グランドキャニオン高度0
音楽活動と平行してプロダクション業務に携(たずさ)わっている頃、ヘリコプタほどではないが軽飛行機を使う機会も何度かあった。サンタモニカ空港の「トランス・エグゼク社」はその1社であり、空撮用のヘリ「MD500」同様、彼らの双発ジェット・プロペラ機「シャイアンU」も個人的に馴染みが深い。ただ、ヘリと違って軽飛行機は被写体として使うことしかなく、私自身が同乗した撮影は皆無である。
トランス・エグゼク社所有
のシャイアンUとMD500ちなみに、撮影が専門の「トランス・・・」は全米でかつての人気TVシリーズ「特攻Aチーム」の空撮をすべて手がけており、オーストリア移民のオーナー自ら役者という変わり種だ。しかし、チャーター業務の看板を出す以上、注文があれば空のタクシーから配達サービスまで幅広く請け負う。また、ジェット機までは持っていない彼らだが、それらの専門業者と提携しており、もしラスベガスへプライベート・ジェットで行きたければ、ちゃんと責任を持って手配はしてくれる。
そんな間柄なので、私用(プライベート)にチャーター便が必要な時はいつでも声をかけろと言われながら、なかなか機会がなかった。そして間もなく、オーナーの息子と秘書の結婚をきっかけに、オーナー自身は隠退し、息子が後を継ぐ
父親同様、新婚夫婦揃って役者でもあるので嬉しくなってしまう!彼ら自慢のシャイアンUを私用で使わせてもらったのは、その直後だ。たまたま、このコラムで何度か登場しているHがロサンゼルスを訪れ、ラスベガスへ行くことになった。プライベート・ジェットは馴染んでいるHが、せっかくなら何か新しい手はないかと聞く。そこでシャイアンUを思い出した私が、それはどういう飛行機なのか、またハンフリー・ボガートの生涯を描いた映画で「カサブランカ」の名場面を再現する際、登場したばかりという裏話を交えて話す。ジェット機と比べて時間がかかるとはいえ、同じプロペラ機でもレシプロ機より高高度で飛ぶジェット・プロペラ機の場合、時代ものながら気流の影響が少なく乗り心地も安定している。
さっそく「トランス・・・」へ打診した結果、シャイアンUのチャーターは問題がない。そこで、われわれは意気揚々とサンタモニカ空港を目指す。着いてみると、息子のほうが準備を整え待ち受けている。隠退したとはいえ、父親が操縦桿を握ることも多いのだ。ベトナムあがりの父親と比べ、息子だって腕は確かである。彼の「秘書」兼「新妻」が見送る中、燦々と降りそそぐ南カリフォルニアの陽光を浴びたシャイアンUは滑走路を滑りだす。
同じ副操縦席にすわっていても、仕事の時と気分がまるで違う。しばらくは操縦の邪魔をしないよう、ひっそりと開放感を満喫しつつ、水平飛行へ入った頃、私が計器板のディスプレイなどについて質問を始めると「トランス・・・」の若社長は快く応えてくれる。ナビゲーション・システムがコンピュータである以上、ディスプレイを見てどの程度までプログラミングは可能なのか聞けば、自分の好きなコンピュータ・ゲームも入れてあると言われ、計器板へやけに親近感が湧く。
そうこうするうち、私はふとグランド・キャニオンで遊覧飛行中の墜落事故をきっかけにアメリカの航空規定が以前より厳しくなっていることを思い出した。ただ、規定でも違反すると操縦免許(ライセンス)を取り消されるシビアーなものから、ベテランのパイロットなら平気で無視する初歩的な安全対策上のものまで幅は広い。新しい規定で「グランド・キャニオン高度0」以下、つまり谷間(たにあい)を飛べなくなったのが、はたしてどの程度シビアーなものなのか?・・・・・・返ってきた答は意外なほどシンプルであった。
グランド・キャニオン「飛ぼうか?」と、あっさり言われ、好奇心の強い私は断るわけがない。説明を聞いたHも同様である。目を輝かせ、「行こう、行こう!」と興奮ぎみだ。急拠、進路を変更し、寄り道をすると決まって十数分後、前方へグランド・キャニオンが見えてくる。と、シャイアンUは一気に高度を下げてゆく。いきなり視界が変わったかと思えば、左右はグランド・キャニオンの岩肌がすぐそこまで迫り、前方は曲がりくねった谷間(たにあい)が両手を広げて迎えている。そこへ吸い込まれるかのごとく、シャイアンUは翼を揺らしながら進む。
曲がりくねった谷間(たにあい)のカーブに合わせて揺れる機体が、ちょうどスキーのスラロームを彷彿とさせ、前方で広がる景色(パノラマ)はシネラマやアイマックスを初めて見た時とよく似た感動を覚えさせる。だが、インパクトの強さではそれらの映像やテーマ・パークのシミュレーター類を遙かに凌ぐ。もちろん、映画のスタント飛行が職業であるパイロットへは、われわれが曲がりくねった山道をドライブする程度のありきたりな行為かもしれない。だからこそ、この時のグランド・キャニオンという雄大な自然の飛行体験は忘れがたい印象を残したのであろう。
ラスベガスへ着くや、いったん頭の奥に埋もれてしまった印象だが、当時の感触は時が経てば経つほどくっきりと浮かび上がり、今さらながらインパクの強さを再認識する私なのである。
横 井 康 和
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