映画とCG (上)
近年、「CG(コンピュータ・グラフィック)」が映画製作へ及ぼした影響は計り知れない。しかし、その歴史はまだまだ浅く、思い起こせば私がアメリカへ引っ越した翌年1977年に見た“スターウォーズ”あたりで初めて本格的なデビューを遂げたと言えそうだ。いわば映画CG史の第1歩を踏み出したわけである。その頃からCGへ興味を持っていた私も、自分ではワープロさえ使い始める前の段階であった。
当時、“スター・・・”を製作するためジョージ・ルーカスが求めるようなSFX工房(ハウス)は存在せず、自ら「ILM(インダストリアル・ライト・マジック)」を設立するわけだが、そこでコンピュータを活用した画期的なテクニックというのは「映画と飛行機」でも触れた「モーション・コントロール・カメラ」である。被写体の模型を固定したまま、カメラのほうが動いて撮るアイデアは、コンピュータで複雑なカメラの動きを制御して初めて可能なのだ。そして、この新テクノロジーなくして、かの戦闘シーンは生まれていない。
映画界でモーション・コントロール・カメラが普及し始めた頃、私はようやくワープロを使うようになっていた。マニュアルも読まず、そのありとあらゆる(コンピュータ)機能を引き出すうち、知らず知らず私とコンピュータのつき合いが深まってゆく。一方、映画のCGは“ヤング・シャーロックホームズ(1985年)”で、次の段階へ進む。この映画でスティーブン・スピルバーグが初めて銀幕(スクリーン)へ登場させた「3Dデジタル・キャラクター」は、いま振り返るとありきたりのレベルでしかない。だが、当時はスピルバーグの名も手伝い、そうとう注目を浴びたのを憶えている。
とうとうワープロで物足りなくなった私がコンピュータへ乗り換えた'80年代の中盤、当然ながらペンティアムはまだなくて286がもっとも進んだプロセッサーか、それ以前だったと思う。また、私の真新しい98ノートに入れた「一太郎ダッシュ」は、フロッピー・ディスクでプログラムを動かせる(つまり1メガバイト前後の)画期的な新製品という時代である。その頃、“ラクソー・ジュニア(1986年)”が公開された。たった2分の短編映画ながら、コンピュータのみで製作した作品としては映画CG史上大きな意味を持つ。“トイ・ストーリー”も“バグズ・ライフ”も、ここが原点だ。
'80年代最後の飛躍といえば、ジェームス・キャメロンは“アビス(1998)”で水に写ったマリー・エリザベスの顔が立体的に飛び出すシーンで観客を驚かせた。このようなシーンを作り出すまでCGは発達したのである。そうなると、テクノロジーが新しいというだけでは話題性が薄れ、それを使った中身の勝負へ移ってゆく。つまり、CGは映画の世界で道具として、その地位を確立したといえるかもしれない。
'90年代に入ると私が使う98ノートも4台目で、プロセッサーは386まで進化し、ハードディスクの容量は1桁から2桁へと増えていたが、OSのほうはまだDOSであった。ただ、PCと互換性のない98ノートが不便になり始めたので、間もなくPCへ乗り換える時、私は初めてマックとどちらを選ぶべきか迷う。マックが日本で売れ出した時期ながら、アメリカでは衰退の兆しがあってなお迷ったのは、音楽やグラフィック関係者の多くがマックを使っていたからである。
結局、将来はPCが主流になると判断した私はデスクトップのPC互換機を購入、しばらくしてOSもWindows 3.1を入れ、いよいよコンピュータが私の生活と切り離せなくなってゆく。レベルこそ違え、キャメロンもますますCGを映画へ取り入れ、“ターミネーター2(1991年)”ではロバート・パトリックのT1000サイボーグが警官その他へ見事に変身した。この場合、テクノロジーそのものはロン・ハワードの“ウィロー”が一足早く、キャメロンの巧さはあくまでもCGの使い方だ。
また、“ターミネイター2”と同じ年、“ビューティー・アンド・ビースト”が封切られ、映画CG史上にくっきりと足跡を残す。それまでは従来の手書きセルへ頼っていたアニメが、コンピュータの導入で大幅に進歩するのは、この映画からである。アニメの新時代を築いた作品といえば、製作がディズニーであることは言うまでもなかろう。
私のPCが486まで進化し、ハードディスク容量はメガバイトからギガバイト単位の時代へ向かいつつある1993年、“ジュラシック・パーク”が封切られた。“ジョーズ”のセットでは機械仕掛けの鮫を浮かべたスピルバーグが、長い道のりを経て今度は恐竜を描き出す。クローズアップや部分的なシーンでスタン・ウィンストンによる機械仕掛けの模型(モデル)が使われた以外は、すべてCGの創作なのである。
続いて“フォレスト・ガンプ/一期一会(1994年)”が封切られたのは、いよいよペンティアムが出て間もなく、翌年発売されるWindows 95を心待ちにしている頃だ。銀幕(スクリーン)へケネディーやニクソン大統領を登場させたり、ゲーリー・シニズの足を取ったり、ピンポン・シーンやその観客を描き出すなど、同じCGで注目されながら“ジュラシック・・・”とはまったく違う角度からのアプローチであった。
この“ハリウッド最前線”が誕生した1996年度作“ドラゴンハート”は、初めて主人公がCG製の映画である。それだけ画像を細かくすればメモリー容量は増え、主人公ドラコの頭部を描くだけで“ジュラシック・・・”の恐竜(Tレックス)4頭分のバイト数なのだ。しかし、いくらコンピュータががんばろうと、ドラコのキャラクターへ1番貢献しているのは声優のショーン・コネリーという事実は拭いようがない。
CGの巧さでは群を抜くキャメロンが、ありとあらゆるテクノロジーを導入した“タイタニック(1997年)”に至っては、どのシーンもよく見るとコンピュータで加工されている。いったい実写のまま残されたシーンがあるのか疑問さえ浮かぶ。それだけ斬新な特撮の中でも一番のチャレンジは、結局タイタニック号の大道具(セット)だったのが皮肉といえば皮肉だ。
巨大なプールへ組み上げた実物大のタイタニック号は機械仕掛けで傾く。その甲板上、俳優たちが演じる場面を撮っただけでは、現像してもリアリティーがないばかりか映画の豪華さとはほど遠い。そこへコンピュータが背景の人物、夕焼け空、水面やそこで戯れるイルカなどを書き加えてゆく。生の大道具(セット)は煙も出さなければ波を掻き分けて進みもせず、窓の灯りさえない状態で撮る。キャメロンの頭でCGがどこまで撮影後の画面を処理するか計算できてこそ、こうした映画は製作が可能となる。
そんなキャメロンは次作へ備え、鳴りを潜める一方、ルーカスがオリジナルの“スターウォーズ”を発表してから22年、いよいよ来月“スターウォーズ・エピソード1”の封切りだ。2部構成6作の後半から幕を開けた“スターウォーズ”シリーズが、そのルーツへ遡り、どのようなドラマを展開するのか? また、続く“エピソード2”は映画史上初めてデジタルで撮るというが、これらの新“スターウォーズ”で映画のCGはどこまで進むのか、早くも興味が尽きない。
1977年当時と比べ、550メガヘルツのペンティアムVまで進化した現在のPCは、信じがたい落差がある。「一太郎ダッシュ」を動かした1メガバイト余りのフロッピー・ディスクは、今やプログラムどころか、ちょっとしたファイルをコピーする時でさえ容量不足で役立たず、私自身、RW-CDとスーパ−・ディスクが日常的なメディアとなっている。前者は650メガバイト、後者は120メガバイト、物価がいくら上がろうと22年間で650倍か120倍など論外だ。さあ、この激しい落差は新しい“スターウォーズ”へ、どう現われるのであろう!? (続く)
横 井 康 和