オーディションと演技の日々 (上)



 ジョン・トラボルタ、ジム・キャリー、シルベスター・スタローン、ハリソン・フォード、躍進著しいレオナルド・ディキャプリオなど、映画1作の出演料が2、000万ドルといわれるAリスト・スターから、映画から映画へと役に拘(こだ)らず渡り歩く中堅俳優陣、そして明日のスターを夢見てアルバイトに励む俳優の卵たちと、華やかなハリウッドも、舞台裏を覗(のぞ)けば厳しい生存競争の場である。

 世界中でディスコ旋風を巻き起こした“サタデーナイト・フィーバー”など、'70年代後半から'80年代前半へと一世を風靡したトラボルタも、数年前“パルプ・フィクション”でカムバックを果たすまでは、まったく忘れられた存在であった。同じくタランティーノ作“ジャッキー・ブラウン”で本年度アカデミー助演男優賞にノミネートされたロバート・フォスターの場合、それまで過去の栄光をかなぐり捨て、安っぽい映画へ出演していた1人だ。彼等に代表される「夢よもう一度」のチャンス、そして「一発当たれば」という好運話が日常茶飯事なことから、ウェイターや使い走りをしながらでも俳優業を続ける人間は減らないのだろう。

 無名時代のハリソン・フォードが大工をしながら頑張った話は有名だが、僕のオフィスの隣にあるトレンディーなレストラン“ケイト・マンテリーニ”はビバリーヒルズの中心というだけでなく、ハリウッドの2大エージェンシー“CAA”と“ICM”の中間という地の利から、そこで働くウェイターやウェイトレスの多くが俳優志望の若者である。毎日、アルマーニやベルサーチを颯爽(さっそう)と着こなすエージェントたちの洒落たパワー・ランチをサービスしながら、ロサンゼルス人種特有の人懐っこさで自己をアピールしてゆく彼等のエネルギーは、端で見ていて気持ちが良いほど清々しい。

 ある日の昼食時、僕が独立プロダクションで映画製作をしていると知ってか、日替わりメニューを告げ終えた青年が、

 「来週、ショーケース(エージェントやプロデューサーを招いた公演)をやるんですが、来ていただけませんか?」と囁(ささや)く。これまで数回彼のテーブルへ着き、そのブラッド・ピットに似たイメージが好印象だったので、たぶん俳優の卵だとは思っていた。その青年が、注文したアヒ・ツナ(ハワイ鮪)のゴマ味風サラダと一緒に、ショーケースのチラシをテーブルへ置く時の笑顔に、僕は一昔前の自分を垣間見た。

画像による目次はここをクリックして下さい  僕自身、いつも自分の顔写真(ヘッド・ショット)と履歴書(レザメ)を持ち歩き、チャンスが巡ってくるのを心待ちにした時代は、そう遠い昔のことでもない。まだアメリカ東部の生活を送っていた頃、映画プロデューサーとして、いつか自分の映画を作るのだという意欲に燃える僕は、ボストンからニューヨークへ引っ越し、まず俳優学校通いを始めた。カメラの向こう側、つまりプロデューサーと反対側にいる「俳優」という存在を理解しておきたかったことと、自己表現という「人間技」を磨きたかったのが、そもそもの動機である。しかし、ホテルのガードマンやレストランのウェイターをやりながら通って来る同級生の燃えるような意気込みに、いつしか本気で演技の世界へのめり込む。

 その後、ナイアガラの滝に感動し、インディアナやカンサスの果てしなき荒野に圧倒され、ロッキー山脈を雨雲に追っ駆けられて越えた大陸横断の末、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)時代から8年ぶりのロサンゼルスへ舞い戻ってきた。当時は今ほど東洋系の俳優もいなくて、ショー・コスギが忍者役で大当たりしていたぐらいだ。そのせいか、さっそく俳優(アクター)稼業を開始すると、エージェントとの面接申し込み電話もあっさり受け入れられ、信じられないぐらい快調に話は進んでゆく。

 だが、現実はそこまで甘くなかった。話題が俳優組合(ユニオン)へ加入しているかどうかになるや、突然暗礁に乗り上げてしまう。たいがいのエージェントは、ハリウッドを牛耳る2大組合SAG(Screen Actors Guild)かAFTRA(American Federation of Television and Radio Artists)へ加入していない限り代理を断り、顔さえ見てくれそうもない。ハリウッドの俳優組合やそのシステムなど考慮しなかった僕にとって、まず組合への加入が先決問題として浮上してきたのである。

 ある日、ホスト(案内係)のアルバイトをしていたユニバーサル・スタジオ近くの高級中華料理店へ、'80年代初頭の人気TV探偵シリーズ“スタースキー&ハッチ”の主演デビッド・ソウルが食べに来て、僕はメニューを渡しながら彼の番組のファンだと告げた。喜んでくれた彼に、いま俳優としていろいろなクラスを取りながらエージェント探しの途中だと言うと、

 「まあ、いろいろ苦労があるけれど、この世界は粘った者の勝ちだぜ!」と、不敵な笑みを浮かべる。ちょうど2時間もののTVパイロット(シリーズ化が決まる前のテスト番組)を撮影中の彼は帰り際、獅子の彫刻や滝が流れる豪華なインテリアのロビーで何気なく1枚の名刺を差し出し、「僕からの紹介だと言って、彼女と会いに行けばいいよ」と微笑む。ソニア・ブランドンと書かれた名刺の肩書きはコマーシャル・エージェント、大きな壁にぶつかっていた僕へ、まるで後光が射しているように思えたデビッドの後ろ姿は今も忘れない。

 彼の口利きのおかげで、そのエージェンシーと話が決まった次は、プロモート用の顔写真撮影だ。やり手女史ソニアから教わったところによると、ハリウッドのエージェントもいろんな種類があり、“シアトリカル”と呼ばれる映画やTV番組出演を代理するエージェント、“TVコマーシャル”専門のエージェント、新聞や雑誌広告専門の“プリント”エージェント、そして声の出演、吹き替え、ラジオ・スポットのコマーシャルを専門とする“ボイスオーバー”エージェントなど、分野ごとで分かれているのだ。したがって、プロモート写真のパターンも異なり、シアトリカル系は顔のクロースアップへ芸名を書き込んだヘッド・ショット、コマーシャル系は様々なショットを組み合わせたコンポジットを使う。

 その頃、通っていたシーン・スタディー(場面分析)クラスの掲示板にカメラマンの広告が数枚貼ってある中から、何となく印象的な顔写真の撮影主を選び、僕は予約を取った。週末の午後、公園を背景に数枚のヘッド・ショットを撮影後、続いてバスケット・ボール・コートで“スポーツ選手タイプ"、オフィス・ビルの前で“サラリーマン・タイプ"、病院の出入口で“医者タイプ"、友人の寿司屋を借りて“寿司マン・タイプ"、公園の木の下で“空手家タイプ"と、違うショットを押さえてゆく。カメレオンのように衣装を変え(更衣室は当然、公衆便所や車の中)、髪型を変え、まるで“逃亡者”のリチャード・キンブル博士のような気分で1日を終えたのが懐かしく思い出される。

待望のプルーフ・シート(ネガ焼き)が上がり、写真家スティーブのスタジオでフレーム毎の小さい写真を虫眼鏡のようなループで細かく見てゆく感激と興奮!・・・・・・以来、何度か撮影セッションは繰り返したが、やはり最初の印象は一番強い。どの角度が一番魅力的だとか、どのタイプがキャスティング・ディレクターの注目を引きそうだとか、スティーブの一言一言は真新しい知識として僕の脳裏へ刻まれてゆく。どちらかといえば、クールなジェームス・ディーン風イメージが気に入ったヘッド・ショットと、やはりコマーシャル関係は笑顔がいいというスティーブの助言を聞いて選んだ数枚を、ハリウッド大通りにある俳優写真専門の現像所へ持って行くのが次のプロセスだ。

 クオリティー・フォトと呼ばれる現像所では数人の係が忙しく走り回り、列を作って待つ客は僕と同じようなマニラ封筒を抱えた老若男女、千差万別の俳優(アクター)タイプである。どこかで見たようなベテラン俳優に混じって目を輝かせた夢大き若者もいるその独特な空間は、これから始まろうとする僕のハリウッド・アドベンチャーのプレリュードであった。ともあれ、500枚のヘッド・ショット、そして厳選した5タイプのショットを気に入ったレイアウト見本どおり配置した、もう1パターンを500枚オーダーする。撮影したカメラマンへ焼き増しを頼む手もあるが、それだと高くつくことはソニアから聞かされて承知の上、オーダーさえ済ませば待つだけだ。そして長い1週間が経過、完成品を取りに行く時の胸のトキメキたるや、早くもハリウッド・スターであるかのごとき錯覚を覚えるほどであった。

 こうしてオーディションの準備は整うわけだが、ハリウッドのオーディション・システムは、まずブレーク・ダウンと呼ばれるキャスティング情報が組合に加盟するエージェンシーへ流されるところから始まる。主演級スターや共演者クラスともなれば、オーディションやインタビューとは言わず、ミーティングの形でプロデューサーや監督と対話を持つ。俳優としてミーティングを持つまで至らなかった僕ながら、プロデューサーとして自分がミーティングを持った経験からすれば、相手の俳優との世間話を通じて適役かどうかを探る懇談会の雰囲気だ。

 脚本を実際に読むリーディングというプロセスを省く場合は多いが、時たま読ませてくれと志願する強者スターもいる。僕の経験範囲内での標準的“俳優生存競争”は、だいたい各ブレーク・ダウンを流すプロダクションが求めるタイプを、代理のエージェントは写真で提出し、その写真選考後に第1次オーディションを行う。事前の電話連絡で、何日の何時に何処で、どういう役柄のインタビューという情報を把握し、当日は自分と似たようなキャラクターが何人もいる待合室へと入ってゆく。

 最初の頃、ハリウッド中に散在するキャスティング・オフィスがなかなか見つからず、時間ギリギリに到着したものの、今度は駐車場が見つからないといったドジの連続であった。その僕が、ようやくオーディションへのリズムをつかみ始めた頃、ある日系俳優と遭遇する。そのベテラン俳優との出会いは、緊張と競争心ばかりで囲りの人間への思いやりなどまったくなかった僕に大きな教訓となり、人間的に目を覚まさせてくれるのである! (続く)



(1998年4月1日)


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