ナイアガラの滝


 以前、「シカゴで翔んだ日」でも触れたとおり、音楽と平行してプロダクションの仕事をしている頃は、全米各地でヘリコプター撮影をする機会がよくあった。たいがいはシカゴでチャーターしたMD500シリーズと同じような小型ヘリを使う。副操縦席へ私がすわり、後部席はカメラマンとVE(ビデオ・エンジニア)だけで満杯か、せいぜいあと1人か2人分の余裕があればいいとこだ。

 当然ながら横のドアは最初から外しておき、空撮の間、ビデオカメラを構えたカメラマンが乗り出すようにして撮る。私の場合、空撮用のハーネスを取り付けたヘリまで使えるのは、ごく希なケースであった。機体の側面へ座席だけ張り出したようなハーネスが装備されていると、カメラマンは座席ベルトでがっちり固定され、股間の台座に据え付けたビデオカメラを自由な角度で操ればいいわけだ。しかし、撮影専門のごく一部を除き、観光も兼ねたふつうのチャーター会社がそれだけの設備を必要とせず、よくてモニターTVぐらいしか備えていない。
ナイアガラの滝
画像による目次はここをクリックして下さい

 加えて、たとえチャーター代が割高の撮影専門機を使う予算はあっても、その手のチャーター会社があるのは全米のごく一部に限られる。いっぽう、ふつうのヘリなら全米各地の観光地で飛ばすぐらい簡単だ。したがって、限られた予算で観光地の空撮が必要な時は、迷わず観光ヘリと交渉し、その典型がナイアガラの滝のTV撮影であった。

 私自身、これまでナイアガラの滝を4度訪れたうち、仕事で行った1回目と2回目はどちらも忘れがたいハプニングがある。1回目は'80年代に入って間もなく、ちょうどアメリカの永住権を申請中のことだ。その間、国外へ出ると手続が面倒なため、カナダ側の撮影のみニューヨークのコーディネイターを雇った私は、アメリカ側で待機すべく、それまで行動を共にしている撮影クルーを見送った。制服の男が近づいてきたのは、一行が橋を渡りかけるまで見届けた直後だ。

 まず、バッジを見せてから移民局の係員だと自己紹介した相手は、パスポートを見せろと言う。カナダ国境で移民局がうるさいという噂を聞いても出発前は実感がわかず、そもそも国外へ出ないつもりの私は、カリフォルニア州の運転免許証しか身分証明書を持っていない。とりあえず、それを見せ、永住権の申請中である事情を事細かく説明する。延々と喋らされた後、ようやく私の宿泊先を確かめた係員が去ってゆく。

 いったんホテルへ戻った私は、なおも体内を駆けめぐるアドレナリンの余韻を感じつつ、ホッと一息つく。相手がその気になれば連行されようと文句は言えない。いくら疚(やま)しいことがなくても、もし連行された場合、潔白を証明できるまで撮影クルーは路頭に迷う。何事もなく終わってよかった!・・・・・・と、しみじみ安堵感に浸っているところへノックの音、ドアを開けると先ほどの制服だ。改めて永住権の申請手続きに関する質問がしばらく続き、最後は私がロサンゼルスの移民弁護士へ電話を入れ、その弁護士と数分話した結果、今度こそ移民局の係員も納得して帰る。もし、私の弁護士が留守だったら、あの時の撮影はどうなっていたんだろう?

 永住権が取れた後の2回目は、しっかりとピンク色の「グリーンカード(永住権)」を携(たずさ)え、移民局の心配こそなかったが、冷や汗をかく点では1回目といい勝負だ。ナイアガラの滝で私がヘリコプターをチャーターしたのも、この2回目である。滝を二分する中州はかなり広く、その一角がヘリの発着場となっているのを前回は見過ごしていた。

 観光飛行専用のヘリをチャーターし、空撮が始まる前にビデオカメラとそれを抱えるカメラマンの身体を命綱で括りつける。毎回、命綱を使いながら、まだ役立ったことはないが、乱気流へ突っ込んだ場合、機体はどう傾くかわからない。じっさい、ニューヨークの貿易センター・ビルで見舞われた乱気流など、もし傾く角度が逆ならカメラマンは危ないところだった。ハーネスを望めない以上、いくら見かけが滑稽でオールドファッションな命綱であろうと万全は期すべきだ。

 いよいよ準備が整い、ヘリは地上を離れた。上空から眺めると、ナイアガラの滝もまた違う迫力がある。しかし、景色に見惚れている場合ではない。右側の座席で操縦桿を握るパイロットの様子を確かめ、その後ろへ目をやると上半身を乗り出したカメラマンが撮影中だ。しばらく滝のすぐ上空でホバーリングを続け、位置を変えようとした直後のことである。急にガクッと揺れたかと思いきや、いきなり突き落とされた感じで、一瞬、方向感覚を失くす。

 あとから考えると、ニューヨークの時ほど落差は激しくなかったようだ。ただ、機体が右側へ傾いたため、カメラマンの身体は辛うじて命綱に支えられる結果となった。何があろうとカメラだけは離したことのない超ベテランが、この時ばかりはヘリが立ち直った後もパニック状態は続いており、その間、白い命綱の先でカメラがぶら下がっていたのである。

 20年近く経った今でも忘れられないのは、乱気流へ突っ込んだ瞬間、頭の中が弾け、次の瞬間、我に返ると、後部席ではVE(ビデオ・エンジニア)が上半身を乗り出したカメラマンの命綱を、放心状態のまま後ろから両手でつかんでいるシーンだ。揺れた瞬間の感触と命綱をつかむVEの姿以外は、時が経てば経つほど色あせてゆく中で、その2つだけはくっきりと印象が残っている。

 振り返れば、さんざん冷や汗をかきながら、よくここまで無事でこられたものだと、自分自身、感心することもある反面、だからこそ生きている今という瞬間はありがたい・・・・・・さあ、これからどんな旅が待ち受けているのだろう?

横 井 康 和        


Copyright (C) 2001 by Yasukazu Yokoi. All Rights Reserved.

2001年宇宙の旅(下) 目次に戻ります グランドキャニオン高度0