聖なる森、聖なる旅 (上)
常に創造性の向上を目指すハリウッドでは、昔から精神(スピリチュアル)を高めるセミナーやトレーニングが盛んである。トム・クルーズやジョン・トラボルタが傾倒するサイエントロジーをはじめ、'80年代にハリウッド業界で圧倒的な支持を受けたESTトレーニング、ネクサスと、そのパターンは様々だ。自分を見つめ直すためのセミナーが多くのハリウッド・プレイヤーを魅了し、それらの自己開発(セルフ・インプルーブメント)コースで一皮剥け、より一層の飛躍を遂げる者も少なくはない。ハリウッドのパーティーなどで、こうしたトレーニングが新しいオモチャ感覚で話題にのぼることも多く、それだけハリウッドは意識下での向上心が強いのであろう。もちろん、何事にも二面性はあり、これらの“自己開発セミナー”へ眉をしかめる人がいるのは確かだ。日本の場合、とくに印象が悪いようである。しかし、創価学会の過激な勧誘方や組織のあり方と個々の信仰は同じレベルで批判できないごとく、セミナーそのものより、個々がそれをどう活かすかだと思う。また、同じセミナーでもピンからキリまであり、いいものはいい。
僕がアンソニー・ロビンスと出会ったのは、映画製作を始めて間もない8年前の夏だ。当時“Unlimited Power"(邦題: 「あなたはいまの自分と握手できるか」)という自意識を向上させる彼の著書がベストセラーとなり、メディアから引っ張りだこの存在であった。それは、脚本家でもある僕の友人クリスがヨガの講師を務める“L・Aアスレチック・クラブ”で、セミナー講師としてロビンスをダウンタウンへ招いた時のことのである。
“L・Aアスレチック・クラブ”といえば、超一流の企業重役、弁護士、医者、そして大物ハリウッド・プロデューサーなどを主なメンバーとするエリート・ビジネスマンの社交クラブとして、サンセット大通り(ストリップ)の“ジョナサン・クラブ”と並ぶ著名な存在だ。ロサンゼルス・ダウンタウンの由緒ある建物は、オリンピック・サイズの競泳プール、バスケットボール・コート、トレイナー・システムを導入したフル装備のワークアウト・ジム、スピニング用の固定自転車やステップ・マシーンが数十台並ぶ4面鏡張りのエアロビクス・スタジオを完備している。また、広い屋上にはダウンタウンの高層ビル群を一望しながらプレイできるテニス・コートがあるという豪華さだ。
そのような恵まれた環境の中で、大取引を扱う企業エリートや辣腕弁護士、稼ぎ時である夏場の映画を左右する大手スタジオの名プロデューサー、かけがえのない命を救う脳外科医などが、早朝6時頃から精力的に汗を流している。早朝と午後7時過ぎは、数々のカリキュラムが組まれ、その内容はヨガあり、ローインパクト・エアロビ・ダンスあり、ジャスサイズあり、ボクシングありと多彩なものだ。それが終わると、サウナ、スチーム・ルーム、ジャクージは活気ある情報交換や社交の場と化すあたり、ゴルフの後、大浴場で盛り上がる日本のパターンと似ているかもしれない。
ともあれ、こうした社会のあらゆる場面で決定権を持つ人々が集まれば、いろいろなハプニングは起こる。重要な取引が突発的にまとまったり、あるプロジェクトの将来を決定するような人脈が芽生えたりするのも、一種独特なエネルギーの場であることを考えれば、むしろ当然の成り行きだろう。
違うフロアへ足を運ぶと、薄明かりと落ち着いた緑色の絨毯が寛いだ雰囲気を醸し出す葉巻喫煙室や、マホガニーの重厚な家具をあしらったラウンジでは、軽くトランプを楽しみながらコニャックや食前酒(アペレティフ)も賞味できる。大ホールの奥に位置するダイニング・ルームがこれまた豪華で、5つ星ホテルのロビーと見まがう高い天井から吊り下げられたシャンデリアは眩(まばゆ)いばかりの光彩を放ち、支配人、ウェイター、ソムリエ、ホストに至る全員がビシッと決めたタキシード姿だ。当然、ディナー・ジャケットなしで食事は許されない。
年間数万ドルの会費、そして会員の空を待つ入会希望者のウェイティング・リストが数百人といわれる由緒あるクラブなだけ、昔は人種差別の問題も多かったという。映画関係の大物ユダヤ人が入会を許されたのは、比較的最近のことらしい。また、長年の女人禁制がウーマンリブの標的となり、今では政治力を駆使して強引に入会した女性弁護士などが現われ、「グッド・オールド・ボーイズ・ネットワーク(男の世界)」は文字通り過去の遺物となったようだ。
そんな背景を持つジェントルマンズ・クラブで、毎朝ヨガのクラスを教えているクリスが、ある日アンソニー・ロビンス主催のセミナーへ参加し、非常に感銘を受けた。昔から東洋哲学や武道に興味のある彼は、ロビンスが説く「自分に対する後ろ向きの考えは捨て、今の姿が『理想の自分』という前提から前向きな人生を歩む」べく、発想の転換を図り始めたのである。
それまでは短気で、どちらかといえば人生のトラブルを人のせいにしていた彼が、ロビンスのセミナー以来すっかり変わって、口論の絶えなかった妻や僕への態度は寛大となり、当人も前ほど人の欠点が気にならなくなったそうだ。結果、脚本家として作品への自信は増し、それがTVシリーズ数本や大型アクション企画の再稿といった依頼に反映されてゆく。失敗や拒絶を恐れ、自分の作品をスタジオへ出し渋った以前の彼とは雲泥の差である。そんな「一皮剥けた」彼の姿を見て、僕は“L・Aアスレチック・クラブ”でヨガのクラスへロビンスを招く提案をした。
重要な社会的地位にある会員が、クリスの受けたインパクトを感じるならば面白いのでは? 人の命や運命さえ左右する影響力のある彼らが、はたしてどこまで影響を受けるだろう? そんなワクワクするような予感からの発想である。また、「生まれて初めて人生は思い通り運んでいるね!」と言い切るクリスの澄んだ瞳の奥へ、それまでなかった炎の揺らめきを見て、その秘密が知りたくなった。この時点では「すべてに感動することが大切」というロビンスの説く内容は知る由もないが、これこそクリスを通じてロビンスと触れた出会いの瞬間かもしれない。
クリスの熱意が通じ、TVのトーク番組や全米規模のセミナー・ツアーで超多忙なロビンスが、わざわざスケジュールを割いて午後7時からのヨガ・クラスで短時間のセミナーを持つことになった。“時の人”到来とあって他のクラスからも出席の申し込みは殺到し、先着50名と限定したセミナーが開かれたのは、ある夏の暑い日である。希望、猜疑心、興味などが入り混じる中、50名の出席者はロビンスの到着を待つ。
予定時間が迫り、会議室はシャワーや軽食を済ませたパワー・プレイヤーたちで埋まってゆく。優雅な室内の雰囲気も、今夜ばかりは空気が違う。7時15分前、クリスのゲストとして出席した僕は、スーツ姿の人々に混じって耳を澄ます。ロビンスの本を読んだが抵抗を感じたという60代の紳士、彼のセミナーをとって活き活きし始めた友人のことを熱っぽく語る中年のダンディー、セミナーやキャンプへは参加したいが、そこで行われるトレーニング方法は納得できないと呟く著名な映画プロデューサー、それぞれの思いで会議室の空気が弾む中、7時きっかりドアがバーンと勢いよく開く。その音で全員ドアに視線を向けると、
「ハーイ、私がアンソニー・ロビンスです!」よく通る声で挨拶をしながらハンカチで額の汗を拭う姿は、息が荒くスーツからして全身汗まみれだ。
滝のような汗でずぶ濡れのワイシャツの襟を緩めながら息を整え、怪訝そうな顔で見つめる我々にアンソニーは語り始めた。曰く、自家用ヘリコプターでL・Aアスレチック・クラブの屋上ヘリポートへ着くはずが、ダウンタウンの犇めく高層ビル群にパイロットは間違って数ブロック先のオフィス・ビルへ着陸したそうだ。助手が急遽タクシーを手配したものの、ラッシュアワーでなかなか進まない。あと7分というところで突如タクシーのドアを開けたロビンスは、唖然とする運転手と助手を渋滞の中で置き去りに、クラブ目指して駆け出す。
話を聞く我々の頭に、治安の悪い夕暮れのダウンタウンを全速力で疾走する彼の姿がありありと浮かぶ。無料のセミナーで本の即売会もないところへ、まるで親の死に目に合うかのごとくひた走る姿は、それだけで1つのドラマだ。汗まみれでクラブの玄関へ着いた彼が、エレベーターの中でなおも吹き出す汗を拭いつつ腕時計を見ると、なんとか時間通り間に合った。
ちょうど7時、会場のドアを開けた時の満足感や、振り返った我々の顔を見た時の興奮など、自分の感情を豊かな表現力で語るロビンスの表情は少年のようだ。ある種の警戒心を持って臨(のぞ)んだ人達も、その表情で心が和んだのは確かである。そんな彼にアルマーニのスーツで決めた大柄の重役タイプが、
「少しくらい遅れたって、どうっていうことないじゃないか。誰も君が時間ピッタリに現われるなんて思ってもいないし」と語りかけ、
「7時というのは僕が自分へ課した約束です。自分との約束が守れず、人との約束を守れるはずがありません」と応えたアンソニーは続いて、「『人との約束を守らない自分になってしまった』ということを素直に認めることが『理想の自分』として生きる第一歩なのです」
会場の奥で起こった拍手は部屋中に広がり、全員が万雷の拍手をロビンスへ送り、彼のペースでセミナーは盛り上がってゆく。
「人生におけるあらゆる出来事、その対応次第で自分への評価が変わってきます。何に対しても『理想の自分』だったらどうするかを考えれば、自意識を下げるような考え、言動、行動は自然としなくなっていきます」と、笑顔で語る彼の情熱的な口調が、ともすれば深刻になりがちな話題を独特の軽さで説いてゆく。
「自分の力が無限だと心から信じた時、憂い、悔やみ、悩み、不安といった後ろ向きのエネルギーは消滅し、そこに『理想の自分』としての愛、思いやり、許容力といった前向きなエネルギーの世界が開けます」こんな抽象的な表現も、心を開いて聞く者へは一筋の光を投げかけるが、心を閉ざした者は、宗教かぶれとか現実離れした戯言としか思えなかったかもしれない。
意外と素直に「理想の自分」を感じることが出来た僕は、違和感なくロビンスのメッセ−ジを受け入れるうち、30分のセミナーがアッと言う間に終わっていた。次のスケジュールを告げる助手と会議室を出るロビンスの清々しい後ろ姿を見ながら、隣のクリスやすぐ後ろですわったワーナーブラザーズの配給担当重役ハワードと感想を分かち合う僕の心で、もっと自分の「無限の可能性」を試してみたい欲望がもたげてくる。
翌日、会場で意気投合したハワードとの約束どおり、僕はサンディエゴにあるアンソニー・ロビンス・セミナーの事務所へ電話を入れ、アリゾナ州ツーソンで開催される次のセミナー参加を申し込む。“ファイアー・ウォーク・セミナー”と呼ばれる2泊3日のトレーニング・キャンプは、名前のごとく10メートルばかり敷き詰めた真っ赤に燃える石炭の上を素足で歩く「心の荒行」がクライマックスだ。それは、人間として、また映画プロデューサーとして大きくなりたいと願う僕の心をあざ笑うかのごとく、不安、憂い、悔やみ、自信のなさといった「後ろ向きのエネルギー」を極度に煽り立ててくる。 (続く)