「枯れ葉」を口ずさむ春
いよいよ21世紀に突入する来年(2001年)の4月で、私がアメリカへ移住して25年周年を迎え、ちょうど人生の半分づつ日本とアメリカで過ごした勘定になる。20年近く前、音楽プロデューサーとしてアメリカの永住権を取るまでの数年間は、当然ながらビザを書き換えてきたわけだが、いつもスムーズにいったわけではない。かつて、香港を皮切りに私が初めて世界一周へと旅立つのも、そもそもはビザの書き換えでトラブッたことが発端なのだ。
ビザの申請中、9日の予定で帰国しなくてはならなくなったついでに、手続も日本で済ませるため申請書類を持ち帰った。ところが、身元引受人となってくれたロサンゼルスの友人が、たまたま日本の米領事館から照会を受ける直前、会社を畳み、手続は宙に浮く。そうなると観光ビザで戻ることも出来ない。数日後、心配してくれた知り合いの父親が参議院議員のコネを使い、外務省経由で米領事館へ働きかけてくれると聞き、途方に暮れていた私はどれだけ歓喜したことか!
しかし予想と反し、米領事館はVIPならぬ一介の若造のビザごときで日本の外務省が動くのは明らかな越権行為と受け取ったらしく、最終的にビザのスタンプを押したパスポートを返してもらえるものと信じて出向いた私へ、
「あなたには絶対ビザをあげませんからね。札幌へ行っても駄目ですよ」と、冷やかな言葉が浴びせられ、その時点で札幌云々の意味さえわからない。つまり、日系アメリカ人の係員は、帰国してすぐ東京の米領事館を訪れ、後の手続きを実家がある関西で行った私に、どちらも駄目だからと残る札幌は試みるだけ無駄だと釘を刺したわけだ。
知り合いの父親がくれた参議院議員会館の番号へ電話を入れ、議員秘書からあれこれ指示を受けて以来、期待に胸を膨らませていた私の受けたショックは大きかった。いくら日本で政治家さえ動かせる社会的地位がある実業家であろうと、まして国家権力をして私ごときのビザを取れないばかりか、おかげで最悪の事態を招いた事実は、それまで私が抱いていた国や政治の概念を根本的に覆す。
コンコルド広場
まして9ケ月後、間もなく30歳の誕生日を控え、とうとう耐えられなくなった私は、とりあえず日本を出て世界一周の途中、ヨーロッパあたりでアメリカの入国ビザを取ろうと決意するのだが、その際、役だったのは元アウトローの助言なのである。世界一周の第一歩として、私が飛行機のチケットを買うため新聞広告で見つけた旅行代理店へ行ってみると、そこは古道具屋の2階を間借りした、どちらかといえば学生街の下宿という体で、元アウトローのオーナーがただ1人でやっていた。
チケットを買ったらさっさと帰ろうと思っている私に、なぜかこのオーナーは、かつて麻薬をやるため台湾へ行った時の体験談を話し始め、それがけっこう面白い。往復とも密出入国の上、帰りは麻薬を打ちすぎて麻痺した腕を三角巾で吊し、どうにか戻れたと言う。その彼から聞かれて事情を話したところ、私の考えていたパスポートを更新する方法に問題があり、口外しない交換条件で、どうすべきかを教えてくれた。そして、その助言はみごと役立ったという次第・・・・・・
ともあれ、当時パンナムが発行していた世界一周チケットは、日本とアメリカを往復する料金とほとんど変わらず、パンナム航路を一方通行で進み、かつ空席がある限り1年間有効というものであった。日本で購入した場合は香港かグァムが振り出しとなり、たとえば東回りの便を選べば、西回り以外の便ならどう使おうが、あるいはどれだけ使おうがいっさい制約はない。
同じく、ヨーロッパの鉄道が一定期間内は自由に利用できる「ユーレイル・パス」も購入し、「顎足枕」の「足」が確保できると、あとはなんとかなるだろう・・・・・・以前ご紹介した香港やボンベイを訪れるのも、そもそもそんな事情があった。また、「昼下がりのピカデリー・サーカス」では続くパリの滞在が「思ったより長くなった」と書いているのは、最初スペインあたりで取る予定のビザを、結局パリで申請したからなのだ。
こうして、急拠アメリカへ立ち寄る必要が生じた優雅な旅行客を装うべく、申請するまでしばらくパリにいなくてはならなくなった。ルーブル美術館を訪れたり街中をブラブラする間、なぜか「枯れ葉」のメロディーを口笛やスキャットで口ずさんでいた私だが、それは決まって4ビートのスウィングなのである。コンコルド広場から近い星なしの安宿(ホテル)を拠点として、このメロディーとともに歩き回りながら、当然アメリカ領事館もじっくり偵察した。
初めて訪れたパリの街ともすっかり馴染んだ頃、そろそろアメリカの入国ビザを申請しようと決めたものの、やはり不安は拭えない。あれこれ検討した結果、問題がないのはわかっている。しかし、なんたって9日の帰国予定が9ケ月に延びた後だ。おそるおそる領事館のドアをくぐり、あとは待つだけ・・・・・・時間の経つのが、いやはや遅いこと!
数時間とも思える約1時間、あたりを観察すると、日本人は私1人だ。ほとんどがフランス人らしき若者たちで、軽い感じから重苦しい雰囲気を漂わせる者まで千差万別、それぞれ事情はあるのだろう。つまり、日本のアメリカ大使館や領事館の待合室となんら変わらない。そんな状況を観察できる心の余裕がある自分に驚いていると、いきなり名前を呼ばれ、ほぼパニック状態でカウンターへ急ぐ。
いま振り返れば、思い出すのは断片的な記憶だけだ。待合室の状況がはっきりと浮かぶ次は、受け取ったパスポートに押されたビザの鮮明なイメージ、そしてコンコルド広場を歩く幸せ一杯の私へとジャンプする。それまで必ず口ずさんでいた「枯れ葉」が、この瞬間アース・ウィンド&ファイアーの「マジック・マインド」へと変わったのも、やけに鮮明なイメージとして残っているのはおかしい。以来、何度も訪れる機会はありながら、未だにパリといえば春うららかな気候と「枯れ葉」を口ずさむイメージが脳裏から去ってくれない私である!
横 井 康 和
著者からのお断りこのエッセイは、“US JAPAN BUSINESS NEWS”の別冊“パピヨン紙”に、“ヨコチンの−痛快−大旅行記”として連載されたものから抜粋し、加筆再編したものです。 |