映画とCG (下)


CGで描いた長椅子
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 近年、コンピュータが驚異的な進歩を遂げたおかげで、数年前はプロ専用のハードやソフトを今や誰もが自由に使える時代となった。その結果、以前は特殊なコンピュータへ投資さえすればビジネスが成立したような印刷屋やデザイン会社も、もはやそれだけでは勝負にならない。裏返せば、コンピュータが道具として庶民レベルまで定着してきたわけだ。

 たとえば、この「ハリウッド最前線」や他のサイトをデザインしながら私が「CG(コンピュータ・グラフィック)」で画像処理を行う場合も、技術的な部分で基本は映画と同じである。マックスのエッセイ用に本人を取材するのと平行し、そこへ添付するため預かった写真をスキャンしてから、もし背景の柱が邪魔なら取り除く。一昨年のエッセイ「キャスティング・カウチ(上)」で使った右の画像など、適当な写真はなく、結局私が「CG」でゼロから描いた。

レース・トラック
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アメリカ西部の国立公園
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 ただ、キャンバスへ筆で描くパターンと違って、「CG」は既成の素材を流用したほうが早く、仕上がりもリアルだ。カウチ(長椅子)の場合なら、表面の布、背景の壁、床の木目は3年前「3Dページ」を作った時のものから選んだように、“ゴジラ”を「CG」で描くなら、肌合いは現物のワニ革などの画像(イメージ)を拝借して合成するとか、何か原型があると無駄な手間は省ける。

 “スターウォーズ・エピソード1/ファントム・メナス”をご覧になったかたなら、左の画像が「ポッズ・レース」の1シーンだとおわかりいただけるであろう。そもそも、このシーンでジョージ・ルーカスの求めるようなイメージは現存しなかった。したがって、空撮シーンを編集段階で処理する常套手段も使えず、バーチャル・イメージ担当のジョン・ノルへお鉢が回り、彼は丸1週間「素材」を求めて西部を歩き回るのだ。

 西部のめぼしい国立公園その他を訪れたノルが、素材になりそうな「アーチ」を集め、これらの画像からイメージと合う部分を拾ってカットしたり、張り付けたり、伸ばしたリ、縮めたりしながら、レース・トラックは仕上がってゆく。もし、素材まで「CG」で作ったとすれば、まったく同じ“エピソード1”が封切られるまで、われわれはあと何年か待たなくてはならなかっただろう。

CGで描いた背景
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 谷間のレース・トラックばかりか、ロングのシーンもほとんどの背景が「CGI(コンピュータで描いた画像)」だ。右の背景をじっくり見てみると、「シリコン・グラフィックス社」のワークステーション(コンピュータ)で未知の惑星へ変身する前のイメージは、なんとなく浮かぶ。西部劇でお馴染みの切り立った岩も、少し丸みを帯びると随分変わるものだ!

 こうして仕上がった風景をバックにレースが展開し、そこではますます「CG」が活躍する。中でも、レース終盤でデッドヒートを繰り広げるシーンはオリジナル“スターウォーズ”のバトル・シーンに匹敵する迫力と言えるだろう。ただ、「映画とCG(上)」でも書いたとおり、この22年間でコンピュータ技術は凄じく進化した。

クラッシュの完成場面
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クラッシュする
エンジン模型

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 デッドヒート中の「クラッシュ場面」など、今でこそ可能な「CGI」の典型だ。22年前のコンピュータ技術で考えも及ばなかったことが、もはや夢ではない。しかしながら、「CG」が道具である以上、結果はそれを使う人間次第である。いくらいい筆を使おうが、それだけで字は上手くならず、最先端のワープロを導入したからと、素晴らしい文章が書けるはずはなかろう!

 ともあれ、ルーカスが求める「クラッシュ場面」を創作するにあたり、「ILM(インダストリアル・ライト・マジック)」のアーティストたちは知恵を絞った。結局、アーティストの1人ザーガーポアが彼のシリコン・グラフィックス・ワークステーションで左のシーンを作る際、モデルとして使ったのは「F-1レース」中の事故現場を撮影した記録だ。

手前で飛び散る破片
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背後で舞い上がる砂塵
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 爆発したレースカーの残骸やエンジン部品が、どう飛び散るかを計算しながらこの「クラッシュ場面」を創作するとしたら、完成まで1年や2年は覚悟する必要がある。「万有引力の法則」から「慣性の法則」その他を考慮して無数の破片1つ1つの動きをインプットしてゆくのは、気が遠くなるほど大変な作業だ。そんなところへエネルギーを費やしていたら商売にならない。

 というわけで、実際のF-1カーをモデルに、まずザーガーポアは左上のエンジン模型をクラッシュさせる。この動画ができあがると、ようやく「クラッシュ場面」の原形は整う。ちょうど編集前のフィルムと同じだ。じっさい観客が見るシーンとはほど遠い。そこへ様々な加工を施すうち、映画のシーンらしくなってゆく。

 原形が整った後、ザーガーポアの被せる画像は右のようなものである。高速飛行中のエンジンが爆発する手前で飛び散る破片、そして背後で舞い上がる砂塵は、ますます臨場感を高めリアリティーを増す。もっとも、先の完成場面までに、これほどのエネルギーが費やされ、その完成場面たるや、映画全体の中ではほんの一瞬なのだ。

スカイウォーカーから
見たクラッシュ場面

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後続のドライバーから
見たF-1レース事故

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 この「クラッシュ場面」を後続のアナキン・スカイウォーカーの視点から捉(とら)えたシーンも、やはり一瞬ながら、よくできている。とはいえ、「F-1レース事故」がモデルとなったシーンの延長であり、比較するにはこちらのほうが、むしろわかりやすいかもしれない。

 左の画像2枚を見比べるとおわかりのように、右上、つまりドライバーの前方で宙へ舞う事故車の動きがポイントだ。これらの静止画で説明し辛いのは、高速で接近しつつあるドライバーのスピードと、事故車が舞い上がるスピードの相対関係である。そこを計算し損なうと、完成場面は安っぽくなってしまう。

 映画の中で物理的な矛盾がある動きは、たとえ物理学と無縁の観客であろうと、それが不自然なことはわかる。一方、実際の事故をモデルに1ケ月で完成したシーンと、モデルなしで1年を費やした同じレベルのシーンなら、観客は違いがわからなくて当然だ。つまり、「CGアーティスト」は無駄な労力を省くため、既成の素材や実写をモデルとして使うセンスやアイデアが勝負なのである。

コクピットの
スカイウォーカー

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 そこで、今後は素材やモデルの著作権が根本概念から覆されてゆくだろう。現在、すでに音楽や映画の著作権へ媒体(メディア)のデジタル化は様々な波紋を投げかけているが、それどころの次元ではない。じっさい、インターネット上で著作権を無視した画像がまかりとおり、取り締まりは不可能な現状が、そのプレリュードと言えそうだ。

 コンピュータ技術の進歩は、われわれの日常生活へ大きな影響を与え、時として古い概念が通用しなくなる。しかし、原点へ戻れば、まず人間だ。自分で書いた曲の著作権にこだわる時間は作曲へ費やすほうがいい。また、コンピュータに仕事を取られる心配をする音楽家や役者は、自分に自信を持つことこそが先決問題だと思う。

 「ILM」の仕事はどれだけ素晴らしくとも、もしスカイウォーカーがアニメで描かれているとしたら、たとえそれ以外はまったく同じであろうが「ポッズ・レーズ」は漫画の世界でしかない。ジェイク・ロイドの演技がどうあれ、決め手は彼の演じるスカイウォーカーなのだ。それをどう活かすかを知っていればこそ「ILM」のアーティストが業界でプロと呼ばれるのではないだろうか!?

横 井 康 和      


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