聖なる森、聖なる旅 (下)



 「行け、ダレル、行くんだ!」

 魂からこみ上げるような僕たちの大声援が効を奏してか、涙ながらに後ずさりしていたダレルは顔を上げ、そこへ生気が戻ってきた。炎の向こうで揺れる表情は、恐怖におののく人生の「同乗者(パッセンジャー)」から、自分の道を切り開く「運転者(ドライバー)」のそれへと変わってゆく。大きく息を吐いた彼は、真っ赤に燃えたコールの道へ第一歩を踏み出す。

 とうとうダレルがファイアー・ウォークを成し遂げた時の喜びは、自分自身の時と同じぐらい強烈なインパクトで僕たちを包み込み、この瞬間「他人(ひと)の勝利は自分の成功」という言葉の意味合いを、より深く感じとったような気がする。これはその後の映画製作で座右の銘となり、また僕の考え方の基盤となってゆく。

 誰も怪我一つなく全行程が終了し、翌朝、僕たちはそれぞれの想いを抱き、ツーソンを発った。ロサンゼルスへの空路、未だ興奮覚めやらぬ脳裏にハワードと交わした会話が蘇る。「憂う」や「悩む」エネルギーはどれだけマイナス作用があり、反面「恐怖」を克服して生まれる自信は「感動」や「希望」などプラスのエネルギー源だと力説する彼の言葉を反芻(はんすう)しつつ、L・A国際空港へ差しかかると空が青い。爽快感の中で心は限りなく透明に近づき、澄みきった空さえ、あたかも自意識の産物であるかのごとく感じながらの帰還であった。

 このファイアー・ウォークは、僕の「聖なる森(ハリウッド)の聖なる旅(セレスティン・ジャーニー)」が始まるきっかけでもある。'70年代の世界放浪中、インドやネパールで無類の感銘を受け、エジプトのピラミッドやアマゾンのマチュピチュ、また今も時おり訪れるグランド・キャニオンといった「世界の旋毛(つむじ)」地帯では、ただただ涙がこみ上げる自然の偉大さと触れた。自分の潜在意識を探求する旅へ魅かれたのは、それらの体験も影響していたことだろう。今まで知らない自分との出会いが待ち受けているかもしれない「心の旅」、怖さとスリル満点の旅だ。

 ファイアー・ウォークの次は、ジョン・トラボルタやトム・クルーズの傾倒で知られるサイエントロジーのテスト・セミナーへ参加した。心の内部を測る100の質問からなるテスト用紙に答えた後、分析者(オーディター)とマン・ツー・マンの自己分析が始まる。この分析者(オーディター)は学位と関係なく、もともとサイエントロジーの生徒が資格検定コースを終了し、いわば潜在意識の引出役を務めるというものだ。

 僕の分析者(オーディター)は当時女優の卵だったクリスティー・アリー("ベイビー・トーク"、"地球は女で回ってる")で、親切に辛抱強く僕の自意識を探る手伝いをしてくれる。発言の信憑性を身体の反応で測定する嘘発見器のような機械が真ん中に置かれ、週2日ペースで自分の最も恐れていることや自分の成長を妨げているのは何かという話題から、セックス観や親兄弟へ抱く本音まで、様々な内容を素直な気持ちで話し合ってゆく。

 セッション毎のセミナー料金が決して安くない上、創始者L・ロン・ハバードの著書を読まされたり、1段づつのステップを昇りつめて“クリアー”と呼ばれる最終段階へ到達するまでには、かなりの投資が必要だ。僕の行ったバンナイズ支部へは、ごく普通の社会人が毎晩通ってきた。周囲の出来事で振り回されないだけの主体性を持つ“クリアー”となるまでのは数年かかり、その間、心身を清める“ディタックス”と呼ばれる2ケ月間の清浄期間がある。

 僕も体験したディタックスとは、酒(アルコール)、煙草(ニコチン)、コーヒー(カフェイン)を含む麻薬(ドラッグ)がいっさい禁じられた期間中、毎日1時間ドライ・サウナで汗を流し、一升以上の水を飲む。これを繰り返すうち、体内の汚物は排出されてゆくのが実感できる。なんとなくドラッグのリハビリ・センターのような響きもあると思いきや、じっさい蒸し暑いサウナで知り合った中の1人は、その後麻薬(ドラッグ)のオーバードースで他界する無名時代のクリス・ファーリー("ビバリーヒルズ忍者")であった。

 一時期“クリアー”への道を究めたくてセンターに通い詰め、“分析者(オーディター)コース”まで受講した僕も、3年後、その狂信的とさえいえる勧誘ぶりが納得できず身を退く。なんだか自分はカルト集団活動をしているような気がしたからだ。ただし、サイエントロジーの教義やそれまで3年間の修行はじゅうぶん納得し、考え方が変わったわけではない。

 未だハリウッド人を魅了してやまないサイエントロジーが素晴らしいのは、合気道の説く「点と円」同様、円周上の(つまり操られた)人生から中心点の(つまり操る)人生へ転換する教えだと思う。長いスランプを経て奇蹟のカムバックを成し遂げたトラボルタや、長年スーパースターの座に君臨し続けるクルーズが堅実な私生活を送り、セットでの人望も厚いことは、それを実証しているような気がする。
ネキサスのセミナーで訪れたジャマイカ
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 続いて僕の興味を引いたのは、現在CD-ROM映画の監督兼プロデューサーで活躍する友人のポールが参加した“ネキサス”という一風変わったセミナーだ。創設者はバイヤードという頭をツルツルに剃った白人の男性で、彼の自己啓発セミナーを体験したポールの変わり様がきっかけとなった。

 サンフランシスコで第1段階の週末セミナーを受講するまでのポールは、自信の持てない「どうせ駄目」指向タイプだったのが、講習の後は生まれ変わったように積極的な姿勢で生き始めたのである。突然、スタジオへのプレゼン作戦にも気迫が感じられるばかりか、顔色から態度まで別人のようで、さぼりがちのワークアウトすら、きちんと姿を出す。倦怠期と思われた夫婦仲は円満となり、見ていると感動すら誘う。

 そんなポールが“インテンシブ”と呼ばれる第2段階の1週間セミナーへ参加すべくフロリダに出発する際、電話でサンフランシスコ・セミナー参加を誘ってきた。その場で合意し、僕はL・Aを発つ。金門橋裏手の旧陸軍訓練所へ着いてみると、集まったセミナー参加者みんなが何を求めてここに来たのか、あるいは、これから何が起こるか知らず、ただ勧めてくれた友人の変貌振りに感銘を受け、「自分も試みたい」という動機で来たようだ。

 10人の少数グループおよび助手グループ8人と講師が2人が揃い、朝靄の煙る土曜日早朝、サンフランシスコ湾を臨む木造校舎の一室でセミナーは始まった。若い女性が「講師のバージニアです」と簡単な自己紹介のあと、

 「ここにいる間、人と話す時は絶対相手の目から視線を逸らさず、自分の呼吸を意識し、両手を身体の脇へ付けて下さい。この3つを怠ると皆さんの存在が『今の瞬間』から消滅します・・・・・・自分の脳裏に浮かんだことは、考えないでそのまま口に出して下さい」

 いきなり指示されて戸惑う僕たちを助手たちが真剣な眼差しで見守る中、スケジュールの発表に続き、セミナー参加者はアルファベット順で1人づつ前へ呼び出される。一手に注目を浴びた参加者を、残る全員が輪となって取り巻く。この輪は、これから始まる長くて過酷な修行のプレリュードであるなど、いったい誰が予想しようか?!

 いざ自分の番になり、僕は輪の中心へ立つ。と同時、

 「あなたは、いったい誰ですか?」バージニアが問いかける。
 「日本で生まれ、高校時代にカリフォルニアへ来て、いま映画のプロデューサーを・・・・・・」答えようとする僕の言葉を遮ったバージニアは、
 「あなたが何をしているのか聞いていません。あなたは、いったい誰かと聞いたんですよ」
 「・・・・・・」どう答えていいか戸惑う僕へ、
 「考えないで頭に浮かんだことを言って下さい」
 容赦なく彼女から突っ込まれ、なおも答えられない焦りは、全員の突き刺さるような視線を意識すればするほど膨らみ、恥ずかしと相まってどんどん思考力が鈍ってゆく。ほぼパニック状態で、
 「僕は・・・・・・」何とか答えようとして言葉に詰まる。すると、
 「恐いんだ。そう、自分を晒け出すのが恐いんだ、君は!」助手の1人が罵声を投げかけ、ムッとした僕は、
 「恐いんじゃない。自分が誰か上手く表現できないだけだ!」反射的に言い返す。そこへ別の助手で、ひときわ大柄のティムが近づいてくる。僕の約30センチ前で直立した彼は、
 「私の目から視線を逸らさず話して下さい。私の目を通して私の心を見据え、あなたの脳裏に浮かぶことを言って下さい」

 190センチ以上の長身を見上げ、その琥珀色の澄んだ瞳を覗(のぞ)くうち、だんだん囲りが気にならなくなってゆく。僕の意識から囲りの人間は消え去り、なんだかティムと2人だけしかいないような錯覚を起こす。彼の存在が、顔の輪郭、髪の色、背の違いなど物理的な次元を超えて伝わってくる不思議な空間で、僕は突如「今の瞬間」を生きる自分を感じ、目頭が熱くなってきた。

 「僕は今、何か自分に相応(ふさわ)しい、みんなが認めてくれるようなことを言おうと必死です」手真似を交え、震える声で答えた僕の腕を、ティムがそっとつかむ。
 「両手は身体の脇へ・・・・・・そう・・・・・・はい、ちゃんと呼吸して・・・・・・」
 彼の指図を受けながら、驚くほど素直に答えられた自分自身が意外だった。僕の心中を察したのか、ティムはその大きな瞳を細め、
 「うん」優しく頷(うなづ)く。と、2人のやりとりを静観していたバージニアが、
 「さあマックス、あなたは、いったい誰かしら?」
 格好をつけようとする自分を心の片隅で意識しつつ、
 「僕は・・・・・僕はいつも人目を意識して、自分が怖い時や自信のない時はそれを隠すことばかり考える臆病者・・・・・・です」途切れ途切れに答え終わった僕の耳元へ、「私もそう」と漏らす何人かの囁(ささや)き声が届く。バージニアは不気味な笑みを浮かべ、無言で僕を見つめている。一瞬の静寂が辺りを包み込む。それを待ち受けたかのごとく彼女は沈黙を破る。
 「それは、あなたじゃないわ! あなたは人に真の自分、裸の自分を見せる勇気がある素晴らしい人間です。いま自分で言ったのは、あなたが思い込んでいる間違った自分の姿なのよ」

 こうして参加者全員が1人づつ輪の中で「プロセス」と呼ばれる自己分析を繰り返すうち、早くも陽は落ち、サンフランシスコの夜が更けてゆく。プロセスを傍観しながら、他人(ひと)の言葉へ自分を認識したり、これまで信じてきた自分の人間像で、じつは囲りを意識した見せかけに過ぎないと気づいた部分も少なくない。そして、当然ながら自分の内面を晒(さら)け出すのが嫌な参加者はいる。

 心を開けず、セミナーの途中で立ち去ろうとする男がいた。「他人(ひと)の挫折は己れの挫折」という信念から、なんとか引き留めようと助手たちが説得を始め、しばらくして「僕はゲイなんです」と言い捨てた男が、突然、泣き崩れるシーンもあった。目の前で展開する様々なドラマは、僕の心へ「円の中心」に立つ心がけを忘れないぞと誓わせ、その決意はプロセスが進めば進むほど確信を深めてゆく。

 「自分を掘り下げる」訓練を通して「自分を発見する」ネキサス・トレーニングが予想以上の成果をもたらした結果、僕は次の段階へ進むことにした。フロリダ州タンパで1週間、第2段階の“インテンシブ”が行われた時は、10メートルの柱に登って高所恐怖症を克服したり、朝6時の寒中水泳で眠っている「本来の自分」を呼び覚ます。そして、第3段階の“パワー”で2週間ジャマイカのジャングルへ篭もり、参加者全員が一糸纏わぬ、文字通り裸で接した時は、人間一人一人の存在がいかに貴重で素晴らしいものかを再認識できた。

 いよいよ迎えた最終段階の“レインボー”では、カリブ界の孤島で「その瞬間を生きる」意味合いや、「存在の理由」、つまり人間が持って生まれ死ぬまで問い続ける「自分は誰?」という本質的な疑問を追求し、「親切で思いやりがあり、感謝と奉仕の精神に富み、素直で笑顔を絶やさず、感動と希望を忘れない、人を愛す自分」を垣間見たのである。今まで探し求めていた「自分の姿」と遭遇できたことが、その後の人生に与えた影響は計り知れない。

 僕の変貌振りで刺激された映画業界や個人的な友人がネキサスへ参加するに至っては、助手の1人としてセミナーを手伝い、この体験も生涯の宝だ。ビバリーヒルズの豪邸や高級車で上辺を飾り、仕事や社会的地位で自分の価値観を測ってきた人たちが、裸の自分、飾らぬ自分を発見し、人と接する素晴らしさを知る過程は、見ているだけでも学ぶところが多く、僕には貴重な体験となった。

 創造性が重みをなすハリウッドという「聖なる森」で暮らしてこそ体験できた「心の旅」は、それぞれが僕の人生の幅を広げてくれたと思う。そこから何かを獲られた幸せ、その何かは映画業界と限らず、どの世界へも通じる「人間の知恵」だ。今後の映画作りや人との触れ合いの中で、それを1人でも多くへ分かち合うことが僕のささやかな願いである・・・・・・ところで、

 「あなたは、いったい誰ですか?」



(1998年12月1日)


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