映画とファッション
「結婚」、「妊娠」という映画のジャンルに続いて、今回のテーマは映画と密接な関係を持つ「ファッション」を選んでみた。誰しも、映画の登場人物がかっこよくて、そのファッションを真似た覚えは多かれ少なかれあると思う。そして、洋服やアクセサリーのデザイン(ブランド)であれ、着こなし方であれ、ヘアースタイルであれ、ちょっとした仕草であれ、真似る人間が増えれば「流行」という社会現象を起こす。
「アメリカン・ジゴロ」
いっぽう、それだけのインパクトを秘めた映画は、ファッション・デザイナーの立場からすればチャンスを意味する。毎年、アカデミー授賞式などでどの女優のドレスを誰がデザインしたか話題になるごとく、映画とファッション業界の利害関係はぴったり一致しているのだ。かのアルマーニだって、ハリウッドなくして今の自分が存在しえなかったと語っている。じっさい、「アメリカン・ジゴロ(1980年)」のヒット以前の彼は、イタリアのごく一部を除いてまったく無名のファッション・デザイナーにすぎなかった。
「アメリカン・ジゴロ」の脚本を書いたシュレイダー兄弟の兄のほうが、たまたま私の友人であった関係上、ジョン・トラボルタ主演で企画された当初、さんざん裏話を聞かされている私は、その後のアルマーニの台頭や彼が「ハリウッド好み」のデザイナーとなったのも、じゅうぶん納得できる。ただ、そこへ至るまでの道程は長い。「アメリカン・ジゴロ」のヒットがきっかけとなり、翌1981年はマイケル・マン監督作「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」で主演ジェームズ・カーンの衣装をデザイン、ワードローブを担当し始めるのが「ロンリー・レディー」と「ニール・サイモンの キャッシュマン」を手がけた1983年のことだ。
「金曜日の別荘で」
以来、「ストリート・オブ・ファイアー(1984年)」の衣装デザインや「アンタッチャブル(1987年)」のワードローブから、比較的最近では「シャフト(2000年)」で主演サミュエル・L・ジャクソンとバネッサ・ウィリアムズのワードローブを担当したり「アイ・アム・サム(2001年」で主演ミッシェル・ファイファーの衣装を提供する他、「アビエイター(2005年)」で使われた眼鏡がすべてアルマーニ担当なのである。「アメリカン・ジゴロ」こそ凌げなくとも、彼の携わったこれらの数知れぬ映画の中では「金曜日の別荘で(1991年)」あたりが、なかなか印象深い。
「プラダを着た悪魔」
ちなみに、ファッション業界で成功してからのアルマーニは、「メイド・イン・ミラノ(1990年)」と「キャットウォーク(1996年)」の2本へアルマーニ役で出演したり、「マーティン・スコセッシ 私のイタリア映画旅行(2001年)」の製作に係わるなど、ファッション・デザイナーへ映画俳優とプロデューサーの肩書が加わって、ますます映画の世界と密着している。そんなアルマーニとはまた違った角度からファッション・デザイナーが映画で自己主張をするパターンもあり、たとえば「プラダを着た悪魔(2006年)」などは映画のタイトルにまでデザイナーが出しゃばった好例だろう。この場合、プラダは「アメリカン・ジゴロ」へ起用された無名のアルマーニと違って、すでに成功している名前を映画の製作者が利用した。つまり、ブランド名で映画のイメージアップを狙い、デザインそのものは二の次なのだ。
以上のようにデザイナーが中心となってファッションのジャンルを考えれば、製作者から腕を買われたアルマーニ・パターンか名前を買われたプラダ・パターンのどちらかへ集約できると思う。そこにもう一つ、デザイナーではなく俳優がファッションの中心というパターンもあり、映画とファッションを語る上ではこのパターンのほうがむしろ多い。
「サブリナ」
1954年のヒット作「サブリナ」は、オードリー・ヘップバーンのファッションが話題となって成功した。そのファッションもデザイナーの腕とか知名度は関係なく、彼女の着こなしが観客の目を引いたのである。「アメリカン・ジゴロ」だって、アルマーニの腕はリチャード・ギアが着こなしてこそ発揮され、注目されたわけだ。しかし、ヘップバーンは、たとえデザイナーの腕が悪かろうと着こなすタイプ・・・・・・そういえば、カリカリの体型もファッション・モデルに向きそうでは?
ただ、いくら体型がファッション・モデル向きであろうと、女優からファッション・モデルへ転向したという話は聞かないが、その逆なら掃いて捨てるほどある。たぶん、モデルの前はウェイトレスを経験しているはずだ。ハリウッドで可愛いウェイトレスを見たら、聞いてみればいい。ほとんどが女優かモデルの卵だとわかるだろう。そして、大半は女優かモデルを夢見るウェイトレスのままで終わる。
「サブリナ」
ちょうどハリウッドの街全体が、かつての邦画界の大部屋のようなものだ。そこでの辛い下積み生活を経て大半は消えてゆく中、ほんの一部が生き残り、スターの座を獲得するのは生き残った一部の中でもごく限られている。かつての邦画界で名女優と呼ばれた多くが大部屋出身なのは、もともと素質があらばこそ成功へ至る段階で繰り返しふるいにかけられながら最後まで残れたはずだし、ライバルを沈めない限り浮かび上がれない彼女たちと比べ、大部屋以外の女優は競争力で劣る以上、ほとんどの名女優が大部屋出身なのは、むしろ当然の帰着だろう。女優の卵をふるいにかけながら未来のスターを見つけ出す大部屋の機能が、街全体の規模へスケールアップしたようなハリウッドでは、更に競争が激しい。繰り返しふるいにかけられるうち、素質のない者はどんどん弾かれてゆく。容姿だけならウェイトレスで食いつなぐ女優の卵でさえ、ハッと息を呑むような美形がいくらでもいる。成功する女優は、もともとカリスマ性というか強烈な存在感を秘めており、素質があるというのは、そこから放たれた光を見た人の印象なのだ。
遠回りになったが、要は観客を魅了したヘップバーンのファッションも、彼女の個性がそれだけ強く、その個性は持って産まれたものだと言いたいのである。ハリソン・フォード主演のリメイク版「サブリナ(1995年)」だって、ファッションが映画に重要なファクターでありながら、奇麗なだけでインパクトはオリジナルと比べるべくもない。同じ内容のはずが主演俳優の個性次第で、こうも仕上がりは違う。そして、個性が光った時、映画そのものを息吹かせるところへスターのスターたる所以(ゆえん)はある。ちなみに、間もなく全米公開される「ダークナイト」で、やはりアルマーニのスーツ姿で登場する主人公ブルース・ウェイン、演じるクリスチャン・ベイルがはたしてどう着こなしているか!?
横 井 康 和