映画と文化


イラク国内に設置された
サダム・フセインの肖像画

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 映画は、その国の文化を測る1つのバロメータだと思う。アメリカに住む日本人の多くが渡米の動機は様々だとしても、かつてハリウッド映画で見たアメリカ文化への憧れが少なからず影響しているのではないだろうか?

 だが、いざ文化とは何かを問えば、あんがい即答が難しい。そこで手元の国語辞書を2冊ばかり引いてみると、角川の場合は「世の中が進むこと。学問・道徳で、民を教え導くこと。人間が本来の理想を実現していく活動の過程。その物質的所産である文明に対して、特に精神的所産の称・・・」とあり、三省堂の場合は「その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(の総体)。また、それによって創り出されたもの・・・」と、ある。

 また、ハリウッド映画に触れるなら、今や日本語として定着した「カルチャー」も調べておかないと片手落ちだ。研究社の英和辞典でCultureを引くと、「教養、洗練。(ある国・ある時代の)文化、精神文明。(伝承される信仰・伝統・習俗などの総体としての)文化、カルチャー。訓練、修養。養殖、栽培。培養。培養菌・・・」と、後半の趣(おもむき)が、やや日本語の文化と違う。湾岸戦争以来、細菌兵器といえば話題にのぼるイラクサダム・フセイン・・・・・・その細菌を培養することも培養された培養菌のことも、英語では文化と同じ言葉で呼ぶ。そうすると今後、フセインが細菌兵器を製造する行為は文化活動だという認識が必要かもしれない。

 それは極端だとしても、語源を想像すれば何となくニュアンスが理解できそうな英語の「文化」と比べ、日本人の「文化」は外国人へいったいどのように映るのであろうか? たとえば、かつて私の知り合いのアメリカ人が留学で初めて日本を訪れた時、完全な日本語の読み書きは出来ながら、理解できずに悩まされた問題が2つあったそうだ。1つは日本人特有の省略形である。新聞を読みながら「東大」が東京大学、「日銀」が日本銀行を意味するぐらいは誰だってわかると思いきや、日本語を習い覚えた外国人だと事情が違う。

 われわれ日本人とて、学校では「東大」が東京大学だと教わった記憶などないはずである。教わらない人間が初めて新聞を読むと「東大」や「日銀」などは正(まさ)しく「未知との遭遇」であり、日本人にとって当たり前で外国人が理解できないということは、これすなわち文化の違いかもしれない。その文化と直接係わるのが、私の知り合いを悩ませたもう1つの問題だ。

 彼の留学当時、日本では文化住宅なるものが流行っていた。「文化住宅」と聞いた日本人は、なんら疑問を抱かず文化的な住まいや文化的な生活を営みやすい住まいが脳裏へ浮かぶだろう。ある人にはそれが時代の最先端をゆくテクノロジーの導入を意味し、またある人には豊かな精神生活が送れる快適な空間を意味したり、捉え方こそ千差万別でも疑問を持つ日本人は稀なはずである。

 しかし、アメリカ人である私の知り合いにとって文化住宅がどういうものか想像さえつかず、彼は真剣に悩む。上述の英和辞書から引用した前半、「(ある国・ある時代の)文化、精神文明。(伝承される信仰・伝統・習俗などの総体としての)文化、カルチャー」だと解釈すれば、そんな家を不動産屋が一般の人々へ売るのは不思議だし、まさか後半の「訓練、修養。養殖、栽培。培養。培養菌」の家であるはずがない。

 日本語の文化と近い教養洗練という意味はあっても、英語で「教養のある人が選ぶ住宅」や「洗練された人たちのための住宅」などの表現にCultureという言葉はまず使わず、たとえ使うとしても「教養住宅」や「洗練住宅」まで縮めれば、言葉自体で意味をなさなくなる。アメリカのような異なる文化を持つ人間が集まった国家では、「文化住宅」と聞いて誰もが「文化的な住宅」の意味は理解できないものと考えるのが出発点だ。

 日本は逆で、相手が「文化的な住宅」の意味を理解してくれる期待感へ依存したところから、すべては始まる。どちらがいいとか悪いとかいうレベルの問題ではなく、長い歴史の中で育(はぐく)まれた、その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した物心両面にわたる活動の様式や、それによって創り出されたものが文化である以上、万国共通であるわけはない。だからこそ、初めて違う文化と接した時、誰もが「カルチャー・ショック」を受ける。

 カルチャー・ショックは、自らの文化水準を向上させる機動力だ。その文化の1つに食生活がある。そして、外国の食べ物との出会いは、いわば食生活でのカルチャー・ショックだろう。'90年代に一大転機を迎えたといわれるアメリカ人の食生活だが、確かに食生活の面でアメリカは文化程度が低いという定説も最近は覆され、そこへ至るまでに日本食が少なからず貢献をしてきた。

 日本からハリウッドへ移り住んだ26年前は、すでに200軒以上の日本レストランがあったロサンゼルスながら、ちゃんと箸を使えるアメリカ人へ「日本に行ったことがあるか?」と聞けば、大半は「イエス」と答え、この傾向が'80年代の終わりまで続く。また、子連れのアメリカ人は、いかにも日本通の親が日本食は嫌いでマクドナルドへ行きたがる子供を無理やり連れてきた感じでなのである。日本食が「照焼ステーキ」と怪しげな「天ぷら」のコンビネーションを意味し、寿司といえば食通を気取った人間のエリート意識を満足させる代名詞の時代だ。
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オーナーの板長

 '90年代に入ると知らず知らず状況は変わって、今やアメリカ人が箸を使うからと日本へ行った経験者かどうかの決め手とはならないばかりか、むしろ行った人間のほうが珍しい。'80年代の終わりにハリウッドでオープンした「板長」という日本レストランは、そういう箸を上手く使うアメリカ人の客でいつも賑わっており、開店当初からハリウッド業界のお気に入り、日本の映画ファンへ堪えられないような店だ。私の場合、味がいい上、近くて便利なので週に1回は通ううち早13年経つが、その間、しょっちゅう見かける顔ぶれといえばキャメロン・ディアス、エリザベス・シュー、ヘザー・グラハムなどである。

 おかげで、私好みの女優であったのが食べるところを見た瞬間、すっかり印象を悪くしたグラハムのようなケースもあって、銀幕(スクリーン)以外でお目にかかるのは良し悪しかもしれない。ここしばらく見かけないが、いつもお姉さんとその子供2人の4人連れで来るディアスは、銀幕から想像できないほど質素な印象かと思えば、対照的なのが、ひたすら明るい笑顔を振りまくシューの華やかさと、それぞれタイプは違って興味深いことも確かだが・・・・・・

 さらに興味深いのは、常連客への気遣いからオーナーの板長が宣伝を嫌い、新聞や雑誌の取材などを極力避けてなおピークの時間帯は並ぶ覚悟が必要なこの店で、スター同様、離婚した子連れの夫婦が目立つ。その理由は、離婚しても子供がいると親同士は子供と会うため週1回とか定期的に顔を合わす。そこで親がどこで会いたいか聞くと、子供は迷わず「板長!」と答えた結果が、(他の客への配慮から)子連れを好まないこの店で子連れの多い理由らしい。いやはや、アメリカも変わったものだ。

 「文化の日」という世界でも珍しい祝日のある日本、その日本文化へ「板長」のような店がどれだけ貢献しているかを、無能な外交官などはもっと真剣に見習えばいい。最初から任期が終われば日本へ帰る気構えでの赴任と、日本食に生活をかけてアメリカで成功した人間の差は自(おの)ずと出てくる。もちろん素晴らしい外交官や、どうしようもない日本レストランも多いいっぽう、これだけハリウッドで映画製作を夢見る日本人がいながら、成功したアジア系の監督や俳優といえば、まずは香港インド勢が浮かぶ。

 いい映画を作るだけなら、わざわざハリウッドへ来る必要はなく、じっさい国際的に映画界の巨匠と認められる日本人が何人もいる。要はどこで何を作りたいかだ。ハリウッドで作りたければ、ともかくハリウッドへ来ない限り始まらない。作りたいものが曖昧では、たとえハリウッドに来ても始まらない。そして、エンターテインメント業界が日本レストランより難しいのは、人間、食べないと生きてゆけないが、映画や音楽はなくても済む。

 映画と文化・・・・・・そこへ生活の糧を求める以上、それが日本であろうとアメリカであろうと、もっと楽な生き方がいくらでもあるという現実だけは認識しておくべきだ。それを切実に感じているのは、たぶんスティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカスあたりだろう。

横 井 康 和        


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