロック・ミュージックに乗ったドンチャン騒ぎへと進展してゆく。次々と到着するクルー・メンバーたちと写真を撮りながら談話中の僕に、例の輝く笑みを浮かべて近づいて来るローレンスの手には、1冊の脚本が握られていた。

 おっとりした性格ながら、任された仕事と全力でやり遂げる能力と部下への優しい配慮を兼ね備えた彼は、サードA・Dを務めた女の子にも人気があり、彼女からのダンスの誘いを遮るように脚本を差し出す。「貯水池の犬」という意味合いのタイトルとその内容を説明しながら、ローレンスはこの血なまぐさい脚本を書いたライターのことを面白おかしく紹介する。ビデオ屋で勤めながら、ありとあらゆるビデオを見尽くし、中でも日本の千葉真一主演のアクションもの、そしてジョン・ウー監督などの香港ギャング映画が大好きという作家の名前はクエンティン・タランティーノであった。

 明日からこの脚本をいろいろな製作会社へ提出するんだというローレンスの声を聞きながら、翌日の編集のことなどで頭が一杯の僕が実際にその脚本を読んだのは、ラップ(打ち上げ)パーティー数週間後だ。戦慄なまでの場面描写、そして犯罪の陰で貫かれた「男の友情」といったテーマと「生の人間が喋るごとく現実的な台詞」は、どことなく日本のヤクザ映画と通じる部分がある。その脚本は、やがてライブ・エンターテイメントという極小製作会社の重役リチャード・ゴールドスティーンの目に止まり、カンヌ映画での華々しいデビューを経てタランティーノ時代を築く礎となってゆく。読んだ後、ローレンスと話した僕は、

 「スタジオ映画でなく、自分達がコントロールできる独立プロ体制で製作していこうと思う。予算は100万ドルくらいの規模で、最近設立したクエンティンとのパートナー会社、バンド・アパート(一際外れた)プロダクション作品としてやるよ」と聞かされ、例の彼独特の「気」を感じながら、お互いの健闘を誓い合って電話を切った。

 それから約1年後、カンヌ映画祭で再会したローレンスは、セカンドA・D時代と比べなんとなくあか抜けたイメージであった。眩しいほど青い地中海を臨むホテル・カールトンのテラスで昼食を取った際、映画祭オープニングの試写を控えて意気揚々とする彼が目を輝かせながら語ったのは、クエンティンと脚本家仲間のロジャー・エイボリーがカンヌの帰り道にローマへ立ち寄り、ホテルで缶詰になって書き上げるという新作“パルプ・フィクション”の話題である。そして、「この券を手配するの、なかなか大変だったんだぜ」と、笑いながら手渡してくれた2枚のプレミア入場券と引き替えにガッチリと握手したローレンスは、自分のビジョンを実現した者特有の自信を漲(みなぎ)らせていた。

あれから6年近い歳月が経ち、“パルプ・フィクション”でのオスカー・ノミネーションをはじめ、今年の話題作“ジャッキー・ブラウン"、そして前述のボアズを監督に起用した秀作“フレッシュ”や本年度ゴールデン・グローブ脚本賞受賞作“グッド・ウィル・ハンティング”などのプロデューサーとして名を馳せるローレンス。また、ミラマックス・スタジオのエースとして「ひと味違う作品作り」に邁進(まいしん)し、「誰でもビジョンさえあれば成功できる」というハリウッド神話を地でいく彼の姿は、明日へ夢を託す歩む若者達に最高の励ましだと思う。最近、電話で話した時も、またまたボアズを監督に起用したレネー・ゼルウェガー("エージェント")主演作“プライス・アバブ・ルービーズ”の3月公開に胸を高鳴らす彼の熱い口調は変わらない

 ちなみに、上の写真で左端の後ろ姿がローレンスだ。カメラの回りにいる監督のジェームスや撮影監督のスティーブン、そして短パンをはいたジェイクの片隅で仕事に励む彼の姿を見るたび、

 “The ultimate measure of a man is not where he stands in moments of comfort but where he stands in times of challenge and discovery. (人間の真価は、すべてがうまくいっている時にどうするかではなく、辛いときや岐路に立った時にどう対処するかで決まる)”というマーチン・ルーサー・キング牧師の言葉どおり、気の進まぬA・D職へもプロデューサー業と同じ情熱を注いだローレンスの「気」が蘇る。今年のゴールデン・グローブ授賞式のTV中継を見た僕の脳裏では、“ジャッキー・ブラウン”で主演女優賞にノミネートされたパム・グリアーと並んですわる彼に、かつて僕と触れあいながら“アメリカン・ドリーム”を追う「明日に向かって撮る」若者の姿がオーバーラップしていた。



(1998年2月1日)


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