映画とドラッグ


 日本でもよく俳優が覚醒剤で捕まって話題になったりする。その点、同じ薬物依存症、つまりドラッグ中毒でも、大麻やコカインからヘロインまで何でもありのハリウッドの映画や音楽業界で覚醒剤はほとんど聞かない。せいぜい長距離トラックの運転手がやっているぐらいだ。スピード(覚醒剤)をやるぐらいならコカインをという感覚なんだろう。また、日本と違ってアメリカでは酒(アルコール)、煙草(ニコチン)、コーヒー紅茶(カフェイン)も立派な麻薬、つまりドラッグとして認識されている。それだけにハリウッドでもコカインやヘロイン中毒ばかりでなく、アル中から抜け出すためリハビリ・センターへ入るセレブが多い。

 そうした数あるドラッグの中で非常に中毒性のあるのは、やはりアヘン系のヘロインだ。アヘン戦争で中国がどうなったかを思い起こせば、その恐ろしさはわかるだろう。驚くべき傾向として、明らかな危険性にもかかわらず、近年このアヘン系ドラッグを試みている人の数が増えている中、以前ヘロイン使用を公然と話していたハリウッドのセレブは、発生する可能性のあるリスクと合併症を浮かび上がらせてくれた。そこで、ヘロイン使用の経験を公然と告白したセレブ8人が今回のテーマである。

画像による目次はここをクリックして下さい
フィリップ・シーモア・ホフマン
 1人目は「カポーティ(2005年)」のトルーマン・カポーティ役でアカデミー主演男優賞を受賞したフィリップ・シーモア・ホフマン、彼は演技派として知られる映画および舞台俳優であり、その後も「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー(2007年)」や「ダウト〜あるカトリック教会で〜(2008年)」が好評を博している。しかし、若い頃から様々なドラッグをやっており、2006年に人気TV番組「60ミニッツ」へゲスト出演した時に告白したところでは、22歳でドラッグのリハビリ・センターへ入り、それからしらふの時期があったという。

 当時を振り返り、「パニックになるんだよ。私の人生でやりたかったことを(しらふで)やれるのかどうか、私は不安だった。自分自身を危険な状況へ追いやっていたんだね」と語っている。ホフマンは一生をつうじてドラッグ中毒と戦い、2014年2月、46歳で亡くなった。ヘロイン中毒と他のドラッグ中毒の組み合わせが公式の死因だ。そして、彼の遺作となったのは死亡当時撮影を行っていた「ハンガー・ゲーム・シリーズ」である。

画像による目次はここをクリックして下さい
キャリー・フィッシャー
 続いての登場はキャリーフィッシャー、いうまでもなく「スターウォーズ・シリーズ」でのレア王女が生涯の当たり役だ。そのフィッシャーもドラッグ中毒と長年戦ってきた。彼女は鬱病(うつびょう)をコントロールするため、自己投薬の一種としてヘロインを含むドラッグを使用し始めたと後に明かしている。「ドラッグが私をより正常に感じさせたわ。私は彼ら(ドラッグ)の一部だったのよ」とアメリカの雑誌「心理学の今日(サイコロジー・トゥデイ)」へ語った。

 また、2016年の「ローリング・ストーン誌」とのインタビューで、フィッシャーはヘロインを試したことを含む彼女のドラッグ体験を詳しく述べている。「あなたがやりたかったドラッグはありますか?」と聞かれ、「私がやりたかったのはアヘン系の強力なやつ、つまりヘロインです。私はそれを鼻から吸引しました。あなたが自殺したい時に用いるような完全な方法ではやっていません」と言いながら、2016年12月、60歳の彼女は心臓麻痺で死亡した。その翌日、彼女の母親で女優のデビー・レイノルズも死亡している。

画像による目次はここをクリックして下さい
ロバート・ダウニー・Jr
 ホフマンやフィッシャーと違って幸い生存しているロバート・ダウニー・Jrだが、彼もまたヘロインや他のドラッグとの非常に公的な戦いを続けてきた。彼の場合、始まりは、やはり俳優で自由な生き方をしていた父親から、8歳の時にドラッグの洗練を受けたことだ。そして1996年から2001年の間、様々なドラッグの罪で刑務所へ出入りしていた・・・・・・「トゥー・ガールズ・アンド・ガイ(1998年)」はダウニー・Jrが初めて逮捕される直前に撮影を終わっている。

 彼は「ローリングストーン誌」へこう言った。「何年もの間コカインを吸っていて、初めてクラックを吸った後、間違ってヘロインに巻き込まれてしまった。それが僕の靴ひもを結びつけたんだ。コカインと他のドラッグの組み合わせは、きみを無防備にする。その絶望的な状態からの唯一の方法は介入しかない」と。その言葉どおり2003年、ダウニー・Jrはリハビリ・センターへ入り、長年の中毒を断ち切った。

画像による目次はここをクリックして下さい
ラッセル・ブランド
 イギリスのコメディアンで俳優のラッセル・ブランドは、過去のドラッグ使用を公的に語っている。彼のセックス中毒および乱交へ加え、ドラッグ使用が頻繁に彼の勃起の一部として言及される。ブランドは16歳で母親の家を出て以来、ドラッグをやり始めた。ヘロインで最初の体験を彼は「幸せ」と表現し、「痛みを中和する際のヘロインの効率を正確に伝えることが出来ない。それは堅くて白い拳を穏やかで茶色い波へ変えるんだ」と語っている。

 そして、去年の全米ネットのTV番組「メギン・ケリー・トゥデイ」のインタビューで、ドラッグやアルコール中毒との戦いについて述べた後、14年間クリーンでしらふだと話した。

画像による目次はここをクリックして下さい
コートニー・ラブ
 歌手で女優のコートニー・ラブは、14歳の時に万引きで逮捕され、少年鑑別所へ入れられる。16歳で釈放されてからストリッパーとなり、アイルランド、日本、台湾、リバプーリルなどにも渡り、その頃からドラッグをやっていた。しかし、彼女がヘロインへ溺れるようになったのはチャーリー・シーンの家でのパーティーへ友人と行った後だという。

 ラブ曰(いわ)く、「(シーンの家で)それまで16年間クリーンだったジェニファーが、ある時点で私に(ヘロインを)打つよう説得したのよ。『みんなやってるわ』の一言で私のヘロイン・ドラマは幕を開けた」のだそうだ。そして数年後、「ラリー・フリント(1996年)」へ出演する際、ミロス・フォアマン監督との約束の一部としてヘロインを断つ。

画像による目次はここをクリックして下さい
コリー・モンティス
 カナダ出身の俳優で歌手のコリー・モンティスは、アメリカの人気TV番組「グリー」のフィン・ハドソン役でスターになる前は、カナダのナナイモでウォルマートの店員、タクシー運転手、スクールバスの運転手など様々な仕事をしている。中学3年で中退し、高校へ行ったことがない。

 そんなモンティスがまだ「グリー」でスターになる前、彼はドラッグ中毒と戦っていた。13歳の時、早くも飲酒や大麻の喫煙のため不登校、当時の彼は「何でも、すべて、可能な限りと、深刻な問題があった」と自ら語っている。19歳の時、友人達はモンティスがクリーンでしらふになるよう介入した。彼は職を得て、演劇学校へ通い、人気ミュージカルで注目されるスポットにつく。その後、残念ながら中毒が再発する。2013年再びリハビリ・センターへ戻ったが、その年の7月、ヘロイン中毒とアル中の組み合わせで死んだ。

画像による目次はここをクリックして下さい
キース・リチャード
 ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズは長い間、大量のドラッグを使用してきた。バンドのツアーもドラッグが自由に使われているので知られており、メンバーは自分達のキャリアの過程で何度も逮捕されている。その結果、リチャーズのドラッグ使用へ影響がなかったものの、1978年にヘロインの使用はやめた。じっさいのところ、ヘロインの使用と彼がそこからもたらされたと考えることへリチャーズは非常に率直だ。

 「メンズ・ジャーナル誌」とのインタビューで、「あなたが自著の中で仕事に役立つからヘロインをやったことを示唆しています。その理論は信じがたいのですが?」と聞かれたへリチャーズは、「そういう状況だったのさ。起き上がるか、クラッシュするか、目を覚ますかのどれかしかなかった。いつも何かをするためだったんだ」と答えている。

 加えて、「もう一つ告白しなければならない。俺は自分がどんなドラッグをやることができて、その結果、何をできるか興味を持っていた。俺は自分の肉体を実験室として考えていたんだ。その実験室へ、この化学物質を投げ込み、それから何が起こるかを見ていた。俺はそれに興味を持った。何が他のものへどう働くか。俺はそのように自分の体内へちょっとした錬金術師を持っているのさ。しかし、すべての実験は終了する必要がある」とも語った。

画像による目次はここをクリックして下さい
テータム・オニール
 最後は史上最年少のオスカー女優テータム・オニールの登場だ。父が俳優でボクサーのライアン・オニール、母がやはり女優のジョアンナ・ムーア、父のライアンと共に出演した「ペーパー・ムーン(1973年)」で9歳の時アカデミー助演女優賞を獲得する。ハリウッドのスターダムの中で育ったオニールはその後、伝説のテニス選手ジョン・マッケンローと結婚し、家族を持つ。しかし、そのすべてがドラッグの魅力を遠ざけるのに十分ではなかった。彼女がドラッグをやり始めたのは若い頃で、いったんクリーンになって家族を持ったものの、ドラッグを抑えるのに十分ではなかったのだ。結局、ヘロイン使用のため子供の親権を失う。

 「私が自分の内部で感じた、その感じ方が嫌いだった。私はハリウッドで、この外見が素晴らしい人生を送ってきたのよ。小さな女の子は誰もが私になりたがり、男の子は私とデートしたがったわ。しかし、私はこれまで生きていた最も恐ろしい娘のごとく扱われていた」とオニールは「ニューヨーク・タイムズ紙」へ語っている。

 「私が欲しかったのは母親だけだったけど、彼女はそこにいなかった。だから私が最終的にジョンと会って旨くいかなかった時、私は腸の中へポッカリ空洞が空いてしまったのね。それを何で埋めていいのかわからなかった。私は空っぽだったわ。ヘロインでそれを満たし続けてからやめ、また始めた。でも、どうにかクリーンになったのよ。2年間、尿検査を続け、とうとう子供たちを取り戻したの!」と言っていたオニールだが、2008年、マンハッタンでドラッグを買って再び逮捕されるのだ。

 以上8人のセレブの例でもわかるとおり、ヘロインというドラッグは中毒性が強く、一旦はまったら抜け出すための戦いが生涯におよぶこともある。アメリカばかりでなく日本でも量はわずかながら入っているようだ。たとえヘロインと巡り合うチャンスがあろうと、くれぐれも手を出さぬよう!

 最後に余談ではあるが、私自身、アメリカで大きな外科手術を3度経験しており、入院中は鎮痛剤としてモルヒネをばんばん与えられた ――― いうまでもなく、モルヒネもヘロイン同様アヘン系のドラッグであり、覚醒剤などよりはるかに強い依存症を持つ ――― 痛みを覚えたら点滴の下へ取り付けられたインジェクターのボタンを押すと、その瞬間、身体中に何ともいえない心地良さがじゅわーと広がる。ラッセル・ブランドのいう「痛みを中和する際のヘロインの効率を正確に伝えることが出来ない」感覚だ。退院する時、病院は何も注意しないから、入院中モルヒネを使った患者がみんなモルヒネ中毒となるかといえば、そういう問題はまったくない。それが長年不思議でしょうがなかった。

 この問題のヒントを与えてくれたのは、サイモン・フレーザー大学のブルース・アレクサンダー博士だ。1970年代の終わり、彼のチームが行った有名な「ネズミの楽園」という実験は、雄雌合計32匹のネズミをランダムに16匹ずつ居住環境の異なる2つのグループに分け、57日間、普通の水とモルヒネ入りの水を与えるというものである。一方のグループのネズミ(「植民地ネズミ」)が1匹ずつ金網の檻の中へ入れられたのに対し、他方のグループのネズミ(「楽園ネズミ」)は広々とした場所へ雄雌一緒に入れられた。そして、仲間との交流が可能で、のびのびとした環境下の「楽園ネズミ」と、孤立し、ストレスフルな環境下の「植民地ネズミ」では、依存状態に大きな差が出てくるのだ。

 その結果は、「植民地ネズミ」の多くが孤独な檻の中で頻繁かつ大量のモルヒネ水を摂取して日がな1日酩酊していたのに対し、「楽園ネズミ」の多くは他のネズミと遊んだり、じゃれ合ったり、交尾したりして、なかなかモルヒネ水を飲もうとしなかった。もちろん少数のネズミが飲んだものの、その量は「植民地ネズミ」の20分の1にすぎない。この実験からドラッグそのものの作用よりも「孤独」が問題であるとわかる。

 たいへん興味深いのは、アレクサンダー博士たちが檻の中で大量のモルヒネ水だけを飲んでいた中毒状態の「植民地ネズミ」を、1匹だけ「楽園ネズミ」のいる広場へ移した。すると、その「植民地ネズミ」は広場の中で「楽園ネズミ」たちとじゃれ合い、遊び、交流するようになったのだ。ばかりか、驚いたことに檻の中ですっかりモルヒネ漬けだったそのネズミが、痙攣(けいれん)など激しい禁断症状を起こしながら、普通の水を飲み始めたのである。「ネズミの楽園」の実験結果は人間へもそのまま当てはまると思う。結局、私自身が入院中にモルヒネを使ったからといって、退院して元の「楽園ネズミ」の生活へ戻れば縁はなくなる。反面、先のセレブ8人は「植民地ネズミ」の時期があったか、心の一部は今でもそうなのかもしれない。

横 井 康 和      


Copyright (C) 2018 by Yasukazu Yokoi. All Rights Reserved.

映画と腕時計 目次に戻ります 映画とヨット