映画と嫉妬


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「ハイスクール・
ミュージカル3」
 人間の感情の中でも「嫉妬」というのは厄介な代物である。私がまだ現役のミュージシャン時代、職業柄、よく「もてるでしょ?」と聞かれ、女性の読者からはショービニストと罵られそうだが、じっさい女には不自由しなかった。しかし、そんなことが問題じゃない。肝心なのは、誰からもてたか?・・・・・・いくら嫌いな相手からもてようが、ちっとも嬉しくないし、その逆で好きな相手は仲間のバンド・メンバーへ気があったりするのも珍しくはない。そこで、むらむらと頭をもたげてくるのが嫉妬心だ。

 それは「前向き(ボジティブ)」にも「後ろ向き(ネガティブ)」にも強力なエネルギーとして働く。たとえば、いま(2008年10月末現在)全米トップ10の1位「ハイスクール・ミュージカル3」が一典型で、ヒットの原因は嫉妬と深く係わっている。つまり、高校のミュージカルで主演を演じるバスケットボール部の主将(キャプテン)と化学部の優等生カップル、そして彼ら2人から主役の座を奪われた金持ちのわがままお嬢さんのエゴと嫉妬心を軸に物語が展開し、この3人の単純明快なキャラクターなくしてシリーズ3作の成功は考えられない。
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「危険な情事」

 さらに、ミュージシャンといえばグルーピーが付きもので、ひどくなるとストーカー・・・・・・これまた嫉妬の権化のような存在だ。もちろん、同じ現象はミュージシャンばかりでなく世間の人間関係においてごく一般的だし、スリラー映画のジャンルへいくらでもこのパターンが見受けられる。

 1987年度作「危険な情事」は、嫉妬の恐ろしさを描いたスリラーだ。マイケル・ダグラス演じる男にとって一夜だけの情事のつもりが、グレン・クロース演じる女にとってそうではなかった。男を独占したいがための女の常軌を逸した行動が、やがて殺意を伴ってゆく。こうした異性間の嫉妬や異性を巡る同性間の嫉妬から、愛情とは関係なく職業など他の要素を巡る嫉妬までパターンこそ千差万別ながら、人間の欲望がその根底へ潜んでいる点で変わりはないと言えよう。

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「怪談」
 また、嫉妬が死後の怨念の世界にエスカレートすると、これはもうホラーの領域である。かつて映画化された一連の「四谷怪談」や、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが書いた中から「黒髪」、「雪女」、「耳無芳一の話」、「茶碗の中」の4篇を映画化したオムニバス作品でカンヌ映画祭審査員特別賞受賞作「怪談(1964年)」などを見るまでもなく、怨念の裏で渦巻いているのは嫉妬心だ。

 欲望があるところには嫉妬が芽生え、満たされない心は嫉妬から恨みへ、そしてさらに怨念へとシフトしてゆく。気がある女は自分じゃなく自分のバンド仲間が好きで、そのバンド仲間は自分に気がある自分の嫌いな女を好き・・・・・・こういう図式は、一般の生活であんがい多い。そこへ力関係が絡んでくると、ますます話はややこしくなる。身分制度のあった昔なら尚更だ。バンド仲間同士なら問題にならないような些細な人間ドラマが、斬った張ったのあげく「うらめしや〜」の世界となる。
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「ハムナプトラ
失われた砂漠の都」

 それは日本ばかりでなくエジプトのミイラだって変わらず、ブレンダン・フレイザーとレイチェル・ワイズ主演作「ハムナプトラ失われた砂漠の都(1999年)」などがいい例だろう。ほんと、「嫉妬」というのは厄介な代物だ。だからこそ、嫉妬深い悪玉と戦う善玉へ観客は拍手を送る。続編の「ハムナプトラ2・黄金のピラミッド(2001年)」が出来たのも不思議はない。

 ばかりか、2作目から7年を経て「ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝(2008年)」が製作され、舞台はエジプトから中国へ、フレイザーの相手役もワイズからマリア・ベルへ交替しながら、基本パターンは同じだ。そもそも、ヒット映画の重要な要素の一つが優れた悪玉であり、悪玉を悪玉らしくさせるために欠かせない重要な要素は、そう、嫉妬心なのである。

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「遠き落日」
 いっぽう、同じ嫉妬心でもそれが成功への原動力として機能すれば、そこにはまったく違う世界が広がってゆく。サクセス・ストーリーの誕生だ。野口英世の生涯を描いた三田佳子、仲代達矢の主演作「遠き落日(1992年)」は、渡辺淳一のノンフィクションを映画化したものだが、そこで描かれている野口像は大方のイメージから随分かけ離れていると思う。

 何がかけ離れているかといえば、「遠き落日」で描かれている野口の実像は千円札へ刷り込まれるぐらいの「尊敬すべき人物」であると同時に、同級生の親や恩師から彼らの生活が傾くぐらい借金をしまくり、彼らの犠牲の上でアメリカでの成功は辛うじておぼついた。極貧の家庭で育ち、幼くして火傷で左手が不自由になった彼は、当然ながら金持ちや健康な人間へ嫉妬する。ただ、人より頭がいいと自信を持つ彼は、自分が彼らの援助を受けるのを当然と考えていたのだ。加えて、いったん金が入ると浪費癖も半端じゃなかった。

 人から借りたアメリカへ渡る旅費を渡航前に連日のどんちゃん騒ぎと女郎屋通いで使い果たすは、もうメチャクチャなのである。また、ロックフェラー研究所のパートナーにまで上りつめる野口が、数々の功績を残した中でも黄熱病の治療法は有名だが、じつはこれが間違いで最後は改めてその研究でアフリカへ渡り、自分自身が黄熱病で死ぬ。その凄まじい人生はドラマチックな反面、教科書に載るような模範的な生き方とは程遠い。

 野口のエキセントリックな性格が日本の医学界では受け入れられなかったのもよくわかるし、研究上の間違いもあっただろう。しかし、彼が偉大な人物であることははっきりしている。そして、「嫉妬」がその原動力と深く結び付いているのだ。

横 井 康 和      


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