オーディションと演技の日々 (中)



画像による目次はここをクリックして下さい  ある夏の昼下がり、TVシリーズのオーディションを終えた僕は、ハリウッドの中心部にあるパラマウント・スタジオからハリウッド・フリーウェイで次のオーディションへ向かった。15分後に迫るCMオーディションのキャスティング・オフィスへ何とか駆けつけるや、35度を超す炎天下、まずシリーズ用のカジュアルな学生風出で立ちを、事前にエージェントから知らされていた日本人ビジネスマン風の地味なダーク・スーツと着替える必要がある。しかし、何せ駐車場の車の中なので、バタバタする割には上手くいってくれない。

 エアコンは全開のまま、トレーナーとジーンズを脱ぎ捨て、後部席のスーツへ手を伸ばす。Yシャツを着てズボンをはく僕の脳裏で、

 「いま警官に見つかったら、猥褻物陳列罪で捕まるかも・・・・・・」などと余計な思いが掠(かす)めるのを振り払い、なおも着替えてゆく。ネクタイを結び、その結びめをバックミラーで直すと、次は髪型だ。前髪を垂らしたラフなスタイルを、持参のジェルでサラリーマンぽく七三の横分けにまとめ、小道具の眼鏡をかければ、ようやく準備が整う。戦(いくさ)へ望む若武者のごとく深呼吸をして車のドアを開けた瞬間、どっと押し寄せる空気は猛烈に暑い。窓ガラスへ写る自分の商社マン姿を再点検し、顔写真(ヘッドショット)と履歴書(レザメ)の入ったカバンを下げ、颯爽(さっそう)と歩き始めた僕に、南カリフォルニアの太陽が容赦なく照りつける。

 ユニバーサル・スタジオから近いこのキャスティング・オフィスは、建物の古びた外観を見る限り、まず想像がつかないほど内装はモダンだ。一歩中へ入ると未来の宇宙基地のようなハイテク・オフィスで、広いコートヤード風のロビーを俳優タイプが占拠している。彼らのほとんどは壁に貼られた大きな掲示板へ、1階と2階に分散するCMのクライアント名が列記された部屋割りで目指す名前を見つけ、個々のオーディションへ挑む。その日、僕のクライアントである“コカコーラ”のキャスティングは2階の一室で行われていた。大手企業のCMオーディションが初めての僕は恐いもの知らず、チャコールグレーのスーツの下でじっとり汗ばみながらも涼しい顔で、大胆不敵な薄ら笑いさえ浮かべ、階段を登ってゆく。

 快いエアコンの風を感じつつ、自信満々で目指す小部屋へ入った僕を待ち受けていたのは、15人以上の日本人サラリーマン     いや、それ風の東洋系俳優と言うほうが正確だろう。'80年代当時、日本で生まれ育った俳優といえば、ベテラン、マコ("砲艦サンパブロ")ぐらいで、ほとんどの日本人や中国人役は東洋系アメリカ人がキャストされた時代である     その国籍不明の東洋人達から、いっせいに「この新入りは、いったい何者だ!」と、冷たい無言の視線を浴びせかけられ、先程の不適な自信は何処へやら、エアコンで引いたはずの汗がドッと吹き出す。それでも何とか気をとりなおし、小さな机に置かれた俳優組合指定の申し込み用紙へ名前、年齢層、人種、エージェント名、社会保障番号など必要事項を書き込み、満席の待合いベンチを横切って部屋の反対側へ移る。そして、棒立ちになったまま改めて囲りの様子を窺(うかが)ううち、みんな自分よりは適役のような気がして、ますます心は萎(しぼ)む。

 なおも囲りの様子を窺(うかが)っていると、部屋中の誰もが1枚の紙を見つめてブツブツ囁(ささや)いている。それは申し込み用紙の横へ無造作に置かれていたCMの台本だとわかり、1枚取って元の場所で読み始めた僕の耳元へ、

 「その、ビジネスマンAが僕らの役柄だよ。Bは白人役だけど、一応、両方見といたほうがいいぜ」と優しい英語で語りかける声。顔を上げた僕にニッコリ微笑む坊主頭の紳士は、TVや映画で顔馴染みであった。その50歳代の俳優が、「ハ〜イ、僕はジョン・フジオカ。君は?」と、右手を差し出す仕草が余裕を感じさせる。しかし、こっちは十数人の“ライバル”がいる厳しい現実を認識したばかりか、そこへ台詞を憶えなくちゃいけないプレッシャーと、ほとんどパニック状態なのだ。挨拶もそこそこで台本に目を戻した僕へ、

 「まだまだ先が支えていることだし、もしよかったら、2人でシーンをやってみるかい?」と、ジョンは人なつっこく問いかける。僕が返事を戸惑っていると、ちょうど部屋に入ってキョロキョロ見回す若手俳優へ、申し込み用紙や台本の場所を教えたり、彼の柔和な表情に知らず知らず笑みを誘われた僕は「OK!」と頷(うなず)く。

 2人でドアの外に出て、台本どおり何回かシーンを演じると、台詞や役どころへ親近感も湧く。「年上の僕に対して、もう少し尊敬の念を込めた態度で接するほうがリアル」だとか、「もっと目で意志表示をすれば・・・・・・」などと、まるでアクティング・クラスの先生みたいな指導までしてくれたジョンは、自分の名前が呼ばれて別れ際、

 「マックス、トイレはこの通路の突き当たりだから、そこへ行って自分の顔を鏡に移して言ってごらん。“Hey, It's only an audition!(ねえ、たかがオーディションじゃないか!)”とね」と、僕の肩をポンと叩き部屋の中に姿を消した。言われたとおりトイレへ行ってから、僕は彼と過ごした不思議な空間の余韻を残しながら、厳しい表情のキャスティング・ディレクターの前で納得のいく自然な演技を披露できたと思う。

 一口にテレビCMと言うが、アメリカでは大きく分けて2つある。全米で放映されるナショナル・スポットが1つ、もう1つは西部区域やL・A地域だけのローカル・スポットだ。西部、東部南部、中西部と、各地域毎で有力な電話会社、電力会社、そして大手スーパーなどが異なるアメリカでは、大手企業のCMといえどローカルな場合も少なくない。オーディションの結果、CM撮影の契約が決まった俳優(タレント)から10パーセントの手数料を取るエージェントとしては、より放映印税の稼げるナショナル・スポットを望む。また、彼らがオーディションに対するCM獲得率の高い俳優ほど、優先待遇でバックアップするのは当然である。

 それがCMであろうと映画であろうとTV番組であろうと、セッション・フィー、つまり撮影ギャラは組合が最低額を規定しており、現在は1日8時間労働で540ドルと一律だ。ただ、上限がないため売れてくると相場は需要と供給のバランスで決まる。大きなCMや出演映画の評判が高まり、より多くの場面へ出ると、それだけ日払いのギャラも上昇してゆく上、日本と違って印税制の契約は当たり前というアメリカのCM業界で、大手企業のナショナル・スポットを2〜3本印税契約すれば、そのCMが放映される限り放映料は黙っていても左団扇(うちわ)で入ってくるから笑いが止まらない。また、大手のクライアントほど人気番組のスポンサーとして広告料へ費やす懐は深く、それが結果的にCM印税へ還元される余録もあるわけだ。

 話を戻し、その日の“コークCM”は、むろんナショナル・スポットであった。大手スーパー、ヒューズ・マーケットのローカル・スポットを決め、撮影が終わったばかりの僕は、次の契約が決まれば「2回以上、映画俳優組合認定の仕事をした者は組合への加入資格を持つ」というタフト・ハートリー法をクリアし、晴れて正式のハリウッド俳優となれる。それだけ期待が大きいだけ、オーディション直後は、電話が鳴るたび胸を高鳴らせ、夕方6時にはガックリくるという日々の連続であった。3日も経つと我慢しきれず、思いあまってエージェントへ電話を入れると、「返事があったらすぐに連絡する」と、つれない答しか返ってこない。そんな時、ふと消えたTV画面へ目やると、そこには電話の脇で運命のベルを待つ自分の浮かない顔が写っている。なんと情けない表情! 肩を落とした姿、その完全に“ドラマ”している自分へ、もう1人の自分が囁(ささや)く。それは、

 “Hey, It's only an audition!”と、ジョンが別れ際に言い残した言葉であった。

 いま机の反対側でキャスティングをする自分の当時は見えなかった落とし穴、つまりプロデューサーやキャスティング・ディレクターが配役を決める場合の選択基準を「個人的な感情で受け取らないこと」という俳優稼業の鉄則だ。最初の頃は、たまたま相手が自分と違うタイプのキャラクターを求めているのを、あたかも自分の性格や人間性まで批判されたと錯覚しがちである。それを乗り越えた時、「仕事を取りたい」必死の思いは吹っ切れ、自然体の自分が浮かびだす。極端な話、「僕より適切なタイプの役者を見つけたなら、そっちを雇うべき」みたいな、いい意味で開き直りの心境だ。

 以来、ジョンの珠玉の一言を座右の名に、僕はひと味違う俳優修行を踏み出し、しばらく経つ。そして、TVのNBAオールスター・ゲームを見ている途中、コカコーラの新しいCMがハーフタイムを飾り、そこで微笑みを浮かべていたのは、なんとジョン! この一瞬、かつて「人を活かすことが自分を活かす近道である」と何かで読んだのを思い出し、つくづく実感したという次第である。

 こうして“コークCM”は逃した僕も、結局、TVのコメディー番組に出てSAG(Screen Actors Guild)、つまり俳優組合へ加入し、白人が憶えやすいよう桐島のKをとって“Max K.”という芸名(ステージネーム)を登録した。俳優稼業に励みながら、日本語以外、世界を放浪中、一時住み着いた香港で覚えた広東語も駆使し、数少ない「本物」のアジア人俳優としてエージェントから重宝がられ始めた僕の原点は、役者として成長を願う1人の若者だ。CMなど格が下がるとオーディションすら避ける奴もいた俳優仲間の中で、僕はただひたすらハリウッドの空気を感じたくてもがいていたんだと思う。漫画のボイスオーバー(声優)から中国人の洗濯屋役まで、好き嫌いなく何でもチャレンジした経験は、貴重な人生の教訓として残っている。

 “In life, it's not what you do, it's how you do it.(人生とは、何を行うかでなく、それをどう行うかが肝心だ)”

 CMの仕事は、何本かのナショナル・スポットが同時放映されるぐらいコンスタントに入りだす頃、TVではコメディー番組や犯罪ものへの出演が、ぼちぼち増えてきた。ハワイを舞台にした当時の人気探偵シリーズ“マグナムP・I”のオーディションでは、中国人マフィアを統率する父親がギャングの抗争で襲われ、復讐に狂った若頭役。オーディションは数々の役を射止めた経験が功を奏し、リラックス・ムードで臨み、演技のほうもボストンの大学院時代、交友のあったチャイニーズ・ギャングを真似た話し方や風体には自信がある。

 ほとんどのキャステイングは「コールバック」といわれる第2次オーディションが行われ、そこまで漕ぎ着けると、ますます期待は膨らむ。通常、コールバックへは数人の候補者しか呼ばれない。キャスティング・ディレクターに加えてプロデューサーと監督自ら出席するため、緊張度が増す一方では、集中して自分をアピールすることも可能だ。数人が絡むシーンの場合、「コールバック」をした各配役の組み合わせもあり、ベスト・コンビネーションを探るため、2人づつペアで演じることも多い。自分を引き立ててくれる相手と組むのは大切だが、これこそ人を活かして自分を活かす近道の入口である。そして、どちらを取ろうと、選択は自由なのだ。

 ともあれ、“マグナムP・I”の「コールバック」へ召集された僕が、白いスーツとサングラス、紫のオープン・カラー・シャツからゴールド・チェインを覗(のぞ)かせ、ビシッとオールバックで決めて出陣すると、そこには予想通り、いかにも中国人ギャングとおぼしき数人の俳優がいた。予想外だったのは、例の仙人のごとき笑みを浮かべるジョン・フジオカの姿が混じっていたこと。思わず駆け寄り、彼を抱きしめた僕へ、

 「だいぶ顔が優しくなったね!」その皮肉っぽい言葉の裏に、あの劇的な初対面から2年近く経過しながら、彼は当時の僕の険しい表情を忘れていないと知った。(続く)



(1998年5月1日)


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