映画とタイトル (上)


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 以前、最新情報のコラム「ゴールデン・ルール・その2『タイトルは短く!』(1999年3月1日)」でご紹介したとおり、1979年〜1999年のアカデミー作品賞受賞作は、1991年度作「羊たちの沈黙」を除けば20年間すべての原題が3単語かそれ以下の短さで、うち9作はきっかり3単語のタイトルを使っている。続く2000年以降の受賞作「アメリカン・ビューティー」、「グラディエーター」、「ビューティフル・マインド」、そして今年の「シカゴ」を見ても、このルールが貫かれている現状はおわかりいただけるだろう。

 ただ、日本の場合、必ずしも邦題が原題と一致しておらず、前述の「『羊たちの沈黙』を除けば・・・」と聞いてもピンとこないかもしれない(原題はThe Silence of the Lambsで5単語)。また、邦題が原題と同じでも、冒頭の冠詞定冠詞は省かれるのが通常のパターンだ。日本では、ただ冠詞や定冠詞を省いたほうがタイトルの響きはいいからだと思うが、これは日本ばかりと限らない。たとえば、11月の全米封切りを予定されるジョン・グリシャム著「陪審評決」の映画化がいい例で、小説の原題The Runaway Juryに対して映画のほうはRunaway Juryなのである。

 こうした「タイトルを3単語以下に」といったパターン化、つまり「型にはまった」を英語でroutineという。脚本家の場合、大概がタイトルと限らず様々なシーンをパターン化し、ファイルしてあるはずだ。脚本の依頼があれば、そのファイルから手ごろなパターンを引き出して時間と手間を省く。決して手を抜いているわけではない。ファイルの中身が濃いほどタイトルや特定のシーンを考える時に役立つとはいえ、中身の濃さはキャリアの長さと比例し、いわば日ごろの努力の蓄積なのだ。

 もっとも、そのファイルが作者の頭の中であれコンピュータのハードディスクへ収めたものであれ、辞書同様、あくまでも参考程度にしておかないと、創作性を失くした売れっ子作家で終わる危険もある。映画スタジオやTV局の注文を請け次第、ファイルの中から相手の求めるネタをさっと引き出し、相手の反応次第ではさらに次のネタを示す。こうして相手が納得したものを色づけし、脚本に仕上げて納入する。これはこれで立派なプロの仕事であり、たとえ創作性がなかろうと何も後ろ暗(めた)いことではない。

 タイトルしかりで、3単語以下と限らず、たいがいの作家が「この物語ならこのタイトル」といったパターンは決まっているはずだ。言い換えれば、それがスタイルとなり、そこから抜け出せずスランプへ落ち込んだりもする。ともかく、パターン化そのものは職業として創作へ携(たずさ)わる以上、多かれ少なかれ避けられない。監督といえども同じだ。

 スティーブン・スピルバーグの映画がいくらパターン化しようと、観客はそれを求めて映画館に足を運ぶ。もし、「スターウォーズ・エピソード3」がジョージ・ルーカスらしくなかったら、たとえ素晴らしい内容でも観客はがっかりするだろう。間もなく公開される「マトリックス リロ−デッド」へ我々が期待するのは、オリジナルのパターンがどれだけ拡張機能を備えたかを楽しみにしているからで、いわばWindows XPの発表を待つWindows Meユーザーの心境だ。そこへMac G4を出しても始まらない(念のため、逆もしかり)。ようはXPにMeからグレードアップする価値が、はたしてあるのかどうかの問題である。

 脚本や小説は他のエンターテインメント稼業同様、観客や読者がいて初めて存在の意味を持つ。その観客や読者へより書いたものを楽しんでもらえるよう、日ごろからネタ(パターン)を蓄積するのは作家の仕事の一部ともいえよう。「映画と原作」や「映画と登場人物」で書いたように、人を観察する職業が作家である以上、飛行機や電車の中で他の乗客へ目を引かれたら、あれこれ想像力を駆使してみる。それをメモしておき、帰宅後、ファイルに加えておく。

 他の乗客の外観を描写した、わずか2〜3行のメモの時もあれば、そこからイメージを膨らませて4百字原稿を埋め尽くして余る長さの時もある。長い短いは関係なく、いざ物を書こうとして、時たま、こうしたメモが大いに役立つ。ただ、メモをファイルするといっても、私の場合、雑多なメモを1つのフォルダへ放り込んであるだけだ。バーで飲み物の下に敷く紙ナプキンへ書きなぐったものや、割り箸を包んであった紙、あるいはチラシの空白を使ったもののほうが、まともなメモ用紙より多い。どこかの売れっ子作家のようなシーン毎で分類され、ファイル・キャビネットに整然と並ぶフォルダを想像されてもらっては困る。

 ただし、頭の中で日常生活のシーンがある程度はパターン化されており、「出会いのシーン」といえば(長年ハリウッド在住の関係上)Nice to see you!(お会いできて何よりです!)で始まる一連のシーンが浮かぶ。たとえば、直接の知り合い同士はそれぞれの同伴者を紹介し、その結果、同伴者同士も、まったく別の第三者を通じて間接的な知り合い関係だとわかった。そこで同伴者の1人がSuch a small world, isn't it!(なんと世間は狭い、違いますか!)と驚く。

 英語だとパターン化した「出会いのシーン」を"Nice to see you" routineといったりする。これが「世間は狭い」のパターンへ発展すれば、"Small world" routineというわけだ。先日、近所のレストランでちょうど後者の典型的な場面と出くわした。それがすぐ隣の席で起こったせいか、私は無意識のうちにIs that a "small world" routine?(それって「世間は狭い」のパターン?)と会話の途中へ口を挟んでいた。一瞬、笑顔で応えた隣席の男が、すぐ仲間との会話へ戻り、もとより返事を期待しなかった私は食事の続きに専念する。そして、どれぐらい時間が経ったのか、突如こちらを向いた隣席の男から「あなたは作家ですか?」と聞かれ、数秒間、返す言葉がなかった。

 些細な出来事ながら、おかげで日常生活をパターン化して眺めてしまう自分ばかりでなく、日ごろ人を観察するいっぽうで観察されるのは慣れていない自分の姿を改めて自覚できた一件というわけである。ちなみに、この一件で私が自覚を促されたのは、そればかりではない。隣席での会話が弾むうち、自然の流れとして始まったのは"This is my family" routine(家族紹介パターン)、ポケットから物入れ(ワレット)を取り出し、中の写真を披露する時間だ。

 仲間へ写真を見せた隣席の男が「女房のスーは憶えているだろう? たしか去年、ビルのパーティーでも会っているはずだよ・・・・・・」といった会話を聞きながら、よく考えてみると私が物入れ(ワレット)に入れる時は楽器や拳銃の写真であり、見せるとしたら「これが一番愛用している'60年代のPベースで、こっちは昔フェルナンデスが作ってくれた『ヨコチン・モデル』・・・・・・」とか、「この有坂ライフルを手に入れた時の状態は銃床へ血痕が・・・・・・」と、ある意味で"This is my family" routineの延長線上には違いないが、世間一般との落差は激しい。

 例のごとくすっかり本題から逸れてしまった話をここらで戻し、最後にこの夏シーズンのブロックバスター作が何単語のタイトルか見比べてみよう。もっともヒットしそうな順でいくと、3単語の「マトリックス リローデッド(The Matrix Reloaded)」、サブタイトルを除いて1単語の「X-MEN2(X2: X-Men United)」、2単語の「ファインディング・ネモ(Finding Nemo)」、サブタイトルを除いて2単語の「チャーリーズ・エンジェル2(Charlie's Angels: Full Throttle)」、サブタイトルを除いて2単語の「ターミネーター3(Terminator 3: Rise of the Machine)」、2単語の「ブルース・オールマイティー(Bruce Almighty)」、2単語の「ハルク(The Hulk)」、サブタイトルを除いて3単語の「リーガリー・ブロンド2(Legally Blond 2: Red White & Blonde)」・・・・・・等々、皆さん「ゴールデン・ルール」をしっかりと守っていらっしゃる! (続く)

横 井 康 和        


追 記 

グリシャムの小説「陪審評決」を映画化した「Runaway Jury」の邦題は、その後「ニューオーリンズ・トライアル」に決定しました。

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